「~のために」行うことをやめる




どれほど良いことに見えても、


「~のために」行うことは、卑しく貪欲なことだ。




誰々のためにであろうとも、何々のためであろうとも、


それぞれが失敗したと思えるときには相手、


もしくは事情や何かのせいにする心が生まれるし、


うまくいったと思えるときには


自分の手柄だとする慢心が生まれるからだ。




つまり、本当は自分のためにだけ行っているのだ。




けれど、純粋に能動的な愛から行われているときには、


「~のために」という言葉も考えも出てくるこことはない。



   『ツァラトゥストラはかく語りき』