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鯉釣り -非現場主義ー

先人の知恵を元に、机の上で空想にふけり、自分なりの鯉釣り理論を再構築していこうというブログです。
内容は、誤解と偏見に満ち満ちていますので、取り扱いにご注意ください。

先日、コイ釣りに行きました。


何週間も前から、この日、この時間に釣りに行くというのを決めていて、さらに、課題をひとつ設けていました。


その課題というのは、「マキエサ、ヨセエサ無し」というものです。


フックベイツのみで釣れるのかどうかを試してみることなのですが、そのねらいは、「タイミング、ポイント、エサの選定が正しければ、フックベイツのみでも釣れる」ことを自分なりに実証してみようというものです。


もちろん、こんなことは業界では新しい取り組みではありませんが、自分なりにそういう経験をして、スキルを上げてみようと考えたからです。




その日、釣り場は、台風の接近で、雨混じりの風が吹いていました。潮は下げの時間帯です。

上流で雨が降っていたのか、普段より少し増水している感じですが、それほど雨も風も強くなく、普段と大きくは変わらない状況です。

しかし、危険ではないにしても、こんな日に釣りをするのは不謹慎です。社会人として、あるまじき行為です。

やっぱりやめようか、けど、次はいつ来れるかわからないし・・・などと考えながら川を眺めていると、ちょっとした衝撃を受けました。



普段とは変わらないと思っていたその釣り場の雰囲気が、よく観察してみると、全然違うことに気がついたのです。


あちこちで魚が跳ねています。それも普通の数ではありません。


いわゆる「活性が高い」という状況なのですが、それは朝マズメや夕マズメの活性とは比較にならないほどの高さです。

あちこちで魚が顔を出し、飛び跳ねています。

もちろん、その中には鯉の姿も見えます。ここにこれほどまで多くの鯉がいたのかと驚くほど、数多くの鯉を確認できました。


6年くらい通っている釣り場ですが、初めて見る光景です。

鯉のライズを見ると、フツーはワクワクしますが、今日はそんなことはありません。


異様な雰囲気で、不気味な感じさえしました。




しかし、今こそ地合いなのではないか、次来れるのは2ヶ月先かもしれないと思い、不謹慎ながらも2時間だけサオを出そうと決めました。


マキエサ、ヨセエサ無しなので、準備はすばやくできます。

普段は2本ですが、今日は3本出します。バイトアラームも使用せず、アングルをそれぞれに使います。


雨と風の中、あっと言う間に準備が整い、さあ、リグに自作ボイリーをつけようかと思ったその時、大変なことに気付きます。



なんと、エサを忘れて来たのです。



ああ、なんということでしょう。

この日のために、「種子島ムラサキサツマイモの粉末」をベースに作ったボイリー(ボイルしていないので、正確には丸くて固い玉エサ)を、自宅の冷蔵庫に忘れてきたのです。



「マキエサ、ヨセエサ無し。マキエサ、ヨセエサ無し・・・」と念仏のように反芻していたので、エサを持ってくるという意識が薄れていたのかもしれません。


大変なことになってしまいました。


目の前では鯉が口を開けて待っているような状況(のような気がする)なのに。

自宅から釣り場までは、片道で45分くらいです。この天気の状況からすると、もう、取りに帰る時間はありません。


しかし、諦めきれません。

実験とかスキルアップとかそんなことは関係なしに、私は、どうしても、この状況で釣りをしたくなったのです。

どうしてもです。


土を掘ってミミズを探してみようか、足元にいるバッタを使ってみようか、と考えましたが、はっと気付き、バッグの底をあさってみました。


1個だけありました。


パイナップル&バナナ15ミリです。


いつからあるのかわかりませんが、ニードルをさすのも苦労するほどカチカチで、ニオイもほとんど感じません。

結構キレイ好きな私は、バッグの清掃もかかさずおこなっていたので、ボイリーがいくつも底に転がっていることはありません。

この1つは、バッグの底の角の織り目のようなところの奥に、はさまっていたのです。

奇跡の1個です。


ですから、当然、それ以上は見つかることもなく、結局、残りの2本は、食べようと思って持ってきた「もっちり チョコパン」をコネコネして丸めたものをヘアリグにつけました。



岸から約30mの支流と本流の潮目のようなポイントに1本。

岸から2mの支流との合流点の反転流がある所に、左右1本ずつ。

ここは、たまに出しているポイントでもあります。



3本目の投入が終わり、サオに鈴をつけました。

ここで初めて自分がかなり汗をかいていることに気付き、少し落ち着こうと、とりあえずバギーパンツの横ポケットに入っていたペットボトルのお茶を取出しました。


そのフタを開けた瞬間、スプールからジーっとラインが引き出されていきます。

サオの角度なのか、ドラグの具合なのか、鈴はまったく鳴りませんでした。


アタったのは、岸から2mの反転流のポイントで、エサは、P&B15ミリです。


水は岸の間近まできていたので、ネットの中でフックを外し、そのままリリースしました。バーブレスなのでスムースです。


普段では、私の場合、日帰りで日に3本が平均の釣り場です。

今回のアタリは投入後1分足らずです。

こんなに早く釣れることはまずないのですが、不思議と、あまり感動や驚きはありません。

フックベイツのみの釣りだから、半信半疑であるのが当然なのに、「状況からして必ず釣れるはず」という気持ちが、もしかすると無意識のうちにあったのかもしれません。



ボイリーはついているので、そのまま再投入です。


もしかして、という気持ちがあったので、サオに張り付いていると、15分後、またもや同じサオにヒットです。

しかし、ランディングに手間取り、目の前でバラしてしまいました。普段では、ガオーッ!となるのですが、この時も、さほどの悔しさは感じませんでした。多分、次もすぐに来るという確信めいた気持ちになっていたのです。



そのまま再投入です。


さらに20分後、やっぱり同じサオにヒットです。

ランディングして、すぐにリリースしました。


その5分後、反転流のもうひとつのサオにヒット。

やはりネットの中でフックを外し、リリースしましたが、もう、パンがついていません。

もっちりチョコパンをコネコネしようか、どうしようかと思案しているところで、河川管理のおじさんがやってきました。


増水に備えて、河川敷にある仮設トイレを引き上げる作業をするとのこと。

おじさんから、もう危ないからやめた方がいいよ、と声をかけられ、「ハイ。ちょうど今、片付けようとしていたところです」とこたえ、10分で撤収しました。


ちなみに、最後まで放置していた潮目に入れたサオは、引き上げてみると、リグがカラんでいました。

なんとフックがスイベルの穴に通っていたのです。これではダメです。



1時間ちょっとの滞在で、4ヒット。しかも、マキエサもヨセエサも無し。

こんなことは、鯉釣りをして初めてです。


しかし、前述したように、驚きと感動があまりありません。



印象として強く残っているは、魚の異常とも言える活性の高さです。

圧倒的とも言えるその光景は、筆舌に尽くしがたいものがあります。






ところで、



「マキエサ、ヨセエサ無し」で鯉を釣る目的は達成されました。

なんか、反則ワザを使ったような気がしますが、まあ、条件がそろえば、これでも釣れるんだ、ということがわかりました。


ただ、今回の釣りでは、自分の意図とは少し外れたところで結果が出ていることがわかります。



そもそも私の設定では、「条件がそろえば」の条件とは、「タイミング、ポイント、エサ」のことです。

それらがそろえば、フックベイツだけでも釣れることを経験したかったのですが、いや、実際に経験したのですが、実験の結果には、違和感のようなものがあります。



まず、「タイミング」に関してですが、意図していたのは潮の満ち引きのことで、以前に書いた内容通りです。

しかし、今回は、潮の影響もさることながら、台風の影響の方が大きいと考えた方がいいかもしれません。

初めて見る異常なまでの活性の高さを考慮すると、やはり、潮の影響だけではないと考えられます(ちなみにこの釣り場は内陸部です)。


ですから、今回の場合、やはり台風の接近、それがもたらす「風」が最も大きな影響を及ぼしたと考えた方がいいかもしれません。

「鯉は風を釣れ」と言われますが、この風というのは、私の考えでは、どんな風でもいいわけではなく、また、暖かい風が良くて、冷たい風がダメということでもないと思っています。


ある特定の風が必要です。


それは、「雨を知らせる風」だと、私は考えています。

雨が降る直前には、風が吹き付けることがあります。その風が吹くことが好条件のひとつなのです。


雨を知らせる風。つまり、それは「低気圧の接近」です。

ですから、風は吹かなくても、低気圧が接近してくれば好条件と私は考えています。

台風は大型の熱帯低気圧です。今回はこれが接近していたことが、「結果的に」タイミングの大きな要素になっていたと思われます。


が、今回は、それを事前の要素として取り入れてはいませんでした。


しかし、結果的に、その考え方でいいのではないかと自分自身に納得を与えることになりました。これはオマケのようなものです。


台風の前に釣りをするのは、本位ではありません(もう、やりません)・・・。



ま、いずれにせよ、これで「コイが口を使うタイミングにサオを出せば、高確率で釣れる」ということがわかりました。




次に、「ポイント」です。

今回は常に入れているポイントではなかったのですが、その日の流れとニゴリ具合からそのポイントにしました

カラんでいたポイントは測定不能でしたが、他の2本は、完全にポイントに入っていたと思われます。

ですから、ポイントがあっていれば、フックベイツだけでも釣れることがわかります。



最後に「エサ」です。

これは、意図とは外れているというよりも、完全に見込み違いでした。

雑誌などでは、エサの重要度は2割程度なんていう記事をよく目にしますが、私はそうではないと考えていたのです。


私は、エサを工夫することで、釣果に大きな影響があると考えていて、当日もこれなら釣れるというエサを用意していました。

しかし、実際には、ほとんどフレーバーのない、もしかすると何年も前からバッグの底にはさまっていたかもしれないボイリーで3連続ヒットです。また、もっちりチョコパンでも釣れました。



もちろん、当日使用したボイリーが非常に優れているという、ということも一つの結果としていえるかもしれません。ただ、その一方で、全身全霊を傾けて作ったオリジナルボイリーじゃなくても釣れるということがわかったのです。


自分の中で、エサの重要度を下げてもいい。という結果が出たことになります。







というわけで、結論です。


「コイ釣りは、


1にタイミング。


2にポイント。


3,4がなくて、


5にカラまないリグ」


こういうことになりました。



以上は、すべて私独自の勝手な理論です。



現在の鯉力(こいりょく)

40koi / 100koi

















































「整備された護岸に立ち湖を眺めた。


沖から来る風が僅かに感じられるだけで、


目の前は漆黒の闇だった。


外灯に映し出された湖面が漂うように黒く揺れている」



筆者は、病床にある「山田さん」のために、どうしてもその日、1尾の野ゴイを釣らなくてはなりません。

釣れるだろうかという疑問は、すぐに釣らねばならないという決意に置き換えられます。

筆者の置かれた状況、沈鬱とした気持ち、重圧、祈り、諦めと希望、そんなものが、この一節からヒシヒシと伝わってきます。この部分を読んだだけで、私達はこの物語の世界にグッと引き込まれていくことになります。



『大ゴイ倶楽部』のコラム。「続 釣り場にて」の一節です。





このコラムは、その洗練された文章と、ある種独特の雰囲気から、にぎやかで面白い雑誌の中にあって、ひときわ異彩を放っています。目立ちはしませんが、強い存在感があります。

内容は、主に山田勲氏との釣行記でしょうか。

いや、どう見ても、ただの釣行記・釣りコラムの類ではないように感じます。

もはや、これは、ひとつの文学作品と言ってもいいでしょう。





冒頭の一節のように、この作品には、なにげない風景描写の中に、作者や登場人物の気持ちが投影されています。


「緑鮮やかだった竜ヶ岳も、西日を背に受けて黒くシルエットだけが浮かんでいる」


「日中暑かった湖も安らいだ静けさを取り戻し、清涼な風が私達の体を通り抜けていった」


「運転していた自分はプチプチとフロントガラスにぶつかる虫が気になっていた。その度にウォッシャー液をかけてワイパーを動かすのだが、虫の屍骸がなかなか落ちない。この頻度でウォッシャー液を使っていたらどこかで補充しないといけないと思っていた」


「何も先の見えない湖面をゆっくりとボートは進んだ」




文章の流れから、直接的な表現をしていなくても、作者や登場人物の感情が、なぜか伝わってくるのです。

人の気持ちは一言では言い表せない微妙なものです。その微妙な気持ちが、なぜか理解できて、感情移入が容易にできるのです。






ところで、山田勲氏については、私たちはその伝説を雑誌などで見聞きして知っています。

山田氏の経験から培った知識と技術は、普通の釣り人では到底行き着けるものではなく、また、特別な「何か」を持っていたかもしれないと思わせるような、人知を超えた能力には、私たちは、ただただ唖然とするばかりです。


「山田さん」と鯉釣りを共にしていた作者も当然、そういった高い技術、能力なんかを間近で見ているはずです。

しかし、作品には、「山田さんはこんなに凄かった」なんてことはあまり書いてありません。


唯一あるのが、


「こちらを向いて話をしていた山田さんが小さく『おっ』といい首を振って竿を見た。葦の間から1本だけ出した竿はさっきまでと何も変わりはなかったが、少し間をおいてゆっくりとお辞儀をしていった」


という一節なのですが、この文章だけで、私たちは、「ああ、山田さんは、もう、こういう域まで行ってしまった人なんだ」と思うわけです。

神の領域とは言い過ぎかもしれませんが、常人が努力して行き着ける領域をはるかに超えた高見にいるのだな、ということが伝わってくるのです。


このように、山田氏の凄さが具体的に書いてある部分は、とても少ないのですが、なぜか、山田氏の凄さを認識させられるのです。



優れた文章力のなせるわざです。




では、作品中、「山田さん」はどのように描かれているのでしょうか。


「『明日の昼には皆に鍋をくわしてやろうと思ってよぉ』とたくさんの荷物のいい訳でもするように後ろを見ていった」


「物静かそうに見えた青年の口調も序々に上気した口調になり、自分が知りえた知識を披露している。山田さんにしてみれば百も承知しているような話を、まるで初めて聞くように『ほうっ!』相槌を打ちながら聞いている」


「『なあ、人工衛星って見えるのか』 川面を見ながら打ち返すポイントを考えていたのかと思ったが、意外なことを聞いてきた。確か夜空がきれいなら肉眼で見えるはずです。と答えると『本当か』と驚いていた」



伝説となった英雄の姿は、言い伝わるにつれデフォルメされ、やがて実像から離れていくことがが普通です。信玄にしても龍馬にしても、格好良さがどんどん一人歩きしていきます。

しかし、この作品に登場する「山田さん」は、人間くさく、面倒見がよく、純真で、かわいらしく、時にはコミカルに描かれています。



普通とは視点をかえて「山田さん」が表現されていることで、私たちは山田勲氏の別の一面を見ることができます。

しかし、ここで重要なのは、これは、作者が「山田さんはこういう一面もあった」と紹介している作品なのではなく、ただ単に、作者が「山田さん」を見る目がそうだった、ということを読み取ることなのです。


もちろん、師匠と弟子という立場があり、教えを請うという姿勢は根底にあるはずですし、普段はそういう接し方だったということは、随所でうかがい知れます。

しかし、作者が作品中に山田氏を「会長」や「オヤッサン」ではなく、「山田さん」と表現していることに、山田氏への気持ちが表れているのです。




さて、この作品の作者の人物像は、作品の雰囲気でなんとなく伝わってきますが、おそらく、聡明で、感性がとても鋭い方なのだと思われます。



「卓越した技術とそのカリスマ性から根掘り葉掘り聞くことははばかられる雰囲気があり、それは聞く者にとって現実性に乏しく、なかなか理解できるものではなかった」


どんな世界ででも、達人と呼ばれる人が語る言葉は難解です。

達人は独自の世界を持っています。その世界を一度聞いただけでは、フツーの人では理解できません。山田氏の言葉もそうだたに違いありません。


しかし、


「釣りは小さな事象の積み重ねだ。人が気にも留めないようなことを目に焼き付けておき、いつかそれが様々な角度から連鎖し、繋がってくるときがある。分からなかったことがひとつのヒントを機に一気に視界が開けるときがある

後になって思えばその小さなひとつのことを知っているか、いないかで大きな差が出る。

それが経験というものだ。

・・・(中略)・・・山田さんは、鍋を突っつきながらこんな話を皆に話していた」


この一節は、作者が「山田さん」の言葉を理解し、わかりやすく表現したものだと思われます。こういった表現がいくつかあり、ここでも作者の聡明さをうかがい知ることができます。





最後に、この作品の主題です。


「山田さんの後ろにそっとイスを置き、自分も少し離れたところにイスをひろげた」


「・・・逆に私に対しては厳しく何かにつけ叱られることが多くなった。1日の組み立てが間違っていたとか、ポイントの選定や竿の出す位置など何かにつけ間違いを指摘され、言葉もきつく叱られる」





この作品全体にただよう空気、つまり、この作品の主題と言えるもの。


それは、「山田さん」への愛ではないでしょうか。


この作品は、多分、師匠であり、会長であり、オヤッサンである、「山田さんへ」の愛が描かれているのだと思います。「多分」というのは、やはりそういう表現は、どこにもないからです。

しかし、どうしようもなく、作者が「山田さん」を愛していた気持ちが、強く伝わってくるのです。


前述した「山田さん」という呼び方。

この客観的な呼称があえて使われていることで、逆に作者の内にひめた想いが想像できます。

ここには、他者が侵すことのできない聖域が確かにある、ということが、はっきりわかるのです。


形式は、読者を想定した山田勲氏との釣行記ですが、本当は、亡き師匠へのレクイエムを内包した私小説なのかもしれない。


私はそう感じます。




作者は、前場健二朗さんという方です。言うまでもなく、山田氏創始の野性ゴイ研究クラブの方です。「泣く子も黙る」と形容してもいいほど、日本の鯉釣りクラブの中で、最も偉大なクラブです。

私は、作者とはお会いしたこともありませんし、野生ゴイ研究クラブの影すら見たこともありません。

しかし、作者と私のようなシロートと、ステージの違いはあるものの、同じ趣味を共有していると思うと、嬉しさと同時に、ある種の安心感を覚えるのです。



ひっそりとたたずむ「続 釣り場にて」。

次号が待ち遠しいです。




現在の鯉力(こいりょく)

39koi / 100koi



鯉釣りは、人を育てます。


鯉釣りのセオリーは、私たちの社会生活にリンクするところがたくさんあるのです。

そして、鯉釣りを勉強すると、それがそのまま社会生活に役立ちます


自分を取り巻く環境を観察し、情報を集め、分析し、予測を立ててより良い結果を求める。さらに、得られた結果を、今度は次回につながる糧とする。


これは、商売、組織、子育て、その他対人関係、いろいろなシーンで役立ちます。

何かに迷った時、新しいことを始める時、立場を守りたい時、より良い道を探す時、なんでもかんでも鯉釣りのセオリーにあてはめて考えると、こうすればいいという出口が必ず見つかるのです。



中でも、「待つ」という手段。これこそが、最も社会生活に役立つ鯉釣りセオリーです。


雑誌で福安氏がこのように語っておられます。

「コイ釣りは待つ釣りである。こう書くと意外に聞こえるかもしれない。釣り始めて5分で食ってきたとか、連続ヒットとかさんざんいっておきながら、なんだよ、と思うだろう。しかし、コイ釣りで最も重要なことは、いかに待てるかである。これもコイ釣りの本質である。」

「撒きエサをしたらひと晩待つ、あるいは朝撒きエサをしたら3時間待ってから釣る」

「魚が動かないときは釣り人も動かないことだ。釣れない時はバタバタしなほうがよい。・・・中略・・・、相手が動く時間に仕切り直して集中したほうがいい」


アグレッシブな鯉釣りをされている福安氏をもってしても、これです。




待つという手段は、サイトフィッシング(見釣り)で鯉を狙う以外では、鯉釣りの王道といえるセオリーです。

「待つ」ことは、鯉釣りの本質であり、もう、これなしでは鯉釣りの実態がないとでも言える手段なのです。






「待つ」ことは、わたしたちの社会生活において、ダイレクトに役立つ鯉釣りセオリーのひとつです。

鯉釣りを通じて、「待つ」という手段を知ることで、人生に活路が見出せます。




では、具体的にみていきましょう。


鯉釣りにおける「待つ」という行為には、実は、2つの意味があります。


ひとつは、「待てば海路の日よりあり」的な意味です。

海が荒れている時は、船出せずじっと待っていれば、いつか必ず航海に適した日がおとずれるという意味なのですが、鯉釣り言うところの、「時合い」というものです。


汽水域は言うは言うまでもなく、鯉釣りには、釣れるタイミングと釣れないタイミングがあります。


いくらエサやポイントがよくても、ダメなタイミングにある時は釣れません。そんな時、釣れないからといって、マキエサをいっぱいすると場が荒れて、余計釣れなくなってしまうことがあります。


また、釣れないからとポイントを変えたりなんかすると、変えた途端に前に居た場所にタイミングが訪れ、別の人が大釣りしてしまうことがあります。


さらには、マキエサが効くのを待たず、あせってサオを出すと、逆に釣れなくなってしまうこともあります。


つまり、タイミングではない時は、下手に動かず、じっと待つことが大切なのです。


これを社会生活にあてはめて考えると、


例えば、失敗ばかりしている部下にアドバイスをするものの、なかなかこちらの意図が伝わらないことがあり、同じ失敗をしてしまうことがあります。それはつまり、部下がそのアドバイスを理解できるレベルではないのです。

こんな時は、あれこれ言わず、部下自らが失敗からなにかを学び、自然にそのレベルに達するまで「待つ」のです。

習熟レベルをはかることは、タイドグラフを見るのと同じです。


また、子供に「お前のためだから」と、無理に習い事をたくさんさせても、その子に興味関心がなければ中途半端に終わったり、最悪の場合、習い事に行くと言って、ゲーセンで遊んでしまうことになります。

こうならないためには、親が子供に多種多様な情報を与え、子供自らが行動を起こすことを「待つ」ことが必要なのです。

子供に情報を与えることは、マキエサをすることと同じです。


また、好きな女の子に彼氏がいたら、決して、動いてはいけません。

「私待つわ いつまでも待つわ 他の誰かにあなたがフラレる日まで」(アミン『待つわ』より)というくらい、とにかく待つのです。

人の気持ちは無常です。いつか必ずアタックするチャンスが訪れます。


さらには、何か身の回りにトラブルが起きた時、解決しようとヤミクモに動くのはよくありません。そうすると、事態をより深刻化させてしまうことが多々あります。動けば動くほど、ズブズブと深みにハマっていくことがあります。

周囲の状況がどう動くかをよく観察して、確実に解決できる道が見つかるまで、なにもせず、とにかく動かないことが大切です。



というわけで、


事態が好転するまで待つ。効果が現れるまで待つ。

そのタイミングが来るまで、ただ、じっと待つ。

これがひとつ目の「待つ」の意味です。



もうひとつは、

「人事を尽くして天命を待つ」的な意味です。

つまり、やれることをやったら、あとは何もせず、ただ、結果を待つだけという意味です。



雑誌によると、関氏の釣りは、エサ交換は朝夕のたった2回とのことです。

これこそ、鯉釣りの真骨頂のような釣りです。

朝夕の2回だけというと、約12時間前後放置ということになります。これは、自信がないと絶対できないことです。

私なんかは、アタリが無いとソワソワしてしまって、どうしても、マキエサの追い打ちをしたり、エサやポイントを変えたり、なんだかんだと動いてしましますが。





もちろん、12時間放置というのは、ポイントやエサ、タイミングが合っていればのハナシですから、12時間も何もせずジッと待つには、エサ投入までのプロセスに間違いが無いことが条件です。


ソワソワした気持ちで待つのは、即ち自分に自信がない表れであり、そのプロセスにおいて、努力や工夫や習熟が足りないことの証明です。



このことから、当たり前のことですが、より良い結果を出すには、それまでの過程に全力を注ぐことが大切だということを学べます。


仕事でもプライベートでも、そこそこの努力だけで、良い結果を求めてしまうことがありますが、言うまでもなく、私達の生活は、因果応報です。

結果というのは、それまでの自分のおこないがそのまま表れてくるものなのです。

ですから、そこそこの努力しかしていなかったら、そこそこの結果になって当然なのです。




何もしないで、ただ、結果だけを待つ。


そうするためには、今、何が必要で、何をしないといけないか、ということが、おのずと浮き彫りにされ、しんどいけれど、この壁を越えないと、良い結果は得られないということが自覚できます。

これが、ふたつ目の「待つ」の意味から得られる教訓です。




ただ、一方で、待たずに動いた方がいい結果が出るのではという意見もあります。

歴史上の偉人や、成功者には、決断や行動が早い人が多いようです。

しかし、はたから見れば思いつきのようにとらえられるその行動も、実は、それまでに自分の中になんとなくあったもの、つまり「待ち」の状態であったものが、なにかのキッカケにより、絶妙のタイミングで顕在化してくるものなのかもしれないと私は考えます。





鯉釣りを極めることは、即ち人生を極めることです。


「待つ」という鯉釣りの真髄を会得することで、よりよい道が開かれます。



「かわいい子には、鯉釣りをさせろ」


もうすぐこの格言が辞書に載ります(ウソ)。




現在の鯉力(こいりょく)

35koi / 100koi







先に言っておきましょう。

魚釣りにおける究極のエコロジー。

それは、魚釣りをやめることです。




さて、


わたしたちの価値観は、時代とともに変化します。


ひと昔前なら許されていたことや、共感されていたこと、あるいは、認められていたことが、いつの間にかダメなこと、悪いことになっている例は、枚挙にいとまがありません。


例えばタバコ。

私が小学生の頃は、電車の車内には吸い殻入れがあって、オトナの人がフツーにタバコを吸っていました。今では考えられないことですが、その時代は、電車内での喫煙は、悪いことではないという価値観があったはずです。

それほど煙害がとやかく言われていたことはない時代でした。


電車のみならず、街中のレストラン、トイレ、道端、銀行、公共施設、どんなところにも吸い殻入れがあって、オトナの人がフツーにタバコを吸っていました。


それが今では、すっかり様変わりしています。


規制や罰則は世論を反映しますから、それらは人々の価値観の変化が盛り上がった頃に制定されます。つまり、規制は、世論からワンテンポ遅れるわけです。


ですから、街中から吸い殻入れが姿を消したのは、規制や罰則ができたからではなく、人々の価値観が変わってきたからなのです。価値観というか、「気持ち」の変化とでも言うべきでしょうか。

人々の価値観、気持ちの変化は、システムの変化として、形に現れてきます。



そんなこんなで、最近の喫煙者は肩身の狭い思いをしていますが、「肩身の狭い思い」をしている時点で、実はもう、その価値観を受け入れていることになります。時代の流れをしっかりと感じている証拠です。

時代の流れをまったく把握できていない喫煙者は、どこで吸おうとおかまいなしです。そんな人は、例外といえるでしょう。


「喫煙することは、悪いこと」という価値観。

これは、もう、時代の流れとして、どうしようもないことなのです。



では、


「時代の流れから、価値観が変化し、それによってシステムが変わる」ということをコイ釣りに(強引に)あてはめてましょう。



最近のトレンドは、エコです。

これこそ、ほんのひと昔前なんか誰も言ってなかったことです。

いかに環境に配慮できるかがポイントです。中には、こじつけのようなエコもあって、共感できない類もありますが、多くが、「言われてみれば確かにそうだ。」ということばかりです。


エコの流れは、コイ釣りにも、まもなくやって来ます。

環境保護団体と動物愛護団体の圧力は、間近にせまっていると考えていいでしょう。

ですから、先に考えておこうと思います。


地球とコイにやさしい釣り方です。



ただ、私は真性ナチュラリストではありません。魚釣りは、即ち自然破壊につながるとは思っていないのです。


ですから、一応、軸足は、エコの対極のエゴ(えご)の立場においておきます。つまり、「自然に泳いでいる魚を陸に釣り上げて、楽しみを感じる」という立場なのです。

ここから、どのくらいエコに譲れるか

それを模索してみます。



①ゴミは持ち帰る。

これは当然のことですが、ここから派生して、「釣り場に何も残さない」、さらには、「来た時と同じ状態を復元する」ことを意識します。

必要以上に踏み荒らしたり、木を倒したり、草を根っこから抜いたりしないようにしようと思います。


世界の自然公園では、トレイルコースの外にあるものは、小石ひとつ、葉っぱ一枚でも動かしてはいけないというルールがあるところがあります。

そこまではやりませんが、意識としては、そんな感じです。

できるだけ、それまでの自然環境を変えないようにしようと思います。


②まきエサを少なくする。

これは前回のブログでほぼ解決しています。

コイが満足しない量、それは、つまり食べきれる量ということになります。残さないようにすることがポイントです。


保存料の問題もありますが、元々そこには存在しないエサを大量にまき、それが水底に残ってしまうのは、そのままダイレクトに自然破壊につながりそうです。


何度も言いますが、欧州スタイルは大量のまきエサがスタンダードです。スポッドで底に積もるほどジャンジャンまきます。しかし、福安氏と佐々木氏の功績により、ジャパンズスタイルは少量のまきエサが主流となっています。このスタイルを尊重していこう思います。




③鉛のオモリをやめる。

鉛を含めた重金属は、生物に甚大な健康被害を及ぼします

コイ釣りは、特に大きな鉛のオモリを使いますが、それがラインブレイクで外れてしまえば、鉛が少しずつ水中に溶け出し、水が汚染されます。これも、大変インパクトの強い環境破壊です。

たまに、背骨が曲がったコイの写真を見ますが、鯉師のオモリが原因ではないとは言い切れません。

さらには、その水を私たちが飲んでいるかもしれないと思うと・・・。


古館氏「さて、みなさんは、『捨てオモリ式仕掛け』という言葉をご存知でしょうか。これは鯉釣りをする人が・・・」


宮根氏「湖の底に、鯉釣りのオモリがめっちゃぎょーさん落ちてんの、知ってはりますう?」


テレビの突撃取材を受けた鯉師「そんなん、みんなやっとるやろうが!あっち行けや!しばくぞコラァ!」


こうなったら、当分コイ釣りはできなくなります。



④1本針、バーブレスフックを使う。

これは、環境というより、コイにやさしい釣りかたです。

最近では見かけませんが、以前の雑誌には、口のまわりが血まみれになっているコイの写真が掲載されていました。何本も針を仕込んだ仕掛けが原因ですが、フツーに考えたら、こんなのよくないと思います。


また、カエシのない、バーブレスフック(スレ針)も使います。というか、現在使っています。ヘアリグではなく、直接針にホシイモなんかをつけた場合、針を飲んでいることが多いのですが、こんな時でも、スルッと外せます。


バーブレスを使うことによるバラシの確立がどうかというのは、まだ十分なデータをとれていませんが、そもそも、ゲームフィッシングなのだから、バラす可能性が残っていても全然いいのです。



⑤カープマットを使う。

ポイントは、身体の表面についている「ヌメリ」をとらないことです。

カープケアのナゾその3 で書いたように、フカフカのアンフッキングマットは、メンテが大変です。ですから、私はプチプチ(エアキャップ)を2枚重ねで使っているのですが、表面がツルリとしているので、しっかりと水で濡らして使用すると、ヌメリをとってしまうことは少ないと思います。


また、メーカーの「使い捨てカープマット」の開発販売を待っています。



⑥コイをキープしない。


⑦サオは3本以上出さない。

私の最終的な目標は、1本のサオで釣ることとしています。

鯉力が100koiになれば実現可能かと・・・。



・・・と、書いてみましたが、あまり新しいこともなく、ありきたりの内容になってしまいました。


別に、「みなさんこうしましょう」と訴えているわけではなく、自分自身の考えを決めておくこと、危機感とも言える意識を持つことを目的としています。


誰かに責められるのがイヤなのではなく、なんとなく、自分の気持ちがこういう流れになってきたということなのです。




現在の鯉力(こいりょく)

29koi/100koi








コイの闘争心をあおって、食いをたたせるという方法を、片山氏や福安氏の記事で読んだことがあります。


フィーディングを工夫して、コイがエサを奪い合うような状況を作り出すという方法です。コイがもっとエサを食べたくなるように、フィーディングの量をコントロールするのです。



小中学生の頃、よく、近所の川や池で五目釣りをしていたのですが、たまに、3メートルと離れていない友人のサオだけ、入れ食いになることがりました。

同じ仕掛け、同じエサで、ポイントもこれといって差があるわけでもないのに、そこだけお祭り状態で、入れては食い、入れては食いの状態になります。

もちろん、自分にもたまにそれが当ることもありました。


今思うと、これが、「闘争心」と関係があるのかもしれません。

その場所だけ、魚の闘争心に火がついて、エサを奪い合っていたのだと考えられます。


そういう経験から、この「闘争心論」は、魚釣りにはかかせないセオリーで、コイ釣りにも絶対に有効だと考えました。


具体的な方法を探り、自分のコイ釣りに生かしていこうと思います。





ところで、


この、「闘争心」をあおるという釣法。



多分、これは、わたしたちの社会生活にあてはめると、


ハングリーマーケティング


という手法なのではないかと、ふと思いつきました。




「売れすぎで販売中止」

「数量限定で入手困難」

「入荷まで数ヶ月待ち」


こんな言葉を聞くと、私たちは、「オリャー!なんか知らねぇけど、オレにも売ってくれー!!」ってなことになります。


ハングリーマーケティングとは、市場に供給する数量をあえて減らして、限定性、希少性を演出し、消費者の飢餓感をあおって、購買意欲をかきたてるという、商売方法のひとつです。


家電やゲーム、健康食品なんかでよく使われる手法です。


「限定モノ」なんて聞くと、やっぱり欲しくなってしまうのが、わたしたちの性です。

また、


みんなは持っているのに、ボクだけ持っていない」


というのもなんだかイヤで、それほど欲しくないのに買ってしまうこともあります。


これをコイ釣りにとり入れたのが、「闘争心をあおる」という方法なのです(多分)。


ちなみに、突発的な条件で、一時的に品薄になることがあります。

例えば、インフルエンザが流行して、マスクが売り切れるとか、鯉釣り大会の前にボイリーが売り切れるといった現象です。

これらは、ハングリーマーケティングではなく、単に、生産が追いつかないとか、仕入れが間に合わないだけの話です。


ですから、暑い日に、ガリガリ君が売り切れていたからといって、駄菓子屋のおばちゃんに、「ハンマケやってんじゃねぇぞ」と言うのはやめてあげて下さい。




では、具体的にシミュレーションしてみましょう。


ハングリーマーケティングを成功させるポイントは、なんと言っても、市場に出す数量を抑えることです。コイがもっとエサを欲しがるように、少な目にフィーディングすることがポイントです。そのポイントにいるコイを満足させてはいけないのです。


群れの一部がエサを食い、その捕食する音を周りに聞かせることが必要です。

コイがエサを食べている音が、周りのコイの食指を刺激するのです。

参照「集魚音のナゾ」


そうすれば、「あれ?!みんなナニ食ってんの?オレの分は?」というコイが、必ず浮き彫りにされます。そのコイは、かなりあせっているはずです。


「オイオイ!どうなってんだ?オレだけまだ食ってないよー。釣り人さんよー!ボイリー カモーン!」


となったところで、フックベイツ投入です。もちろん、フックには、フィードベイツと同じものをつけておくことが大切です。参照「フックベイツのナゾその2」


イメージとしては、これで、釣れないわけがありません。




しかし、実は、この「少な目のフィーディング」が難しいところで、多すぎはもちろんダメですが、少なすぎてもダメなのです。適切な量をまくことが、成功のポイントなのですが、しかし、その適切な量をはかるのが、ひとつの課題ともいえます。


佐々木氏によると、自分の釣り場に何尾くらいのコイがいるかを、あらかじめイメージしておいて、フィーディングの量をコントロールする必要があるとのことです(雑誌より)。福安氏と同じく、まき過ぎは逆効果と説いておられます。



さて、


次に、



商業のハングリーマーケティングにおいて、それを成功させるためのもうひとつのポイントは、


「ある程度の知名度と、潜在的なファン」の存在です。



例えば、私がコイ釣りエサを開発販売したとして(その予定はまったく無いです)、「これは良く釣れます!今回は、数量限定50袋のみの販売です!」とやったところで、売れるわけがないのです。

それがイイという、「前評判」的なことが必要なのです。


この条件をコイ釣りにあてはめると


「コイがそのエサがウマイことを知っていて、さらに、その日、絶対に食べるエサ」


ということになります。


実は、これもなかなか難しいところです。



私は、「コイは、一年中同じエサを食べているわけではない」という山田名人の言葉(書籍からですが)の呪縛により、エサの迷いが常にあります。

私にとって、その日、絶対に食べるエサの選定は、至難のワザかもしれないのです。





・・・なんてことを考えると、ちょっと、くじけそうになりますが、


例えば、福安氏、佐々木氏共に「まきすぎは逆効果」と雑誌で説いておられます。

両名とも、エサを売ってナンボの商売をされているにもかかわらずです。しかも、本場ヨーロッパでは、環境問題になるほど、ボイリーを撒き散らすのがスタンダードですが、あえて、少量のフィーディングを推奨されているというところに、このハングリーフィーディング(造語)の価値を感じるのです。私なら「まけばまくほど釣れますよよ~アハ♪」とPRすることでしょう。



コイ釣りは、1にポイントですが(と言われていますが)、フィーディングの仕方も、釣果を大きく左右する重要な作業であると思います。

もしかすると、自分の想像以上に、ものすごく影響が大きいかもしれません。

そんな気がしてきました。



「少量(適切な量)のフィーディング」

「前評判」

「その日、絶対に食うエサ」


闘争心をあおる釣り方のポイントとして、この三つが今後の課題となってしまいました。









もう少し考えてみようと思います。




現在の鯉力(こいりょく)

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と言っても、コイが左寄りの思想を持っているという話ではありません。


コイは赤い色のエサを好むというウワサを聞いたことがあります。

また、昔から、コイ釣りのハリスといえば、赤く染めたタコ糸です。


「赤いものが好き」な理由を探してみましょう。



ていうか、


このナゾも、


実は、私なりに、ちょっと解けてます。


コレ↓です。

「鯉とサツマイモ」


つまり、コイはポリフェノール類の、アントシアニンを好むからです。

アントシアニンは、だいたい赤い色をしています。


ただ、これでは、少しパンチが足りませんので、もうちょい頑張ってみましょう。




先日、なんとなく山田勲氏の著書を読んでいると、サツマイモ以外に使えるエサとして、こんなのが挙がっていました(20年前発刊の本なので、その後変化している可能性はありますが)。


「トウモロコシ、麦、米、スイカ、トマト、カボチャ、バナナ、ダイコンの葉、大豆、栗」


今でこそ、バナナ味のボイリーや、ナッツ類をエサとして使うことはフツーになりました。しかし、山田氏は、20年も前にそんなことを既に知っておられたことになります。

これには驚きですが、今回はソコではなく、「トマト、スイカ」に注目です。


星の数ほどある食物の中から、トマト、スイカが選ばれている理由は、当然、コイが好んで食うことがわかっているからです。山田氏の経験からの選択だと思うので、疑う余地は無いとしておいてもいいでしょう。



鯉釣り -非現場主義ー

トマトとスイカは見たとおり赤い色をしています。


とっかかりが見つかりました。



鯉釣り -非現場主義ー


トマトやスイカの赤い色は、カロテノイドのリコピンという成分です。

リコピンの働きは、いろいろありますが、中でも、


抗酸化作用


という働きが強いのが特徴です。

この言葉をと聞くと、老化防止だの、お肌にいいだの、と人間の立場に立った機能をイメージしてしまいますが、実際の働きは、


活性酸素をやっつける


というものです。

実は、必要以上に身体に残った活性酸素は、人間を含む動植物にとっては、とても有害な物質で、身体の細胞をズタズタに破壊してしまうのです。

人間なら、死に至る病気のほとんどの原因がコレとも言われています。


活性酸素は、毒なのです。


体内に残る余分な活性酸素の存在は、生物にとっては、命にかかわる脅威なのです。


コイの体内に活性酸素が増える原因は様々ですが、主なものは、水質の影響です。

よく知りませんが、活性酸素が体内にたまりやすい水質っていうのがあるかもしれません。ガリガリにヤセたコイが多いところなんかは、可能性が高いと思います。


また、今の時期だと、紫外線による影響もあります。

強い紫外線を浴びていると、体内に活性酸素のひとつである「一重項酸素」が発生するそうです。

これは、非常に強い酸化作用を持つ、最強最悪の活性酸素です。ほうっておくと、即、死に結びつきます。






なるほど。


コイは知っていたようです。


夏の強い紫外線を浴びて、身体に溜まった活性酸素を消すために、リコピンがいいんだということを、コイたちは本能的にわかっていたのです。


だから、スイカやトマトを好んで食うのです。


だから、「赤」なのです。



鯉釣り -非現場主義ー




ところで、


前述したアントシアニン


実はコレ、ものすごい抗酸化作用があるみたいです。



前のブログでは、「冬の寒さにそなえるため」としましたが、どうやらそれは間違いで、リコピンと同じく、抗酸化作用を期待して、コイは求めていたようです。






どれもこれも、赤い色です。



赤いものが好きな理由は、これで解明されました。






話は変わりますが、


前述の、山田氏の著書の抜き出しの部分で、「ダイコンの葉」とあります。あまり聞きなれません。ついでだから、ちょっと他のエサも一緒に調べてみましょう。

テキトーにコピペしました。


①ダイコンの葉

大根の葉部分には豊富な栄養素が含まれており、特に大根の葉には抗酸化作用の強いβ-カロテンが豊富に含有されている。


②カボチャ

かぼちゃはβ-カロテン、ビタミンC、Eを豊富に含んだ食材で、血液をサラサラにして血管を守り、がん予防にも効果があります。β-カロテンは、抗酸化作用が強く、老化やがんから細胞を守ります


③大豆

大豆イソフラボンとは、そもそも大豆の胚芽に多く含まれているポリフェノールの一種であり、抗酸化作用を持っていることから、活性酸素の発生を抑制する効能があります。


④栗

栗渋皮には、活性酸素の一種であるラジカルおよび過酸化水素に対し、それらを消去する機能を有していることが明らかとなりました。


なんと。


大発見です。


どれもこれも強い抗酸化物質を持っているではありませんか。


しかも、それぞれ、「そういう作用もある」というレベルではなく、ほとんどが活性酸素をやっつけるために存在するような食物です。


アンチ活性酸素の急先鋒ばかりです。






・・・と、ここで、



・・・焦点がボヤけてきました・・。



全部が全部、赤い色だったらよかったのですが、そういうわけにはいかなくなってきました・・・。




ですから、とりあえず、今日のところは、


「コイは、抗酸化作用がある食べ物を常に求めている。そういう食べ物は、赤い色のものが多いため、赤いエサを使うと、コイの反応が良いかもしれない」


ということにしておきましょう。






ところで、



何度も言いますが、この著書は、約20年前に書かれたものです。

食べ物の栄養ではなく、それらが持つ機能の情報は、一般的に知られることはなかったと思います。

ていうか、そういう研究なんて、最近始まったことです。



山田名人は20年も前に、ご自身の経験から、既にナゾを解いていたということになりますが・・・。


・・・。




これはいったい、どういうことでしょう?



☆現在の鯉力(こいりょく)☆

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コイは下げ潮の時によく釣れるそうです。


これは汽水河川で鯉釣りをしておられる多くの方が、指摘されています。もちろん、異なった意見もいくつかありますが、やはり、下げ潮派が多数です。



もうすぐ水かさが減って、場所によっては干上がってしまうこともあるのに、コイはよく

そんなコンディションなんかでエサを食うんだな、と、少し不思議な感じがします。


一方、


海からは遠く離れた湖沼でも、潮の満ち引きが釣果に影響する可能性があると示唆されている方がおられます。

日本のトップアングラーである関氏や片山氏などもその一人です。



もちろん、みなさん、断定されてるわけではありません。結果的にそうだったという表現です。

しかし、雑誌に掲載されている、その方々の釣果のデータを見てみると、これはもう、「フツーに関係あるじゃん」としか言いようがありません。(確かに三方の多くは汽水域ですが、水かさや海水比率の変化が著しい汽水河川ほどではありません)



潮を考慮すれば、コイ釣りの釣果が上がる可能性が見えてきました。


鯉釣り -非現場主義ー



ではここで、


潮の満ち引きって、なんなのか、今一度確認しておきましょう。



潮の満ち引きというのは、月と太陽の引力、地球の自転による遠心力などが作用して、地球の海の水が盛り上がったり、下がったりする現象です。

もっと正しい表現の仕方は別にあると思いますが、だいたいこんな感じの理解でOKです。



そうです。


宇宙からの引力なのです。


中でも、最も影響を及ぼしているのが、月の引力です。



鯉釣り -非現場主義ー


汽水河川では、明らかに水の移動がわかりますが、湖沼では、ほとんどわかりません。

それでも潮の上げ下げがコイ釣りの釣果に影響があるのは、単なる水かさの問題ではなく、「引力の影響」と仮定すれば、何か発見があるかもしれません。





潮の満ち引き(月の引力)は、わたしたち人間を含めたあらゆる生物に、なんらかの影響を与えます。


地球規模で海水が移動するくらいの作用があるわけですから、月の引力が生物に及ぼす影響は、計り知れないものがあるはずです。


特に満潮と新月(または満月)の頃が重なった時が、文字通り最高潮(大潮)で、引力も最大になり、サンゴが産卵したり、月下美人が開花したり、狼男が狼に変身したりします。これ以外でも、大潮に起こる生物の生理活動の例は、枚挙にいとまがありません。



月の引力が強い時、生物の活性が上がるのは、間違いありません。


ところで、私たちは、「活性が上がる」と聞くと、イコール「コイが口を使う」ということをイメージしてしまいます。


しかし、そうではないようです。


冒頭に書いた通り、コイは満潮の時ではなく、潮が下げて行く時、つまり、引力がゆるんでいく時に釣りエサを食べるのです。





では、大潮の満潮時、コイたちはいったい何をやってるのでしょうか?



私の想像ですが、



この時、つまり、引力が最大の時



多分、コイたちは、








ラリってます。


引力で完全に「キマってる」わけです。


多幸感に浸り、恍惚の表情を浮かべるコイ。万能感に浸り、空中でムーンサルトをきめるコイ。全速力で泳いだり、ツイストなんかを踊っているコイもいるかもしれません。


引力の麻薬に溺れているわけです。


食事なんかしている場合ではないのです。


(あ、ついて来れてますか?)




さあ、しかし、


楽しい宴も長くは続きません。


いよいよ満潮が終わり、潮が下げ始めます。つまり、引力がどんどん下がっていきます。

下げ始める頃は、まだ誰も気付きません。なんとなく余韻に浸っているところです。


しかし、干潮に向かって20%ほど下げた頃、


「なんか、ヤバくね?」


と誰かが言い出します。

それを合図に、みなが一斉に捕食行動に移るのです。

頭の中は、恐怖感と焦燥感に支配され、半ば盲目的に釣りエサにも飛びつくのです。


大物ほど我慢強いので、干潮近くまで耐えます。ですから、干潮ギリギリに大物がかかる可能性は高くなります。



ところで、

引力がゆるんでいく時に、なぜコイたちは積極的にエサを食べるのか。



実は・・・、



その理由はすでに明らかになっています。



コレです↓


「捕食タイミングのナゾ」

「『コイの活性が上がる』のナゾ



つまり、引力がゆるみ、それに気付き始めたとき、コイは生命危機を感じているのです。


だから、口を使うのです。


引力は、生物にとって活性を上げる好材料ですから、それがゆるむ時、「これはヤバイ」ってことになるのです。






というわけで(途中飛躍しましたが)、今回は、諸先輩方々のデータを参考に、私のモーソーを加えれば、



タイドグラフを利用すれば、湖沼でも絶対に釣れる時合いがわかる。



という結論になりました。


決して新しいセオリーではないにしても、自信を持ってタイミングをチョイスすることができそうです。

この日、この時間、コイは絶対に口を使うという時合いがわかれば、釣行回数が少ない私でも、一撃必殺、乾坤一擲(けんこんいってき)をたたきこめるはずです。


狙える日は、最も引力の高低差がある、「新月の頃の大潮満潮時から、干潮にかけて」です。


今度は、7月31日の夜あたりでしょうか・・・。



おわり



☆現在の鯉力(こいりょく)☆

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※全文に「・・・と、個人的にはそう考えます」が抜けてますので、ご注意ください。


























「鯉釣りは一日一寸」と言われています。



釣り場に何度も足を運び、費やした時間によって、なにかが確実につかめてくるということです。


とはいえ、釣り場に頻繁に通っても、ただ、漫然と釣りをしていてはいけません
その日の気候や地形などの環境的なデータはもちろんなこと、エサやタックルなどの実験的データなんかも、細かく記録しておく必要があります。


いや、もしかすると、その日、着ていた服や、飛んでいた鳥、食べた弁当、吸っていたタバコ、同行者のエサなど、もっともっと細かなことも記録して、それが結果にどのように影響するのかをデータとして残しておく必要があるのかもしれません。



もちろん、記録したものは、自分の頭に記憶し、フィールドで照合していくという作業になります。




これを実践されたのが、名人故山田勲氏です。


書籍で様々な情報に触れるにつけ、やはり、山田氏は、一日一寸の鯉釣り道の王道を歩まれ、やがて思い通りの鯉釣りを実践された方なのだと思えます。

こんなビッグネームを私が語る資格は、ゼロ以下なのは百も承知ですが、雑誌やらなんやらで、どうすれば鯉が釣れるのかと調べてみると、やっぱりここにたどり着くことになります。

ちなみに、私が本格的に鯉釣りヲタクになったのは、ここ数年のことですから、山田氏に会ったことはおろか、現役時代を見たことも聞いたこともありません


すべて書籍やネットからの情報です。

山田氏が弁当の中身まで記録されていたかどうかはわかりませんが、多分それくらい細かなケースデータを収集されておられたことは間違いないでしょう。

そして、観察力のみならず、データを結果に結びつけるための、記憶力と分析力と行動力が人並み外れていたことは、容易に想像がつきます。


ソリューションスキルが、非常に高かったといえます。 



手品師のように思い通りに鯉を釣り、占い師のように釣り場を読むのは、決してトリックや神通力ではなく、緻密なデータの裏付けが絶対にあったはずです。



私は、大物や数を釣りたいという思いは当然ありますが、その先に、自分が思い描いた通りに鯉を釣りたいとい希望があります。

それには、やはり、一日一寸しかないという考えに至りました。


ところが、



実は、私、大きな声では言えませんが、、、、







鯉釣りは、1年に6回くらいです。




なんか、すみません。



釣りに行きたい気持ちはあるものの、仕事やら家庭やらゴルフ?やらで、なかなか機会を作ることができません。


これではダメです。



このペースだと、目標達成には、350年くらいかかりそうですし、なにより、鯉釣りを語る資格は、これまたゼロ以下です。


結局は、鯉釣り本を何度も読み返したり、ネットで、人の釣行記をコソコソ読んだりして、日々、鯉釣りをしている気分になっているだけです。




ん?




日々、鯉釣りをしている気分・・・


日々、鯉釣りをしているキブン・・・


日々、鯉釣りをしているジブン・・・



毎日、鯉釣りをしている自分。



バンザーッ・・・・・・。




いや、


ていうか、もう、これでいいんじゃないかと、ふと考えました。


つまり、フィールドに行かなくても、毎日、鯉釣りのことを考えていれば、一日一寸には及ばずとも、一日一厘くらいはいけるんじゃないかと。


これは、開き直りなのですが、別に誰に気を使うってこともないですから。




今は、ネットで様々な情報が手に入る時代です。


鯉釣り情報だけでなく、それに使えそうな、各分野の専門知識なんかも、シロートでも机に座っていくらでも集められます。


また、実家でホコリを被っていた過去の鯉釣り本なんかにも、実は、『ナゾだらけの鯉釣り』で書いていたような疑問の答えが書いてあったりするんです。



それらをパクって参考にして、シャッフルすれば、なにか新しいことに気付くかもしれません



元にするネタは、過去現在の鯉師と呼ばれる方々の理論です。

つまり、さんざん語られたであろう今までの鯉釣り理論を、あらてめて見直し、そこに隠された真の意味を探して、自分なりに理由付けしていこうと思います。



前回のブログは、従来の理論を少々否定的に扱っていましたが、今回は、すべて肯定するというスタイルにしていこうと思います。



ただし、



最後はやっぱり「鯉に聞いてみないとわからない」ことだらけなので、結局は、空想、妄想、誤解が多くなるということは仕方がないと、これまた開き直りましょう。




まさに、


温故知新 


換骨奪胎 


先人の知恵を元に、想にふけり、自分なりの鯉釣り理を再構築する。



そんなことを始めてみましょう。



★現在の鯉力(こいりょく)★

    5koi / 100koi



※注意 コメントへの返信は激遅です。