60回目の夏
終戦から、もう随分時間が経ってしまいました。
父から、以前、少しだけ戦時中のことを聞いたことがあります。
父は昭和10年(1935)生まれです。
伯父(父の兄)が二人戦死しています。
戦死したのは遠い南の島です。
父が60才の時に、二人でオーストラリアに行きました。
途中、インドネシア上空で、緑の熱帯の島々が見えました。
おそらく伯父たちはこの島々のどこかで死んでしまったのだと思いました。
父は“沖縄”、“サイパン”、“グアム”には行きたくないと言ってます。
戦争の傷跡を思い出すからと言ってました。
そして、一度だけ、
戦死した兄(伯父)の遺骨が戻ってきた時のことを話してくれました。
母(祖母です。僕が生まれる前に亡くなっています。)が、
遺骨を前に泣いていたそうです。
ただ、それだけです。
ただ、それだけで、戦争をしてはいけない理由が分かりました。
いつの時代でも、
どこの国でも、
どんなに豊かになろうとも、
人の心は変わりません。
悲しみの連鎖を断ち切らなければならないのです。
難しいことですが、人間なら出来ると信じています。
父から、以前、少しだけ戦時中のことを聞いたことがあります。
父は昭和10年(1935)生まれです。
伯父(父の兄)が二人戦死しています。
戦死したのは遠い南の島です。
父が60才の時に、二人でオーストラリアに行きました。
途中、インドネシア上空で、緑の熱帯の島々が見えました。
おそらく伯父たちはこの島々のどこかで死んでしまったのだと思いました。
父は“沖縄”、“サイパン”、“グアム”には行きたくないと言ってます。
戦争の傷跡を思い出すからと言ってました。
そして、一度だけ、
戦死した兄(伯父)の遺骨が戻ってきた時のことを話してくれました。
母(祖母です。僕が生まれる前に亡くなっています。)が、
遺骨を前に泣いていたそうです。
ただ、それだけです。
ただ、それだけで、戦争をしてはいけない理由が分かりました。
いつの時代でも、
どこの国でも、
どんなに豊かになろうとも、
人の心は変わりません。
悲しみの連鎖を断ち切らなければならないのです。
難しいことですが、人間なら出来ると信じています。