お悔やみ申し上げます。
アイビールック」石津謙介さん死去
1960年代に一世を風靡(ふうび)した「VAN」ブランドの創始者で、
高度成長期の男性ファッションに大きな影響を与えた服飾評論家の
石津謙介(いしず・けんすけ)さんが24日午前2時02分、
肺炎のため亡くなった。93歳だった。
岡山市出身。明治大学商科専門部卒。家業の紙問屋を継いだが廃業し、
中国に渡って洋品店で修業。戦後、大阪の服飾メーカー勤務を経て、
大阪で紳士服メーカー「ヴァンヂャケット」を設立した。
1955年に東京へ進出。
ボタンダウンのシャツに細身のスラックスという米国東部の
名門大学群「アイビーリーグ」の学生ファッションをヒントに
提案した「アイビールック」が爆発的な人気を呼んだ。
このスタイルで東京・銀座のみゆき通り周辺にたむろする若者が
「みゆき族」と呼ばれ、社会現象にもなった。
僕がファッションに興味を持ち始めた高校生の時、
残念ながら《VAN》はありませんでしたが、
基本はアイビーでした。
当時、『POPEYE』と『HOTDOG』を読んで、
「アイビールック」の真似をしていました。
謙介さんの記事も良く読んでいました。
靴はリーガルのペニーローファー、
〈当時は作りが今より良かったです。〉
ボタンダウンのワイシャツ、
〈ハサウェイ製なんて生意気にも、今はないのかな?〉
細身のパンツ(従兄弟のお下がりVAN製)をはいて、
ネイビーのブレザー(ハーバード製)を着て、
というのが、最高のオシャレでした。
それから、自分で働くようになってから、
J.PRESSを着るようになって、それから、
あこがれのBrooks Brothersのスーツを
青山本店で買った時のうれしさは今も覚えています。
もちろん、まだ、現役で着られますよ。
おそらく、僕のようなファッションをしている人は、
みんな、謙介さんの影響でしょうね。
本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
1960年代に一世を風靡(ふうび)した「VAN」ブランドの創始者で、
高度成長期の男性ファッションに大きな影響を与えた服飾評論家の
石津謙介(いしず・けんすけ)さんが24日午前2時02分、
肺炎のため亡くなった。93歳だった。
岡山市出身。明治大学商科専門部卒。家業の紙問屋を継いだが廃業し、
中国に渡って洋品店で修業。戦後、大阪の服飾メーカー勤務を経て、
大阪で紳士服メーカー「ヴァンヂャケット」を設立した。
1955年に東京へ進出。
ボタンダウンのシャツに細身のスラックスという米国東部の
名門大学群「アイビーリーグ」の学生ファッションをヒントに
提案した「アイビールック」が爆発的な人気を呼んだ。
このスタイルで東京・銀座のみゆき通り周辺にたむろする若者が
「みゆき族」と呼ばれ、社会現象にもなった。
僕がファッションに興味を持ち始めた高校生の時、
残念ながら《VAN》はありませんでしたが、
基本はアイビーでした。
当時、『POPEYE』と『HOTDOG』を読んで、
「アイビールック」の真似をしていました。
謙介さんの記事も良く読んでいました。
靴はリーガルのペニーローファー、
〈当時は作りが今より良かったです。〉
ボタンダウンのワイシャツ、
〈ハサウェイ製なんて生意気にも、今はないのかな?〉
細身のパンツ(従兄弟のお下がりVAN製)をはいて、
ネイビーのブレザー(ハーバード製)を着て、
というのが、最高のオシャレでした。
それから、自分で働くようになってから、
J.PRESSを着るようになって、それから、
あこがれのBrooks Brothersのスーツを
青山本店で買った時のうれしさは今も覚えています。
もちろん、まだ、現役で着られますよ。
おそらく、僕のようなファッションをしている人は、
みんな、謙介さんの影響でしょうね。
本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。