今夜、久しぶりに子どもたちの顔を見ることができました。私にとって、やはり「家族はモチベーション」なのだ。もちろん他にもたくさんのモチベーションがあるのだが、やはり、家族の顔を見ること、そして、子どもたちの笑顔はたまらないものである。


 政治家にとって大切なのは



 将来と将来に対する責任である



 今夜、帰宅してから、マックス・ヴェーバーを読んでいる。ヴェーバーの『職業としての政治』は何度となく読む本の一つである。何度か、本ブログでも紹介していますが、「読んでおきたい大人の古典」ではないだろうか。以下、本書より引用したい。


 ところが「倫理」はこれについて苦慮する代わりに、解決不可能だから政治的にも不毛な過去の責任追及に明け暮れる。政治的な罪とは――もしそんなものがあるとすれば――こういう態度のことである。しかもその際、勝者は――道義的にも物質的にも――最大限の利益を得ようとし、他方、敗者にも、罪の懺悔を利用して有利な情勢を買い取ろうという魂胆があるから、こういうはなはだ物質的な利害関心によって問題全体が不可避的に歪曲化されるという事実までが、そこでは見逃されてしまう。「卑俗」とはまさにこういう態度をこそ指す言葉で、それは「倫理」が「独善」の手段として利用された結果である。


 引き続き、本書の最後にある言葉を引用したい。


 自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が――自分の立場からみて――どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間、そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。

職業としての政治 (岩波文庫)/マックス ヴェーバー