毎日の新聞というのは楽しいものである。インターネットとは、またちがった趣がある。日々いくつかの新聞に夢中になる。そんな朝の時間は大切だ。その後、少しずつテンションを上げていく。私の一日のはじまりは、毎日だいたいこのようにしてはじまる。


昨日の朝、日本経済新聞の一面の紙面最下に毎日掲載される<春秋>に目が止まった。ぜひ、みなさんとも共有したく、かんたんにご紹介したい。



公営の職業紹介施設は1911年、当時の東京市が浅草と芝に開いたのが始まりだ。今の公共職業安定所(ハローワーク)の原形にあたる。第1次世界大戦後の不況で失業者が増えると、国の補助で市町村が営む職業紹介所が広がった。


が、給料や仕事内容が求職者の希望に沿うよう職を探すことは、昔も大変だった。ある職業紹介所では、事務員希望の人で就職できたのは2~3割ほど(尾崎盛光著「日本就職史」)。そのころから職業紹介施設には、求職者が自分でも気づいていない適性を見極め、その人に合った仕事を提案する力が問われた。


国の出先機関改革のなかでハローワークの地方移管が議論されている。国と自治体が共同で運営する案もある。だが国であれ地方であれ、職業紹介機能をもっと高めようという声はあまり聞かれない。失業を本気で減らそうとするなら組織のあり方より、ハローワーク本来の役割に目を向けることが大事なはずだ。


国家の統制が強まった戦時下、職業紹介は国へ移された。戦後も民間の職業紹介は規制され、官営のハローワークが今も幅をきかせている。紹介サービスを充実しようと官と民が競っていれば、多少なりとも職を見つけやすくなっていたのではなかろうか。ハローワーク改革は仕事を民間にゆだねることが本丸だ。



世界のあちこちに就職についての問題が存在する。それぞれの国の事情は異なるが、私が見てきたいくつかの国と日本を見る限り、官営より民営のほうがベターではないかと感じる。官営の場合、どの国も概ね利潤を追求しないから、だいたいにおいて無駄な設備や豪華な建物をつくるのである。利潤追求はよくないという単純なことではなく、利潤を追求するからこそ、無駄を省くのである。世界的に共通するのは、官営は競争という実体がないから、市民感覚としておかしなことを当たり前のように平気でやり続ける。だから民営のほうが健全な場合が多いことがある。これはアダム・スミスが生きた250年近く前の時代からの真実ではないだろうか。


新聞による情報、この情報の積み重ねによって、インフォメーションからインテリジェンスとなることもあるように思うのだ。情報と情報の間、情報の先、これらを類推していく頭の体操だ。この作業を毎日の日課としてきた。そんな楽しみ方も新聞にはあるように思うのである。


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晩安


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