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紅茶専門店Cha Tea 荒川区西日暮里3-9-21

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以前からずーっと来てみたかった町コーブルク。ヴィクトリア女王の実母、そして夫アルバート公の生誕地です。

 

町の中心地マルクト広場にはアルバート公の銅像が。1861年にアルバート公が42歳の早さで急逝し、その2年後の1863年に彼を讃えて建てられた像の除幕式には、はるばる英国からヴィクトリア女王も臨席したそうです。

 

 

ヴィクトリアの母の生まれたエーレンブルク城。兄である長男エルンスト1世が家を継ぎ、エルンスト2世、アルバート2人の息子に恵まれます。

 

この時代、コーブルク家は大出世を遂げます。エルンスト1世の姉ユリアーネがロシア大公妃に。弟レオポルトが、そのイケメンぶりから英国王ジョージ4世の一人娘シャーロット王女に一目惚れをされ・・・見事玉の輿に。もう1人の弟ゲオルグはポルトガル王女と結婚!王配となります。

 

 

残念ながらシャーロット王女は結婚翌年に出産を機に息子と共に崩御してしまい、レオポルトは英国での地位を失ってしまうのですが、その穴埋めとばかりに、寡婦となっていた姉ヴィクトリアが、ジョージ4世の弟ケント公と結婚。ヴィクトリアを産みます。

 

ヴィクトリア生誕後1年も経たないうちにケント公が急逝。母ヴィクトリアは、弟レオポルトの協力を元に、英国に留まり・・・見事18歳で娘ヴィクトリアが英国王に即位。

 

 

兄エルンスト1世の次男アルバートをヴィクリアの婿に迎え、コーブルク家の地盤を盤石のものにしていきます。子だくさんだったヴィクトリアとアルバート。子供・孫たちは次から次へとヨーロッパ中の王家と婚姻関係を結び・・・コーブルクは「ヨーロッパ王家のゆりかご」と呼ばれるように。

 

1860年、まだアルバート公が存命中にコーブルクを初訪問したヴィクトリアは、彼が幼少期を過ごした夏の別荘ローゼナウ宮殿に滞在。

 

素朴な城と、自然豊かな環境に、もしも自分が女王でなかったら愛する夫とこのような場所で生活出来たらなんて素晴らしいことだろう・・・と書き記したそうです。

 

 

アルバート公は幼少期に父母が離婚。継母と相容れず、町中の宮殿を離れ、兄であるレオポルト2世とこの夏の別荘で多くの時間を過ごしたそうです。彼らが寝泊まりしていたコテージは、オズボーン城にある子供たち用のコテージにのイメージに繋がり・・・コーブルク家が英国に与えた影響をしみじみ感じました。

 

町中にあるアルバート広場の前には、「アルバート」の名前が付いたカフェが。

 

 

そして「ヴィクトリア」の名前が付いたカフェも。

クロテッドクリーム、いちご、ママレードがついたスコーン、そしてロンネフェルトの紅茶。憩いの一時♪

 

 

ヴィクトリア女王がエーレンブルク城を最後に訪れたのは、1894年、75歳の時。早死にした次女アリスの子供の結婚式に立ち会いました。この時は親戚中がエーレンブルク城に集合し、とても華やかだったそうです。

 

第一次世界大戦中、ザクセン=コーブルク=ゴータ朝からウィンザー朝へと家名を変更した英国王室。第二次世界大戦時、連合軍の空爆を多く受けたフランケン地方ですが、コーブルクは大きな空爆を逃れ、後に西ドイツに併合されます。

 

今でも英国王室の面々が様々な行事でコーブルクを訪れる際には、エーレンブルク城に泊まられるそうですよ。

 

ドイツの中でもハノーファーに次ぐ、英国王室縁の町コーブルク。一見は百聞にしかず、訪れることが出来て良かったです。

 

 

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