今日は祝日、成人の日。こちらは日差しはあるものの寒風の1日である。テレビでは恒例により、沖縄をはじめとする成人式の式典と場外での模様が風物詩のように映し出されていた。

 今年の新成人は124万人。少子化のこの国では、当然のこと年々、史上最低ということになる。

 新聞のアンケートによれば「新成人の9割が日本の将来に不安」という回答だったという。その理由は「政治が安定していない」「格差社会になっている」などだ。雇用では「就職に対して不安を感じている」との回答が82.4%だ。また日本の将来について「自分たちの世代で日本を変えていきたい」との回答68.4%だった。

 私は成人式の式典に出てはいない。当時、20歳という時期にしかできないことに夢中だった。その軍資金を稼ぐアルバイトにも精を出したものだ。今のように携帯電話もなければインターネットもない時代だった。日本も大きく時代は変わったが、成人の日は祝日法が改正されたものの、現在も継続している。

 成人の日、年に一度くらいは、新成人だけでなくすべての大人が、当時の自分を振り返りながら、将来に何をもたらせるかを考えてみてもよいのではないだろうか。

 次代の人々にどんな鍵をわたすことができるだろうか。


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 18歳の誕生日に、鍵の形にデザインしたカードを両親から贈られる。君は大人だから、門限はない。何時に帰って来てもよい。どこで何をしても構わない。今日から自分の人生を自分の責任で生きなさい。成人を祝う英国の慣習である。

 日本で成人の儀礼といえば、全国各地で開かれる成人式だ。振り袖や羽織はかま姿の初々しい若者が、地元の公会堂などに集まって、市長の祝辞や有名人の講演を聞いたりする。騒いだりふざけたりして、壇上から一喝されることもある。大人の仲間になった祝典なのにこれではまるで教室の先生と生徒のようだ。

 成人の日で祝福すべき相手は、成年に達する若者だけだろうか。お酒も飲めるし、選挙で投票もできる。親が認めなくても結婚や契約を自分で決められる。さまざまな自由や権利への鍵を渡された新成人が、うれしい気分になるのは当然だが、鍵を渡す側の親が肩の荷をおろして、ホッとする祝日であってもいい。

 世界を見回せば、ほとんどの国は成人年齢が18歳。日本の若者は未熟でありたいと自ら望んでいるわけではなかろう。大学に保護者会があり、親を対象にした就職案内も盛んらしい。子離れできない未熟な親が、なんと多いことか。子供に鍵を渡さず、管理下に置き続けたい大人のエゴも、今日で終わりにしたい。

(日本経済新聞 2010・1・10 春秋より)



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