思えば、父はずっと歯科医であり続けると思っていた。
祖父の代から、二代に渡って続けていた鈴木歯科。
祖母の家も愛媛で歯科医をしていたというから、そこから数えればもう三代になる。
もちろん僕の弟が歯科医をしているので、もう四代続いていることになるのかもしれない。
だけど父は弟に
「気仙沼に戻る必要はないぞ。ここはもう、父ちゃんの代で閉めるから。
おまえは、求められる場所でしっかり自分のことをやれ」
と言って、より都会でいい仕事をできる歯科医になって欲しいと望んでいたのだと思う。
それでも弟にも戻る気持ちはあったと思うのだけれど、そこに東日本大震災が起きた。
いろいろな思いや葛藤があったとだろうが、今は弟も関東で多くのスタッフを抱えるクリニックの院長として頑張っている。
だから。
気仙沼の鈴木歯科は、年内を持って終わることになる。
それを前に、僕とワカでいろいろ考えたんだ。どうやって、思いを伝える?って。
最終日に花を贈って「お疲れさま」というのも、なんか違う。
父は鈴木歯科がなくなっても、生涯歯科医であり続けることに変わりがないと、僕は思っているから。
だけど、何かをしたかった。
これまで支えてくれたスタッフのみんなにもお礼を伝えたいと思った。
何より父と母に大きな「ありがとう」を伝えたかったんだ。
そこで思いついたのが、彼の顔だった!!!
僕たちの思いを汲んで、それを目いっぱい表現してくれる。
しかも、鈴木歯科を建てた祖父は、大のうなぎ好きだったから。
そう
ちなみに祖父の時代は、従業員の採用面接の時に最初に聞くことは決まって
「あなたはうなぎが好き?」
だったという。
それは毎年、土用丑の日はスタッフ全員にうなぎを振舞って「うまい、うまい」とみんなで笑顔で食べるのが何よりの楽しみだったからだ。
だから、うちの関係者はみんなうなぎが好きなのだ。
そして、この書も一緒に。
見て下さい、この熱い書を。
これはもちろん、
この男。
笠間のうなぎ量深の馬場万作大将の筆なのだ。
僕たちにも、こんなに熱い言葉を贈ってくれる。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20221218/19/team-born/f6/a9/j/o1080081015217960963.jpg?caw=800)
父も母も、そしてスタッフみんなも喜んでくれたみたいだ。(ま、それ以上にたまげたというのが本音だろうけど(笑))
震災の影響で移転を余儀なくされる前までは、海のそばにあった鈴木歯科。
診察室は全面ガラス張りだったので、
きれいに気仙沼内湾が一望できました。
じいちゃんばあちゃんと見た景色、懐かしい。
父ちゃん、母ちゃん。
そしてスタッフの皆さん、これまで本当にありがとうございました。
そしてワカさんも本日発行のメルマガ(ワカさんの戯れ遊び)にて、思いを書いていましたので。
その一部をブログでも抜粋して公開したいと思います。
気仙沼の義父が、この12月でついに歯科医院を閉めることを決めた。
結婚する前から出入りして、およそ20年。
東日本大震災で全壊してしまった昔のビルから引っ越して、もう9年か。
検死やご遺体の確認とか、あの時の義父は町の神様だった。
こんなに働いて死んでしまうんじゃないかと心配したこともあったけれども。
たぶん義父は間違っていないのだ。そして、今でもまだ、波に飲まれた行方不明者のことを気にしている。
「俺は医者だからあたりまえなんだよ」と嘯くが、そんなパパもやっぱり歳を取った。
ママも歳取った。
50年、歯科をしたらしい。すごいなあ。50年。
ただ粛々と、患者さんの歯を見続けた。
嫁に行った時分は「いつかこの歯科も畳まなきゃならないのかな。だけど、ずっと先のことだろう」って思っていたのに、
ついにこの日が来るんだなあ。
冬に閉めるというのが、なんだかパパらしいのだ。
「仕事辞めたら退屈じゃん」と私が言うと、
「バカ言うな。やっと自由だ。それにしばらくはスキーをするからいいんだよ」と楽しそうだったからまあいいか。
パパ、おつかれさま。従業員のお姉ちゃんたちも本当にありがとう。
ママもずっとパパのそばでありがとう。なるべく穏やかに過ごしておくれ(切実)。
ママには困ることも多いのだけど、私の姑は世界中探しても絶対この人しかいないと思っている(笑)。
というわけで、父ちゃん母ちゃん!!
今後も元気でよろしくお願いしますね!!
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たくさんの方のご参加とご協力、ありがとうございます!!
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