あの日は宇都宮ブリツェンの合宿中だった。
合宿所には若手選手3人と僕、スタッフの計5人で生活していた。

すごく寒くて練習後に合宿所で湯船に浸かっていた。他の選手は食事を食べたり、くつろいでいたと思う。
「ミシッ...」
という音をきっかけに合宿所が揺れ始めた。すぐに止まるだろうと思っていたらどんどん揺れが大きくなり、湯船のお湯がバッシャンバッシャン溢れ出た。
これはまずい。家が潰れる。

そう思って窓を開けて逃げようとした。でもそこはお風呂。
格子がかかっていて外に出られない。
玄関から出るしかないと思いタオル1枚だけ握りしめて全裸で外に逃げた。

僕が逃げたことで他の選手も急いで逃げてきた。
瓦が落ちてくる。家から離れ、道路上で全裸で立っていた。

タオルを腰に巻くも寒くて余震の合間に服を取った。
まだ危険な状態だということで車の中で待機することにした。

その後も余震が続いたがとりあえず合宿所の中に戻った。
幸い停電しなかったのでテレビを付け、情報を収拾する。
中継のカメラが揺れたら外に逃げ、揺れが収まったらまた家に入った。
東北のカメラが揺れてから数秒で宇都宮が揺れる。
何度も何度も往復した。

今できることを考え、炊飯器いっぱいにご飯を炊き、お風呂にお湯を溜めた。
マッサージの予約をしていたけれど連絡が取れず行けなかった。

3時間も中と外を往復していた。

松田木材の専務からメールが来て2階で寝るように言われた。
みんなまとまって、横に机を置いたり、ヘルメットを用意して寝た。
僕は靴を履いたまま布団に入った。

携帯が何度も何度も緊急地震速報を受信するので深く眠れなかった。

翌日、広島でのレースのために予約していた飛行機に乗る為に羽田空港から広島空港まで飛んだ。
レースに出るためではなく、余震が続く状況から逃げたかった。
レースは中止になると思っていた。

安堵からか広島のホテルで泣いた。

翌日レースは開催された。いろんな人に本当に開催されるのか聞いて回ったけれど
「中止になるわけない」「もちろんやる」
ということだった。
西日本ではまだ状況が伝わっていないことを感じた。

走っている間はあの揺れを思い出すことはないと思い、出走した。ほとんどのレースの記憶はあるがあのレースのことは全く思い出せない。

そのレース以降はすべてのレースが開催自粛となった。


僕たちは揺れの怖さでびくびくしていただけ。
それだけでもあんなに怖かったのに...
自分の経験以上のことは想像することもできない。


昨年ツールド東北に行った。
石巻専修大学の学長さんがステムにスマートフォンを取り付けていた。
「ナビも見れるし速度も表示されるから便利ですよ。緊急地震速報だって表示されますからね。」
明るく話していた学長の話に背筋が凍るような不安に襲われた。


サイクリングのあと、吉本の芸人さんと一緒にステージに立った。
子供たちが楽しんでくれて質問攻めだった。




一人の子供が帰り道についてきた。

「自転車楽しいよ。来年も絶対来てね!」

一緒にいたスタッフが泣いていた。


今年も絶対会いに行こうと思う。あの子たちは前に進んでいるから僕も前に進み続けようと思う。
もっと自転車が楽しくなるようにいろんな技を教えてやろう。
ジャンプしてドリフトして競争して楽しんで欲しい。



さんまのつみれ汁 最高に美味しかった


ここから海は見えない


未来に向かってゴー!

こんな写真撮っている人初めてですって笑われましたw