★SNSもどうぞフォーローして下さい★

       

 

 

スイスの田舎貴族だったハプスブルク家がオーストリア周辺を治める大貴族に成長するきっかけを作ったマクシミリアン1世、同家の家訓「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」を身を持って実践したリーダー。彼の時代にハプスブルク家はブルゴーニュ、そしてミラノの統治権を手に入れます。

 

そんなマクシミリアンⅠ世の時代、都が置かれていたのが、オーストリア・インスブルック。ハプスブルク家にとっては、ウィーンに移る前の古都のような場所です。

 

 

四方を山々に囲まれた盆地。景色はひたすら美しく・・・しかし気温はひたすら暑く笑い泣き 後の時代にマリアテレジアが息子の結婚式でこの町を訪れた際に、夫のシュテファンがあまりの暑さに病に倒れ、この町で急死した・・・なんてエピソードあせるあせるあせる

 

そんなインスブルックに、マクシミリアンの曾孫にあたるチロル大公、ボヘミア大公を務めたフェルディナントⅡ世縁の「アンブラス城」が残っています。

 

彼は、ドイツのアウクスブルクの豪商の娘と秘密裏に結婚、お相手のお家はお金はありましたが、皇族と結婚できる身分では無く・・・それでも愛を貫いたため、2人の間の子供は庶子扱いされ、ハプスブルクの親族として要職に就くことは出来ませんでした。

 

 

兄である皇帝を支えながら、この地を愛したフェルディナントⅡ世。美的センスはなかなかで・・・愛妻のために建てたお城は、現在人気スポットに。館内には、フェルディナントⅡ世が集めた世界中の珍しい物の陳列、そしてオスマントルコ戦線の前線に立った彼らしく・・・戦争のための武具がたくさん飾られていました。

 

 

城は2つに分かれていて・・・高台のお城の中は、ハプスブルク家の肖像画コレクションが披露されています。結婚によりヨーロッパ中を親戚にし、領土を広げたハプスブルク家。その親族に生まれた子供達は、幼少の頃から定期的に見合い用の肖像画のモデルになりました。

 

 

数々の肖像画たち・・・伯父と姪など・・・ハプスブルク家では、同族結婚を繰り返したために、分家のスペインハプスブルク家は18世始めに断絶してしまいます。鷲鼻、そして尖った下顎・・・幼少期の子供達の肖像画からも、ハプスブルク一族の特徴が感じられます。

 

 

3フロアに渡る肖像画の展示の中で・・・ひときわ理知的なお顔で描かれているのが、マリア・テレジアです。こちらは11歳の時の肖像画だそうですよキラキラキラキラキラキラ 君主としての知性を感じさせますよね。マリア・テレジアの肖像画の中でも、こちらはとても気に入っていた1枚でしたので・・・本物に出会えてハッピーでした♪

 

 

高台にあるアンブラス城。風が吹くとここはインスブルックでも涼しい~爆  笑爆  笑 中庭で美味しいランチも頂いてきました。お土産に購入したのはハプスブルク家の家系図♪ 電車の中で初代からチェックして・・・夫にひたすらレクチャー。

 

 

ナポレオンが越えたチロルの山々。歴史を感じながら見る景色は最高↑↑↑ 

他にもあれこれ、マリア・テレジア縁の場所など見学したのですが、1日では勿体ないインスブルックでした。次は泊まりでのんびり来たいなと思います。その時までに夫にハプスブルク家の歴史を覚えさせなくては~(^▽^)

 

  ←最後まで読んで下さった方はポチッと応援よろし願いします