時々、、、ブログネタから生活…や人生?を振り返る。
子供の頃、すごくほしかったもの。
私の場合、それは、こいのぼり。
~子供の頃と言っても、本当の子供・・・保育園児の頃だ。
近所には、鯉のぼり🎏が建てられている家々があるのに、
どうしてうちにはないの?って・・・。
そしたら、あれは、男の子がいる家にはあるけど、
うちは女の子(私の下も、妹だったから)しかいないから
鯉のぼりはないんだよ、と聞かされたらしい。
それでも、小さい頃は、そんな事情はよく解らない、
女の子はお雛様、男の子は鯉のぼりを飾るんだ…とか。
(兜飾りを持っている家もあるわけだが、外からわかるのは🎏)
我が家にも、大きな段飾りはなかったけれど、一応、
お内裏様とお雛様のペアはあった。
兜飾りが在ろうと、ひな壇があろうと、家の中は分からない。
でも、外から見えるのが、鯉のぼり。
屋根より高い鯉のぼり~♪
鯉のぼりが欲しかった?憧れていた私は、祖母にねだっては、
近所の家々の鯉のぼりを見てあるいたそうだ。
あっちの道へ、こっちの路地へと。。。
うちの隣は、魚屋さんで、私より少し年下の男の子がいたんだけれど、
彼は、ここに住んでいるのではなかった。
魚屋さんはおじいちゃんおばあちゃんの家で、ご両親が仕事をしている間、
昼間・・・保育園のあととか・・・預けられていただけだった。
だから、残念ながらお隣さんには鯉のぼりはなくて・・・。
うちの裏手には土手があって、その上に小学校があった。
小学校の隣の敷地には保育所があった。
どちらにも、季節になると鯉のぼりが高く飾られ、風のある日は泳いでいた。
今思えば、あの土手を登っていくのは、祖母には難儀だったことだろう。
でも、隣近所の道筋から、土手の上まで、ぐる~っと回って、
家々の鯉のぼりをいくつも眺めて・・・私の鯉のぼりコースは終わった。
おばあちゃん、ありがとう・・・。
自宅では叶えられない私の望み、それでも鯉のぼりに憧れる私を連れて
近所を歩いてくれた・・・。
実は、歩いた記憶より、祖母が、近所の石段で腰を下ろしている姿、、、
私が上を向いて眺めている間、休んでいる姿は記憶にある。
腰の曲がっていた祖母は、歩いては休みの繰り返しだったと思う…。
その休んでいる姿、それは私の記憶に残っている。
~自分ではおぼろな記憶しかないのだが、大きくなってからも親に、この、
祖母にねだって近所を歩いた話を何度も聞かされた。
そういえば、子供の頃、どうしても欲しかった、、、ものといえば、
(鯉のぼりは、訳も分からず、ただ欲しかった、、、憧れてた)
アニメ「ひみつのアッコちゃん」に出てくるコンパクトだ。
呪文を唱えると何にでも変身できる~
「テクマクマヤコン・テクマクマヤコン、○○にな~れ!」って。
私は、身体が弱かったわけではないが、風邪をひくと、なぜだか頭の熱は
出ないものの、しばしば中耳炎を患った・・・。
それで、街でも評判の、恐い怖い医師の、耳鼻科に行くわけだが、
ある年、やっぱり耳が痛くなって、(妹は喉が痛いと言って扁桃腺、私は
耳・・・だった)、耳鼻科に行くことになった。
両親が共働きしていた我が家では、医者などに連れて行ってくれるのも
祖母だった。~鯉のぼりツアーだけじゃない~
そして、その ひみつのアッコちゃんのペンダントの玩具・・・
そりゃ、テレビで見たコンパクトの模様とも少し違うけれど、それっぽい
コンパクトを、耳鼻科を嫌がる私に買ってくれたのも祖母だった。
低学年だったんだろうな・・・。
母だったら、買ってくれなかったかもしれない~(苦笑)。
でも、毎年のように耳鼻科に通って(恐い先生だと誰もが知っている)、
しかも熱が出ないから、学校は休めない私・・・。
甘やかしたともいえるけれど、耳鼻科に行く勇気をくれたともいえる。
おばあちゃん、ありがとう・・・。
私は、「ばあちゃん子」だった・・・から・・・。
妹が生まれるまでは、おばあちゃんは私だけのものだった!(笑)。
自分の名前を付けて呼んでいたっけ・・・
※私の名前が、花子だとしたら、”花子ばあちゃん”と。。。
妹が生まれてからは、そうは呼べなくなったけれど、
孫が何人になろうとも、おばあちゃんは、おばあちゃんだ。
鯉のぼりも、コンパクトも、欲しいものは、おばあちゃんのおかげで
満たされた。
今、そのおばあちゃんが恋しい・・・それは、どうやって満たしたら
いいんだろう?
~ 了 ~
欲しかったのは、鯉のぼりだなあ~なんて思いながら書き始めたのに、
欲しいものというより、祖母の思い出記事みたいになりました。
欲しかったものは祖母が・・・与えてくれたと思い出しました。
読んでくださって、ありがとうございました~。