~ 《普通》ということ ~ | てぃあの解体心書

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~ 自らの人生哲学を語るブログです ~

わたしはずっとずっとコレに拘ってきてた。

幼少期からのてんかん発作。

そして両親はとにかく『普通に』ということで育ててきたから。

そして自分自身も好奇の眼差しで見られてきて

『普通』ということに憧れてきたから。

ただ、その感覚がちょっと違ってきた。

ハナちゃんのことを考えたあの夜、

わたしは重ねてはおかしいかもしれないけれど

ハナちゃんの出来事とわたしの転換発作を重ねた。

そして思ったことが

『どう頑張ったってどうにもならない・・・。

ならばソレはそのまま受け止めて良いのでは・・・。』

ってことだった。

そしてわたしはある意味やっと芯から

『障害なんて手を尽くしてそれでも仕様の無いとこまでいったら

そのまんまでいいじゃないか』って思えたように感じた。

そして何かを受け入れるという感覚をはじめて知ったように思えた。

そして某所ブログでの『問題は子に【投影】』。

これについても自身を振り返って考えました。

思い当たる。

そして今までまだまだ考えが浅かったことを反省しました。

そこ読んで瞬間は頭が考えたくないって暴れた・・・。

でもわたしはソレを考えなきゃこれから先を創れないと思え

とにかく頭になんかもやがかかったような重たい思考回路の中

どうにか今、この思考に至っています。

正直でたらめ疲れた。。。

ハナちゃんの一連の失敗の件。

考えなくてはいけないのはその失敗がなぜあったかで

その失敗をどー対処するかじゃないんだって

ちょっとこれからの思考の仕方がわかった気がしました。

わたしはお正月の不規則な生活のせいにしましたが

もしかしたらわたしの関り方に問題があったり

またわたしが感じていた裁判の意見書などのストレスを

間接的にハナちゃんも感じ取ってしまったりしていたりしたのかも・・・。

という原因も考慮しなくてはいけなかったのだろうなと思えました。