雨の中に、夏の匂いを見つけた。嗚呼、もうすぐ夏が来るんだな。なんて思ったら不意に胸の中で何かがざわついた。雨は降り続ける。地面は重いグレーに身をまとい、一定の音楽のような雨音が耳を揺らした。私は煙草を手に取り、ライタで火を付ける。少しだけ苦くて胸の奥で詰まる。嗚呼、大人になってしまったんだって、思ったらあの頃の自分が薄れていくような気がした。一生懸命だった自分。丸ごと全部が苦しくて悲しくてでも辛くなんてなかったあの頃。夏の思い出。季節が変わるたびそれらは色と形を変えて毎年のようにやってくる。でももう目を閉じても手の届かない場所にある。あの頃は笑っていた。苦しくても、一ミリでもいいから近付きたくて。一言でいいから話したくて。頑張り方なんて知らなかったからただ単にがむしゃらで。何処にそれを置いてきたのだろう、と落とした灰を見て思う。
ナツノオトシゴ
日に焼けて、少し黄ばんだカーテンが湿った空気を含んだ風に揺れる。放課後の教室は、誰もいない。静かな静かな箱のようだ。夕日に照らされた、君の机が光っている。近くても遠い、距離は一向に縮まらない。グラウンドで声がする。サッカー部が練習してるんだろう。その中に君もいる。キラキラしていて眩しいのは太陽のせいだけではない。気が付いたら想いは大きくなっていた。最初はちいさなちいさな種みたいなものだったのに。君の優しさに触れるたびそれは大きくなって行って、息も出来ないくらいで。それでも毎日毎日君のことばかりを考えて、馬鹿みたいに想っていた。
雨の香りがした。もうすぐ雨が降りそうだ。帰らなくちゃと鞄を手に取る。窓を閉めて、君の横顔を瞳の奥に刻み込む。教室から出ると、ぽつぽつと、雨が降ってきた。急がなくちゃ。私は足を速める。下駄箱に靴を入れて、君の大きな靴を見る。ああ、男の子って違うんだなあって。玄関から出るとちょうど君が居た。少しだけ濡れたジャージ。色素の薄い少しだけ茶色い髪がキラキラと光る。ああ、眩しいなって。苦しくなったから、私は足早にそこから逃げ出した。さようならも云えない。飲みこんだ言葉。きっと君はあの赤い傘をさして家路につくんだろうな。そんなことを考えながら、雨に濡れて家へと帰る。
目が覚めると、雨はやんでいた。微かな匂いだけを残して。
私はまた煙草に火を付ける。煙が少しだけ目にしみた。