子供の人格って
中学生なら自分の意志で志望校を決めることでしょう。
まあ15歳ですから、昔なら社会に出て働いている年齢だったと思いますから。
しかし、中学受験、つまり小学生となると、ちょっと状況が違ってきます。
この教室の小6の二人も、受験生です。都立の中高6年一貫校を受ける予定です。
小5の生徒も小4の生徒も受験を考えているようです。
もちろん、本人ではなく、保護者の方が、ですが。
さあ、ここからですが、勉強するのは本人です。
本人にやる気があればいいのですが、無い場合、やる気を出させるには
どうすれば良いのでしょう?そして、それは、誰がやるのでしょう?
僕自身、中学受験を行い、都内のまあ有数の私立中に通いましたが、
なんと当時、自分で受験をすると宣言し、勉強を始めたのです。
ですから、親にとっては青天の霹靂だったことでしょう。
なにしろ、下町の受験て何?というような、地域に住んでいたのですから。
<今も住んでおりますが。>
それからが大変でした。まさに受験戦争真っ只中の戦場に、
下町育ちのやんちゃ坊主と何の知識も無い母親が
飛び込んでいった訳ですから。
当時、日能研は創設間もない頃で、名門は四谷大塚、二番手に日進という時代、
小6から突然始めた受験勉強、四谷は遅くても小5からが基本だったと思いますが、
もちろん、四谷に入れる訳も無く、
とりあえず、近所の大学生のお兄さんに勉強を教わりました。もちろん有料です。
そして、当時誰でも受け入れてくれた、日能研に入塾し、
日曜日ごとに四谷大塚と日能研のテストをダブルヘッダーで受け、
週何回か家庭教師がやってくるという一年が始まりました。
母親の苦労は、と言えば、大変なものだったと当時も今も実感していますが、
それでも、主体は私自身であって、勉強の大変さ、面白さ、やり方を学び、
そして不合格のくやしさと、合格の喜びを知ったのも、
本当に私だけであったと思います。
母親は母親で自慢の息子、それで十分。仮に合格してもしなくても、息子は息子。
それだけだと思います。
でも、やさしい子供は親の期待に応えようと苦しむでしょう。
特に上手く行かない時は、親も子供を思って、必要以上に言葉が過ぎることも
あるでしょう。
僕は子供に言っています。
何でも過ぎはダメだよと、勉強し過ぎなんて、最悪だよって。
遊び過ぎ、テレビを見過ぎ、ゲームをやり過ぎもダメだよって。
ずっと、言い続けようと思っています。
昔の人の言葉の重さを本当に感じるようになりました。
まあ15歳ですから、昔なら社会に出て働いている年齢だったと思いますから。
しかし、中学受験、つまり小学生となると、ちょっと状況が違ってきます。
この教室の小6の二人も、受験生です。都立の中高6年一貫校を受ける予定です。
小5の生徒も小4の生徒も受験を考えているようです。
もちろん、本人ではなく、保護者の方が、ですが。
さあ、ここからですが、勉強するのは本人です。
本人にやる気があればいいのですが、無い場合、やる気を出させるには
どうすれば良いのでしょう?そして、それは、誰がやるのでしょう?
僕自身、中学受験を行い、都内のまあ有数の私立中に通いましたが、
なんと当時、自分で受験をすると宣言し、勉強を始めたのです。
ですから、親にとっては青天の霹靂だったことでしょう。
なにしろ、下町の受験て何?というような、地域に住んでいたのですから。
<今も住んでおりますが。>
それからが大変でした。まさに受験戦争真っ只中の戦場に、
下町育ちのやんちゃ坊主と何の知識も無い母親が
飛び込んでいった訳ですから。
当時、日能研は創設間もない頃で、名門は四谷大塚、二番手に日進という時代、
小6から突然始めた受験勉強、四谷は遅くても小5からが基本だったと思いますが、
もちろん、四谷に入れる訳も無く、
とりあえず、近所の大学生のお兄さんに勉強を教わりました。もちろん有料です。
そして、当時誰でも受け入れてくれた、日能研に入塾し、
日曜日ごとに四谷大塚と日能研のテストをダブルヘッダーで受け、
週何回か家庭教師がやってくるという一年が始まりました。
母親の苦労は、と言えば、大変なものだったと当時も今も実感していますが、
それでも、主体は私自身であって、勉強の大変さ、面白さ、やり方を学び、
そして不合格のくやしさと、合格の喜びを知ったのも、
本当に私だけであったと思います。
母親は母親で自慢の息子、それで十分。仮に合格してもしなくても、息子は息子。
それだけだと思います。
でも、やさしい子供は親の期待に応えようと苦しむでしょう。
特に上手く行かない時は、親も子供を思って、必要以上に言葉が過ぎることも
あるでしょう。
僕は子供に言っています。
何でも過ぎはダメだよと、勉強し過ぎなんて、最悪だよって。
遊び過ぎ、テレビを見過ぎ、ゲームをやり過ぎもダメだよって。
ずっと、言い続けようと思っています。
昔の人の言葉の重さを本当に感じるようになりました。