ご苦労様でした、皆さん。 全48回、一年間通して見てきて、報われましたか?
このワンポイントも最終回。なので、最後に僕(西股)自身の感想を書いておきたいと思います。
今までも折に触れて書いてきたように、僕は、このドラマの本質は“ファミリーの物語”だと思っている。いや、別に僕が書かなくても、同じようなことは三谷さん本人も言っているのだけれど、僕があえて「家族」ではなく「ファミリー」の言葉を選ぶのには、理由がある。
現代の僕らは、「家族」というと夫婦と子供、ないしはプラスおじいちゃん・おばあちゃんくらいの集団をイメージしてしまう。でも、このドラマが語っている「ファミリー」は、もっと大きな範囲だ。北条ファミリーなら、時政とその子供たちを中心に、娘婿である全成殿・畠山殿・稲毛殿なんかも含んだ範囲。平盛綱のような郎党だって、泰時のファミリーに含まれている。そんなファミリーの壮大な物語なのである。
そして、鎌倉幕府の成立とは無数のファミリーが相克を繰り返しながら、御家人としての「家」を確立してゆく物語でもある。僕が、自著『鎌倉草創』のサブタイトルを「東国武士たちの革命戦争」としたのも、ベースにこんな思いがあるからだ。
なので僕は、鎌倉幕府の成立史を“策謀と暗闘の歴史”みたいに考えるのは、違うと思う。『鎌倉殿』のドラマを“権力のバトルロイヤル”みたいに面白がるのも、好きじゃない。『鎌倉殿』は、坂東武士の頂点を目ざしたファミリーの切ない物語だと思うのだ。
ゆえにこのドラマでは、善と悪、正と邪、理と非とを対立的・二元論的には描いていない。義時の変貌ぶりは、世間では「闇落ち」と呼ばれ、「どんどんダークになってゆく」「義時が嫌いになりそう」という感想を持った人も多かったようだ。でも「善→悪」みたいな単純な話じゃないことに、僕らは最後の最後に直面させられたのだ。
というか、そもそも人間やら世の中のできごとやらを善と悪、正と邪、理と非みたいに、二元論的・二律背反的に捉えるのがおかしいのである。そんな当たり前のことに、改めて気付かされるのは、このドラマが一年間、全48回を費やして「単純じゃないもの」「割り切れないもの」「わかりやすくないもの」を描いてきたからだろう。
それでこそ、「大河ドラマ」の存在価値があるのではないか。「単純じゃないもの」「割り切れないもの」「わかりやすくないもの」を描くには、長い時間が必要なのだ。そして、今や「単純じゃないもの」「割り切れないもの」「わかりやすくないもの」を、僕らに考えさせてくれるドラマ枠は、大河しかないのである。
…というわけで、僕は2年半という時間、このドラマにどっぷりと関われたことを、本当にうれしく思う。いい経験であったなあ、と…。
(西股総生)
《ワンポイントイラスト》
ありがとう小四郎。鎌倉のために生きた男。
(みかめゆきよみ)