作文の添削 | はみだし講師ラテン系!

作文の添削

夏休みの宿題に出された作文の添削をしました。
ある学校の学年一番の中3女子生徒が持ってきました。
テーマは環境についてと人権についてで、
それぞれ2000字程度の文章でした。
さすが学年一番だけあって、構成も言葉の使い方も良く、
ほとんど手直しは必要なかったのですが、
人権の方の作文には感動し、驚嘆しました。
内容は差別についてだったのですが、
自分自身がしている差別を客観的に捉え、
自分自身が心ならずしてしまっている小さな差別が、
大きな差別を生んでしまうのではないのかと、
自分自身を戒めているのです。
具体的に電車に乗る時の自分を例に挙げて、
次のように書いていたのです。

電車に乗る時には周囲を見て、変な人がいないか確認して、
それから、座席が空いていたら、そこに座るのですと。
しかし、その行為自体が人を差別的に見ているのではないかと、
そして、そういう行為を差別と捉え、
それが、いつしか大きな差別になってしまうと、
だから、そういうことを自分がやめることから、
自分にとって、差別をなくすことが始まると結んでいるのです。

立派過ぎると思いました。が、僕はそれは差別ではないと、
自分の意見を次のように話しました。

世の中に犯罪がある以上、善い人ばかりがいるとは限らないし、
親の立場なら、安全確認はしてもらいたいと。
しかし、そういう見方が差別ではないとは、
言い切ることは出来ませんでした。

作文の内容について、今まで、
これ程考えさせられたことはありません。
普通は言葉遣い、言い回し、誤字脱字を指導するくらいなのです。

僕自身、差別をしようなどとは思ってはいませんが、
全ての人を受け入れるなどということは、考えたこともなかったからです。

彼女の考え方は素晴らしいことです。
しかし、現実にはどうでしょうか?
電車内であっても、路上であっても、どこでも犯罪は起きます。
僕は、彼女にそんな犯罪に巻き込まれて欲しくありません。

いつか、彼女の崇高な理想が実現出来る社会、
全ての差別がなくなる社会になって欲しいと願いながらも、
その部分に関しては、変えた方がいいのではと提案し、
故ダイアナ妃が全ての人に分け隔てなく接したことも話しました。

彼女はそんな天使みたいな人になるのだなと思いました。