ご縁が運んでくるお金。

ビジネスはご縁。

幸福はご縁が・・・

よく聞いたし、よく書いてありましたよね。あちこちに、あちこちで。

 

道徳的にも、スピリチュアル的にも、根性系自己啓発的にも、義理参加で足の裏痺れながら聞くスキンヘッドからのお説教でも何度も出てきます。

なので、おそらく真理なのだと思われます。

 

でも、毎日休憩時間の度にグチから始める同僚にいつか毒され「いつの間にか自分もバイドになっていた(詳しくはR-TYPEの設定脚本、面倒くさかったらスルーで)」時代を反省・後悔したり、

初めは仲良い感じがほぼ詐欺(完全に詐欺じゃなかったりするのがかえって次の対策が立てにくいわぃ)に遭って断絶したり、

変わり種だと、仲良くなりかけたがあまりに相手が雲上人すぎでキラキラが眩し過ぎ、居た堪れなくなりフェードアウトしたりと、


なんだかご縁を活かせません。

しかも、面倒な相手が何度も人生の中で名前を変えて出て来るような感覚さえあり、

 …ひょっとして出会いやご縁のクオリティは生まれ持った運なのか、いやそうであるはずがない!

 

そうか!相手は自分の鏡なのだ、きっとこちらが無意識にでも差別、区別していたのが原因に違いない、

 

「人の行く裏に道あり花の山」とも言うじゃないか。

 

変人扱いされていたり、ちょっと苦手な相手こそ、お互いにとって素晴らしいご縁につながるかもしれない!

 

そしてその後の方針転換の結果、自分の中で

 

「火のない所に煙は立たぬ」

 

の信念が超合金並みに強化されてしまうという経験が待っていました。

そういえば根が無い花でもやっったら長持ちするのあるよなー、と。。。

 

 

だんだん、縁が運んでくるのは面倒ごとのほうが多いじゃねえか・・・じゃどうしたらいいの!

「五十のよーる~、信じられぬ大人とぉの争いの中ぁでー」

「…オマエこそもう立派なオヤジだ」

 

ってグレながら寂しく一人突っ込みする、水が湧き出しそうなどこかの議員に見つかれば

「非生産的人物」

と断定されかねないマインドになりました。

 

ここまでの流れでは「ご縁」というより「誤嚥」に近い事態になっていました。

 

ごえん・・・

アクセントの位置が違いますが、茨城弁(南側はベッドタウン化で絶滅)だと「橋・箸」「蛸・凧」「買う・飼う」と同じで区別がありません。とか後にしよう・・・