Father's Son
2008年1月12日の日記
焼跡の灰の中から 強く高く飛び立った
落ちてゆく 夕日めがけ 西の空を見上げて
父が入院しています。
肝臓ガンになって10年、3年前に脳梗塞。
頑張って生きていると思います。
昭和10年、1935年4月17日生まれのB型。
今、病室で酸素マスクをしています。
自力で呼吸が出来なくなりました。
いつかこんな日が来ると分かっていたけれど・・・。
もう少し頑張って、そして、もう一度話をしようよ。
だって、最後の会話が、
「もう、仕事にいっていいよ」
その前が、
「テレビのカード買ってきてくれ!」
って、もう病室でテレビも見られなくなっているのに・・・。
また、書きます。
病室からは東京タワーがとってもきれいです。
2008年1月13日の日記
仕事をしていました。
日曜日でしたが、朝から受験生、
小6と中3の授業がありました。
仕事を休むことは考えていませんでした。
社長からは、代理の講師を立ててと言われていましたが・・・。
午前中、小学生の授業をして、
午後、中学生の授業をしていました。
休憩時間にふと携帯を見ると、
妹からの着信がありました。
気になって、でも怖くて電話出来ずにいました。
が、気になるくらいならと、
してみました。
妹が、
「お父さんの脈が弱くなり、
お医者さんが家族を呼んで下さいと言われたけど、
今は持ち直したよ。」
と。
安心して、でも、不安なまま、授業を続けました。
しばらくして、妹から電話がありました。
普段は携帯には出ませんが、
この時は出ました。
妹が、
「お兄ちゃん、もう、お父さんの心臓が動かなくなるよ。」
泣きながら叫んでいました。
「もう間に合わないよ。」
と言って授業を続けました。
そうして、授業が終わり、すぐに病院に向かいました。
地下鉄で妹からの着信、そして、留守番電話を聞くと、
「お兄ちゃん、間に合わなかった。」
と録音されていました。
病院に着いて、病室に行くと、
父が胸の前で手を組んでいました。
泣きました。
色んな想いがありました。
父の意識がなくなってから、
病室に行くと、父の手と足のむくみを取ろうと、
マッサージをしていましたが、
どうして、生きている時にもっと優しく出来なかったのかと、
そして、ずっと親に逆らって、親の言うことを聞くことなく、
生きてきた自分の人生を振り返りました。
たった、2日間だけです。父に優しく出来たのは。
明日、明後日で父を送ります。
昨日、今日と仕事に没頭しました。
せめて、この2日間は父のために生きます。
2008年1月29日
寒い日が続いておりますが、
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
僕は受験を控え(自分自身ではありませんが)、
忙しい日々を送っております。
後厄年が明ける直前の出来事に、
叔母から、
「あんたの厄は全部お父さんが持っていってくれたね。」
と言われ、最後まで父親に守られていたと、感じています。
通夜では、甥っ子(父から見て孫)の高校1年生と、
葬儀場で最後の夜を過ごしました。
二人で遅くまで、ろうそくの火と線香の火をまもりながら、
父親のことをたくさん話しました。
通夜でも告別式でも感じたことは、
誰にも嫌われることなく、
家族にさえ大きな負担をかけずに、
本当に誰にも迷惑をかけずに、
父親は生きてきたのだということでした。
火葬のあと、出てきた真っ白な骨を見て、
癌と10年向き合ってきたのに、
しっかりした立派な骨だと思いました。
抗がん剤や鎮痛剤をあまり使わなかったのでしょう。
入れ歯も一本もなかったので、健康な歯が沢山あり、
火葬場のおじさんに褒められていました。
足元から不明な金属(輪になったもの)が出てきて、
皆で何だろう、何だろうって、考えていたら、
中学2年生の姪っ子(孫)が、
「おじいちゃんの愛用のたわしの金具だよ!」
って、
皆で大笑いしました!
最後まで、明るい葬儀になりました。
年を重ねていくことで、成長出来るように、
日々を大切に生きていきたいと思います。
焼跡の灰の中から 強く高く飛び立った
落ちてゆく 夕日めがけ 西の空を見上げて
父が入院しています。
肝臓ガンになって10年、3年前に脳梗塞。
頑張って生きていると思います。
昭和10年、1935年4月17日生まれのB型。
今、病室で酸素マスクをしています。
自力で呼吸が出来なくなりました。
いつかこんな日が来ると分かっていたけれど・・・。
もう少し頑張って、そして、もう一度話をしようよ。
だって、最後の会話が、
「もう、仕事にいっていいよ」
その前が、
「テレビのカード買ってきてくれ!」
って、もう病室でテレビも見られなくなっているのに・・・。
また、書きます。
病室からは東京タワーがとってもきれいです。
2008年1月13日の日記
仕事をしていました。
日曜日でしたが、朝から受験生、
小6と中3の授業がありました。
仕事を休むことは考えていませんでした。
社長からは、代理の講師を立ててと言われていましたが・・・。
午前中、小学生の授業をして、
午後、中学生の授業をしていました。
休憩時間にふと携帯を見ると、
妹からの着信がありました。
気になって、でも怖くて電話出来ずにいました。
が、気になるくらいならと、
してみました。
妹が、
「お父さんの脈が弱くなり、
お医者さんが家族を呼んで下さいと言われたけど、
今は持ち直したよ。」
と。
安心して、でも、不安なまま、授業を続けました。
しばらくして、妹から電話がありました。
普段は携帯には出ませんが、
この時は出ました。
妹が、
「お兄ちゃん、もう、お父さんの心臓が動かなくなるよ。」
泣きながら叫んでいました。
「もう間に合わないよ。」
と言って授業を続けました。
そうして、授業が終わり、すぐに病院に向かいました。
地下鉄で妹からの着信、そして、留守番電話を聞くと、
「お兄ちゃん、間に合わなかった。」
と録音されていました。
病院に着いて、病室に行くと、
父が胸の前で手を組んでいました。
泣きました。
色んな想いがありました。
父の意識がなくなってから、
病室に行くと、父の手と足のむくみを取ろうと、
マッサージをしていましたが、
どうして、生きている時にもっと優しく出来なかったのかと、
そして、ずっと親に逆らって、親の言うことを聞くことなく、
生きてきた自分の人生を振り返りました。
たった、2日間だけです。父に優しく出来たのは。
明日、明後日で父を送ります。
昨日、今日と仕事に没頭しました。
せめて、この2日間は父のために生きます。
2008年1月29日
寒い日が続いておりますが、
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
僕は受験を控え(自分自身ではありませんが)、
忙しい日々を送っております。
後厄年が明ける直前の出来事に、
叔母から、
「あんたの厄は全部お父さんが持っていってくれたね。」
と言われ、最後まで父親に守られていたと、感じています。
通夜では、甥っ子(父から見て孫)の高校1年生と、
葬儀場で最後の夜を過ごしました。
二人で遅くまで、ろうそくの火と線香の火をまもりながら、
父親のことをたくさん話しました。
通夜でも告別式でも感じたことは、
誰にも嫌われることなく、
家族にさえ大きな負担をかけずに、
本当に誰にも迷惑をかけずに、
父親は生きてきたのだということでした。
火葬のあと、出てきた真っ白な骨を見て、
癌と10年向き合ってきたのに、
しっかりした立派な骨だと思いました。
抗がん剤や鎮痛剤をあまり使わなかったのでしょう。
入れ歯も一本もなかったので、健康な歯が沢山あり、
火葬場のおじさんに褒められていました。
足元から不明な金属(輪になったもの)が出てきて、
皆で何だろう、何だろうって、考えていたら、
中学2年生の姪っ子(孫)が、
「おじいちゃんの愛用のたわしの金具だよ!」
って、
皆で大笑いしました!
最後まで、明るい葬儀になりました。
年を重ねていくことで、成長出来るように、
日々を大切に生きていきたいと思います。