
世の中では帰省に対して様々な想いがあるようです。
田舎住まいですが、この期間は他県ナンバーの車が多いですね。
涼しい時間帯には祖父母と、都会から来た孫が仲良く散歩していたり、
親子三代でお墓参りをしていたり大変微笑ましいですね。
ご先祖様も安心して見ていることでしょうね。
さて、私長男ですが数年に一度しか帰省しません。
帰らない?親不孝ですね。ご先祖様が寂しがっていますね。親が亡くなったら後悔するかもしれませんね。
・・・そんな同調圧力を物理的(音波で耳へ・視覚で記事などで)にも想念的(ご近所と話すと感じますよね)にも受けとり、なんだか居心地が悪いこともあります。
同調圧力は大概、「正しくて間違っていない」概念から発生していることが多いです。
そして、その文化圏で育った人間ならとっくに
「他人から言われなくても知っている」ことです。
なので、
そこに同調しない、できない場合、それに対して罪悪感を持ちながら生きることとなります。
ところで、世のなかには「変人」と呼ばれる方が確かに存在しています。
人にレッテルを貼るな、ごもっとも。
それも個性ですよね。
ただですね、ここで言いたいのは、
日常で、できれば関わりたくない人たちっているでしょう?
ということです。
ご近所の揉め事のいつも中心にいる「おかしな人」と親しいですか?
特定集団の対策法に引っかかる方と親しくなれますか?
職場や取引先にすごく苦手な方一人もいませんか?
何度もお巡りさんにご迷惑かけるような方と友達になれますか?
すべてに「はい」の答えが出来る人とは私は一生ご縁が持てない気がします。
・・・そして、さっきの方々に子供が出来るとしましょう。
すると親御さんとよく似た人生を歩まれる方が出るでしょうけれど、中には、
「間違いなく産み育ててくれた親だけど、私は親とは違う人生を手に入れたい。
でも、近くに居るとどうしても似てきてしまう」
っていう、人生の幸せを切実に求めながらも、自分は薄情なのではないかという罪悪感を背負って生きる道を選択する方も出ますよね。
そんな方に対して、
帰らない?親不孝ですね。ご先祖様が寂しがっていますね。親が亡くなったら後悔するかもしれませんね。
って言ってしまったり、そういう空気を漂わすというのは「正しい」かもしれませんが優しいのでしょうか。
相手の背景を知らずに言ってしまうのはわざとではないので仕方がありませんが、
「知らなかったからいい」ということで、
今後も同じことを何も考えずに続けてもいいのでしょうか。
という考えに至ったのは、私の生まれ育った環境のお陰だと最近になって理解させて頂きました。
正論というものは相手によっては凶器に変化してしまう。
という大きな気づきでした・・・