教科書 | はみだし講師ラテン系!

教科書

一応というか、大いに関係する問題なので、自分の意見を忘れないように、
ここに記します。
今朝も朝から各局の報道番組に政治家や評論家が何か述べられていましたが、
ここでも、勉強する当事者の子供は置き去りでした。
しばらく見ていましたが、誰一人、教科書を使って勉強していく子供の立場で、
しっかりと意義を唱えた方はいらっしゃいませんでした。
もしも、僕がテレビを消した後に述べられていたとしたら、申し訳ございません。
といっても、誰に謝るということではありませんが。
 
隣国の民衆の行動もどうかとは思いますし、当国の政府の対応にも、
またそんな問題を引き起こした教科書をお作りになった当事者である諸先生方にも、
もちろん疑問符は付きます。
 
歴史に限らず、良い教科書とは何でしょう。
僕個人の考えでは、子供たちが読み易いと思い、それを使う教師が使い易いもの。
それだけです。記述があろうとなかろうと、
教える先生は教えるでしょうし、教えない先生は教えないでしょうから。
 
もちろん、教科書は大切なツールではありますが、
それ以上にそれを使う教師の質の方が問題になるべきで、
なにを無駄な討論をと、見識の狭い僕は思ってしまいます。
 
 
 
先日、都立高校2年生の生徒が新しい英語の教科書を見せてくれました。
読みたくなる程、面白そうでした。
水中カメラマンの中村征夫さんのお話に始まり、
<もっともこの分野では、もう一人の中村、中村宏治さんの方が評価は高いと思いますが>
U2 のボーカリスト“ボノ”のお話、
<もちろん Band Aid のお話、iPod ではありません>
そして、世界的名著「沈黙の春」の著者“レイチェル・カーソン”の話と続きます。
僕にとっては、なんて興味深い教科書でしょう。
これを使って英語を教えることが出来るなんて、うらやましいとさえ思いました。
 
 
全ての教科書がダメな訳じゃありません。
しかし、ダメなものがあるのも事実です。
学校の先生方のご苦労は分かっているつもりですから、
せめて、問題の無い、分かり易い、使い易い教科書を、
 
「誰か、誰か、作ってあげて下さい!」(セカチュウの森山くんで読んで下さい。)