よい戦略と何であろうか?この素朴な疑問に対する1つの考え方を、本日の日経新聞の春秋で見つけた。シンプルで的を得た、しかも読みやすい短文だ。
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日本を代表する大企業の事業戦略会議。部門ごとに発表が進む。ところが多くの人が、戦略と似て非なるものの発表に終始した。そんな体験を、会議に招かれた一橋大学の楠木建教授が著書「ストーリーとしての競争戦略」で披露する。
例えば売上高や利益率などの数字。目標設定それ自体を戦略と取り違えている。部を分けたりリーダーの直属チームをつくったりの組織改編。これも手段と戦略の混同だという。戦争でいえば敵陣を指し、隊列を整え、しかし道は示さず「後は勝手に戦え」と言うのと同じだと嘆く。これでは兵隊は浮かばれない。
市場環境やライバル社の分析、流行のビジネス用語を駆使した文章もそのまま戦略ではない。最後は「不退転の決意で」といった気合と根性で締める。これなら誰でもリーダーが務まりますね。楠木さんが苦言を呈すると、内容ではなく、「一言で部下を動かす迫力が腕の見せどころなんだ」と反論されたそうだ。
よい戦略とは、わくわくする物語であるべきだと楠木さん。自分たちの仕事が、どう世のため人のために役立つか。リーダーの語る物語を社員も共有できるなら、仮に仕事が大変でも「明るい疲れ」になるはず、と。間もなく仕事納め。年明けにトップが語る「今年の戦略」は、聞く人をわくわくさせるだろうか。
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いろいろな場面で、戦略の重要性が言われるのであるが、「目標」ないしは「戦略」と、「手段」の混同するようなことが間々ある。
例えば、昨年の政権交代で脚光を浴びだ、「マニフェスト」などが最もわかりやすいものだ。もっともこの「マニフェスト」には、当初から財源問題の不安があったのは言うまでもない。政権交代からの15ヶ月間に、「マニフェスト」いや、政権交代というダイナミズムに期待されたような成果があったであろうか。もともと不安はあったものの、期待されたダイナミズムより、むしろ内向きな閉塞状態のようになものを感じているのは、私だけではないのだろう。
この状況にも、「戦略」と「手段」の混同があるのではないだろうか。気合と根性ではないが、「手段」が中心で、場当たり的な発言なども多く、正直なところ残念でならない。
一方の野党も、国会中継を見ていて質問レベルの低さには驚愕した。政治家もリーダーであるはずだ。もっと、わくわくするような未来を語るべきだ。そして、保守的なものばかりでなく、攻撃的な「戦略」を打ち出すべきだ。
この国だけが、変化しないというポジションでいたとして、世界は常に大きく、激しくも逞しく変化しているのだ。変化の波に飲み込まれるようなことにならぬように、しっかりと将来の戦略を語ってほしい。悲観と非難ばかりではなく、この国に必要な変化を巻き起こす、そんな新しい年を迎えたいものだ。
ボーン・ナターレ!![]()

