“真昼の星” | はみだし講師ラテン系!

“真昼の星”

ひかえめな 素朴な星は
真昼の空の 遥かな奥に
きらめいている
目立たぬように——。

はにかみがちな 綺麗な心が
ほのかな光を見せまいとして
明るい日向を
歩むように——。

かがやきを包もうとする星たちは
真昼の空の 遥かな奥に
きらめいている
ひそやかに 静かに——。


昨日、中3の国語の授業に出てきた詩です。
そう、吉野弘さんの作品です。
広島に原爆が落とされた日に、
吉野さんの作品を読むなんて、
何だか感慨深い気持ちになりました。
吉野さんの作品は数多く問題に出典されています。
受験勉強でも、こういう素晴らしい作品に出会えるのだから、
勉強することもまんざら悪くないと思っています。
吉野さんの作品に出てくる人は、
みんな控え目で、好感が持てます。
好きな詩をあと二つ載せます。
もちろん、吉野さんの作品です。


“生命は”

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命はすべて
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
私は今日、
どこかの花のための
虻(あぶ)だったかもしれない
そして明日は
誰かが
私という花のための
虻であるかもしれない


“夕焼け”

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。 
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて-----。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持で
美しい夕焼けも見ないで。


今日も授業です。
子供たちに何か伝えられたら、
そんな気持ちで向き合いたいと思っています。