
コトラーとドラッカー
読書が良い悪いを論じるつもりはありません。しかしながら、今月の日経新聞のフィリップ・コトラーの「私の履歴書」を読んでいて思ったことがある。
もしも、若い頃にコトラーやドラッカーを知っていた人間と、その論文を読みながら自分なりのエッセンスに昇華させた人間がいたとしよう。
少なくても、今回はじめてコトラーとドラッカーを知った人間、これから両氏の論文を読む人間がいたとするならば、時間の差があればある程に、埋めようのない知や思考の能力差があって当たり前だということである。
ただし、その差が良いとか悪いとかというものでもない。最も重要なことは、そうした差があるという事実を知っておくべきであるということだ。
晩安!