前編で私たち3人がマツダ車でその本拠地である広島をドライブする様子をお伝えしました。いつものとおり最後の最後にきっちり辻褄を合わせるというこの3人らしい旅だったのですが、本題に移る前に前回ご紹介しきれなかったオフショットのご紹介。

ドライブ旅前日に乗った路面電車。新旧様々なタイプが走っていましたが、古いタイプに乗っているとアニメの世界に迷い込んだような錯覚さえ感じました。


ドライブ当日に訪れた大和ミュージアムは戦艦大和以外に

まさかの零戦まで!広島にいるのに、我が家で私の帰りを待っているレガシィが恋しくなった瞬間でした。


食事を済ませて立ち寄った海上自衛隊の施設では、かつて機雷除去で活躍した潜水艦の中に


やっぱり乗り物の運転席は楽しい

と思ったら、潜望鏡を見ているMr. マイペースと私を盗撮していたドリフト番長

私がスマホを見ているソロショットまでこっちはMr. マイペースの仕業だったww

潜水艦の入り口でドヤるドリフト番長

からの、聖地に足を踏み入れて感慨を感じたり。

そして、Mr. マイペースはミュージアム見学でヤニがすっかりきれてしまい、しれっとマツダの喫煙所を間借りしていたのでしたwww

そんな私たちは広島市街に戻り、夜の街の散策へ。

ここでも、いい歳こいた野郎どもがお互いの写真を撮り合うという地獄絵図を繰り広げていたのですが、

はしご酒をしながら私の頭の中ではあることがずぅっと浮かんでいました。

しばらくすると、その建物が目の前に。


そう、日本人が忘れてはならない遺産である原爆ドームです。

さんざんふざけたことを言って書いておきながら、私はずぅっとこう思っていたのです。


「この出来事こそが広島の人たちのパイオニア精神を強めたのではないだろうか」と。


もちろん、この悲劇によって失われたものはあまりにも尊すぎる。大和ミュージアムのいろんな展示を見るたびに私が思っていたのは、その技術力の高さとともに戦争という行為の虚しさとやるせなさでした。それについてを語れるほどの頭の良さを持ち合わせていないのでこれ以上の話をすることは控えますが、その出来事について向き合うことを忘れてはいけないと思わされました。

私がマツダというブランドを好きになった理由は、そんな悲劇を襲った街にある小さな小さなメーカーがロータリーエンジンという個性的なエンジンでクルマ好きに愛されるブランドに成長する過程にあります。


コルクの製造会社として創業したマツダは3輪トラックから自動車の設計, 製造を開始。ちょうどマツダの本社が位置する近くと爆心地は山で隔てられていたということもあり、奇跡的に被害がなかったマツダの本社は敗戦直後の広島市などの公共施設が間借りしていたというエピソードがあるほど。

そんなマツダが軽自動車 R3604輪車の設計・製造に参入したころ、当時の通産省は国内の自動車メーカーを3社に絞るという構想を持っていました。それを知った当時の社長である松田恒次は「一発逆転ホームラン」として現在のアウディが設計したロータリーエンジンを量産することを決意。ときの首相などの有力者も巻き込んで、メルセデスやロールスという強力なライバルがいる中でその技術を買い付けることに成功します。


ところが、そのロータリーエンジンはとても量産できるようなシロモノではないことが試作車で判明。謎の黒煙に連続運転をすると燃焼室のローターにできる引っ掻き傷。記念すべきロータリーエンジン量産第1号となるコスモスポーツの開発責任者を務めた山本健一は若手の技術者と「ロータリー47士」とも呼ばれる開発チームを編成し、その難敵に立ち向かいます。


そんな苦難の末に誕生したコスモスポーツ。デザインも当時の日本車では主流だった海外デザイナーに任せることなく社内のデザイナーが造りあげたもの。仕事をサボって映画を観に行っていた彼が描いた斬新なデザインが、宇宙開発が加熱した当時の世相を反映して「コスモスポーツ」と名付けられるきっかけとなったのだとか。


その後排ガス規制に有利なことからさまざまな車種に搭載された時期もあったものの、オイルショックによりその燃費の悪さから敬遠されることに。それでも、当時のマツダに融資した人は「それでロータリーをやめるような会社の商品なんて欲しくないでしょう」と融資をしたと言います。


会社の存亡をかけて新技術を勝ち取った経営者、それを量産化する技術を生み出したエンジニア、そんなパッケージに真新しいフォルムを与えたデザイナー、その技術が風前の灯火となってもそれを守り抜くことを支援したパトロン。すべての人が広島出身でなくても、きっと見たであろう原爆ドームの残像がその人たちの次なる一歩の原動力となったのではないでしょうか。

だからこそ、マツダにはどうしてもお願いしたいのです。ロードスターやSKYACTIVも、それをものにする原動力はそんな数奇な運命を辿ったロータリーエンジンがあったからこそ。ロータリーにはレンジエクステンデッドEVの発電機用エンジンとして残すということが公言されていますが、それよりもやってほしいことがあります。このエンジンを、ドライバーの魂と直結させるためにどうかその鼻先に積んでやってほしいのです。


負の遺産から生まれた新たな遺産。それはこの曲が歌うように、悔しくて報われない思いをした人だけが見つけられるものだと思うから。