東京大空襲
今日はテレビを見ようと思っていましたが、
結局仕事が終わらずに見られませんでした。
亡き父が話してくれた“東京大空襲”、
疎開先の木更津から見た東京は真っ赤に燃えていたそうです。
もちろん、日本橋箱崎町にあった父の生家も燃えてしまいました。
次の日、東京湾岸は波で運ばれた真っ黒な灰で覆い尽くされたそうです。
空襲警報が鳴り、急いで倉庫の中に逃げ込み、震えていたそうです。
爆弾が落ちると、にわか雨のような音がしたそうです。
終戦を迎えると、祖父(父の父親)が隅田川(大川)を流れてくる材木を引き上げて、
家を建てたそうです。
昭和20年、父が10歳の時の話です。
当時、トウモロコシやすいとんばかり食べていたそうで、
トウモロコシを食べている父の記憶はありません。
結局仕事が終わらずに見られませんでした。
亡き父が話してくれた“東京大空襲”、
疎開先の木更津から見た東京は真っ赤に燃えていたそうです。
もちろん、日本橋箱崎町にあった父の生家も燃えてしまいました。
次の日、東京湾岸は波で運ばれた真っ黒な灰で覆い尽くされたそうです。
空襲警報が鳴り、急いで倉庫の中に逃げ込み、震えていたそうです。
爆弾が落ちると、にわか雨のような音がしたそうです。
終戦を迎えると、祖父(父の父親)が隅田川(大川)を流れてくる材木を引き上げて、
家を建てたそうです。
昭和20年、父が10歳の時の話です。
当時、トウモロコシやすいとんばかり食べていたそうで、
トウモロコシを食べている父の記憶はありません。