旅行記~その2 | はみだし講師ラテン系!

旅行記~その2

続きです。
おばあさまのところを13:00頃出発し、
この旅行のメインである“山寺”を目指しました。
“おこわ”のおかげですっかり車の中ではいい気持ちで寝かせて頂きました。
一応弁解しますが、寝てばかりいたわけではありません。
仙台駅~定義寺~おばあさまのところまでは運転させて頂きました。
(運転していない時は何故かとても眠たくなる体質なのです。)
ちなみにこのおばあさま、僕たちが着いた時、
庭先を掃除していらっしゃったのですが、
せっかく集められた落ち葉の入ったチリとりを持ったままお辞儀されたので、
せっかく集められた落ち葉が全部落ちてしまいました。
実はこの友人の家系はかなり面白く、
このおばあさまの娘、つまり友人のお母さまも(お会いしたことはありませんが)、
相当そそっかしいらしいのです。
勿論、この友人も相当なものですが・・・。

紅葉は定義寺の周辺の山々もとても美しく、
奥羽山脈の大きさを感じる紅葉でした。
当たり前ですが東京では見ることの出来ない、
山の稜線の連なりに感動しました。

さて、“山寺”です。

山寺登山口
さすがに紅葉シーズンで、ほぼ周辺の駐車場は一杯でしたが、
登山道入り口近くの土産物屋の駐車場に止めることが出来ました。(一回500円)
そこから歩いて、ここまで来ました。

芭蕉
登山道に入ってすぐ、この像が出迎えてくれました。(芭蕉翁)
さらに、

曽良
この人も。(曾良)

山寺中門
ほんの少し歩くと山門があり、一人300円の拝観料を納め、山道を登り始めました。
約1000段の階段を上り、“奥の院”まで行きましたが、
ハイシーズンでかなり混雑していましたので、
静けさを感じることは出来ませんでした。
ここを一人だけで歩きたいなと思いました。
恐らく、平日の朝一番くらいしかチャンスはないでしょうが、
もう一度来ることが出来れば、是非そうしたいと思いました。
ただし、混んでいても“紅葉”は素晴らしいものでした。
天気も良かったので、とても気分良く登ることが出来ました。

山寺山頂
貞観2年(860年)頃より円仁(慈覺大師)が修行の場として開いたのが、
この立石寺“山寺”なのですが、
何故この場所なのかというのは、行ってみて分かりましたが、
素晴らしい景色だけではなく、険しい山道を切り開くことも修行だったのでしょう。

しかし、平安初期、坂上田村麻呂が蝦夷征伐を果たしてからとは言え、
寒い土地によくこんな立派なお寺を建てたものだと、
関心してしまいます。
それだけ、朝廷、貴族、寺社の力が強大だったとも言えるのですが・・・。
“定義寺”もそうでしたが、“天台宗”の力の大きさを感じました。
“定義寺”はその後、改宗しています。

その3に続きます。