その1 2000年8月 の恩人たち
その2 2000年8月 の恩人たち 高知県三原村にて
その3 2000年8月 の恩人たち 三坂峠の長五郎さん

へんろから帰りいい体験したなとは思う。四国の中に身を投じ、自分でやりたいお遍路をしながらも周りの人たちの営みに助けられていることを感じる機会はそうない。食事を摂るにもそこで商いをなさっている方が居て初めて頂ける、宿泊にしろ然り、である。人は周りに生かされているというのがよく分かる体験であった、と思う。
お寺に参るにも、歩き遍路だろうが参拝者の一人にすぎない。特別扱いは無くて当たり前で、お接待はむしろ稀なことである。

しかし、どうも感謝の心に疑問がある人たちは居た。また、ブログ等での体験の中でお寺の方への批判も見かけることがある。むしろ、批判を書いている人の方が多い気がする。情報発信している人にそういう人が多いだけなのかもしれないが。

へんろ中ーーーー

■戻り鐘
10年間歩き遍路をしているという人と初日に会った。「寺の態度が悪いから戻り鐘を撞ついてやった」と言っていた。戻り鐘は参拝後に撞くもので、縁起が悪いそうだ。
10年歩いてもなんの感謝もなく、功徳も得られていないんだな、と思った。

■托鉢僧
竹林寺で茣蓙を敷いて托鉢していた人がいた。恰好はお遍路さんであった。何か事情があるのかな、と思っていたが、参拝客の減る時間になると「今日は少ねえな」と言いながら車に乗って帰っていった。
なんともはや・・。

■へんろを否定
ちょっと傾向は違うが・・。
井戸寺に向かって歩いていたところ、一台の車が停まった。そこから出てきたおじさん、仏教でも他の教団の方らしく、「こんなことしていたら罰が当たる」とのこと。
丁重に対応していたら時間を結構食った。
本音は、ほっとけや!俺もそんな信心深くないわ!であった。自分の考えを他人には押し付けてほしくないものである。

へんろ前・へんろ後ーーーー

■自分への態度に文句
出発前、情報集めていたときに歩いた方のブログで情報は参考になった。が、「納経所の態度が悪い」とか書いていた。
前述したが、別に歩き遍路が偉いわけでもなんでもない。表現の自由も、相手への配慮があってのことではないかと思うのだが。

■宿坊に文句
最近、歩き遍路の情報無いかと見ていた時のもの。「宿坊の接客が云々」とか書いていた。
宿坊は宿泊施設ではあるが、一般のホテルや旅館ではないので接客をしている訳ではない。いろいろな対応方法があっても、それを受け入れればよいだけのこと。

他にもいろいろあったかとは思うが、あげつらっても仕方ない。
そもそもブログ書いた人も、私の価値観でいろいろ言われたくないだろうからこのへんで。

その他ーーーー
闇 ではないだろうけれど、光でもないが、個人的にはいい話だと思う体験談を。
あるお堂に泊まった時。私のほかにもう一人、お遍路さんがいた。夜、もう一人はとっとと眠ってしまい、私もうとうとしだしたとき、お堂に向かって近づいてくる足音が聞こえてくる。ああ、別のお遍路さんが泊まりに来たのかな?と場所を少し空けて待つが、お堂の前あたりで足音は消える。
気のせいかな、疲れているから幻聴かな、とか思い再びうとうとするが、また同様の足音が。3度目くらいでお堂の扉を開け、周りを見回すが、静寂。松虫の鳴が聞こえるばかり。
再びうとうとするとやはり足音。まあ、足音だけだし害はないや、と、睡魔に負け、寝落ちする直前、今までより大きめの足音。寝ようとしたが、今度はお堂の前からお堂の前の石段を上がってくる。え?と思うが先か、お堂の扉がバッと開かれた。心臓が口から飛び出るかと思ったが、眠気で頭が混乱している。
開いた扉から人らしいものが入ってきて、観音様にお経をあげはじめた。
そう、近所の信心深い方がまだ薄暗い中お参りに来たのだ。まだ夜明け前だった。
おそらく亡くなった方がお堂にお参りに来ていたのだろう。信心深い方のご先祖様かもしれないな、と思った。