一遍上人は鎌倉時代に生まれた仏教ニューウェイブ、鎌倉新仏教
の中心人物の1人でしょう。

それまでの仏教が国家鎮護の目的で招来された国家プロジェクトで
あったのに対しその当時に勃興したニューウェイブは民衆の仏教を
目指しました。

このようなニューウェイブが生まれる背景には国家の争乱、飢饉に
よる不安定、閉塞感がバックにあります。

しかし文字も読めない民衆に仏教を教えるのは。。。。。

一遍上人は2つの方法を使いました。

$tealeafの占い、スピリチュアルな話

この写真、日本史の教科書でご覧の人が多いと思います。
一遍上人から300年前の空也上人の像です。

<その1>
ただひたすら「南無阿弥陀仏」を唱える。
その6文字を唱えると1文字1文字が仏様になる。。。。

この方法には深い瞑想的な理解がベースにあります。
けど、ひたすら願い唱えるだけなら誰でも出来ます。


さらに民間芸能、田楽と融合した『踊り念仏』なる方法も
あったとか。


<その2>
そして信心の無い人相手でも気にせずひたすらお札を配りまくる。
きっかけ、縁になればOKです。教えを押し付ける必要も無い。
熊野に行った時、ひらめいた方法、神仏の啓示のようです。


そんなこんなで本州、四国、九州を行脚した一遍上人は死ぬに際して、
全てを燃やしてしまったとされます。こんな語録があります。

「一代聖教みなつきて南無阿弥陀仏になり果てぬ」

なんともアッサリしたものです。これなんでしょうね。
武士道に近い自由の境地、みたいな?


ですので一遍上人語録は記録に基づいて作られたものです。

一遍上人については知識も関心もさっぱり無くて、京都河原町の
商店街で偶然ゆかりのお寺を見つけて本を読もうと思いました。

私が購入したのは一穂社のもの。
ムダに関係のない文章を付けすぎた詩人の本もありますが、
今回購入した一穂社の本は岩波文庫の復刻です。

余計どころか、解説ほとんどナシ。
読みにくいですが、じっくりわかるまで。。。。。
たっぷり時間をかけていいんだろう、と。

語録から、いくつか紹介します。

念仏の行者は知恵をも愚痴をも捨、善悪の境界を
もすて、貴賤高下の道理もすて、地獄をおそるヽ心を
もすて、極楽を願う心をもすて、又諸宗の悟をもすて、
一切の事をすてヽ申念仏こそ、弥陀超世の本願に
尤かなひ候へ、


六道輪廻の間にはともなふ人もなかりけり
独りむまれて(生まれて)独り死す生死の道こそ
かなしけれ


此事、夢も現も共に夢なり。当世の人の悟ありと
ののしるはこの分なり。まさしく生死の夢さめれば此悟は
夢なるべし。實に生死の夢をさまさんずる事は、
ただ南無阿弥陀仏なり。


本来無一文なれば、諸事において實有我物のおもひをなす
べからず。一切を捨離すべし。


心の外に法を見るを名づけて外道といふこと。
心の外に境を置きて念をおこすを迷といふなり。
境を滅して獨一なる本分の心に妄念はなし。