【今週のワンポイント-3】挙兵は武器と防具から | 人生竪堀

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TEAMナワバリングの不活発日誌

 頼朝が鎌倉幕府を興したのは、今から800年も前のこと。

 と、文字で書けば簡単なんだけど、この「800年前」というタイムスケール感、ピンときますか?

 わかりやすく説明しましょう。大坂夏の陣が慶長20年(元和元)=1615年なので、今から406年前。頼朝が挙兵した治承4年は1180年だから、大坂の陣から430年さかのぼることになる。

 つまり、現在から『鎌倉殿の13人』頼朝までさかのぼる、ちょうど中間点くらいが『真田丸』というわけだ。いい換えるなら、僕らが関ヶ原や大坂の陣を「昔のこと」と思うのと同じくらい、幸村から見て源平合戦は「昔のこと」だったわけだ。

 なので、社会の仕組みや人々の価値観などが、だいぶ違う。もちろん、戦いの有り様も大きく違う。武士たちが、鎧を着て刀を振り回して戦っている、という意味では、似たような感じがするかもしれないが、『真田丸』の戦いと『鎌倉殿』の戦いとは、まるで別物とイメージして間違いない。

 まず、武器の種類が違う。『鎌倉殿』の時代に使われた武器は、弓矢と太刀、薙刀、それにせいぜい腰刀などの短刀類くらいで、いたってシンプル。戦国時代の主力兵器だった槍は、まだない。では、『鎌倉殿』時代の主力兵器は何かというと、間違いなく弓矢である。だから、今回のタイトルバックも、弓矢を主力に戦っていた時代をイメージしたものとなっている。

 それから、甲冑のタイプが違う。『鎌倉殿』の時代に、身分の高い武士が着ていたのは大鎧というタイプの甲冑で、戦国時代の甲冑とは形も構造もずいぶん違う。

 何より、戦いのスタイルが違う。『鎌倉殿』の時代は、武士どうしの個人戦が基本。なぜなら、この時代の武士たちがもっていた武力は、自分の家と所領を守るためのものだからだ。土地に根を張り、家と所領を大事にする地方武士たちの生き様は、第1話〜第3話までのドラマからも感じ取れたと思う。

 要するに、田舎の脳筋ヤンキーが、馬をブンブンふかしながらタイマン勝負をする、と思えばよい。そのときの最大の武器が弓矢。他の誰より強力な弓で、遠くまで正確に飛ばせるヤツがえらい。だから、一本ずつ矢に名前を書いたり、矢羽根のガラにこだわったりする。

 細かい話は別の機会にするが、大鎧とは馬に乗って弓矢で戦うための形なのである。

 

(西股総生)

 

《ワンポイントイラスト》

 

 

お久しぶりの幸村くん。鎌倉時代から戦国時代へ、400年を経て動きやすくて集団戦法しやすいものに変化!

 

(みかめゆきよみ)