還暦を機に、禅に関する本を買ってきた。

前から関心はあったし、うち(実家)も禅宗だし、ある程度は知っているけど、

じっくりと…自分の生活のお供にしようかと・・・。

 

禅に限らず、よく哲学的、スピリチュアル的なものに書かれている(伝えられ

ている)のは、物事をそのまま受け入れるということ・・・また、”手放す”と

いうこと・・・。

これは、「言うは易し行うは難し」の代表格のような気がする。

人類皆兄弟、みんな愛し合おう~なんていうよりも、難しい。

そもそも、手放すことができなければ、受け入れることができなければ、

みんな違いや責めやこだわりを越えて愛し合うことなんてできないし・・・

まずは、ここからなのだ・・・。

 

今の私は、世界の平和について、手放すことや受け入れることを「ああ、難しい」と

いっているわけではない。

私の頭の中にあるのは、母のことだ。

日本で再会して、(妹に言われてはいたけれど)本当に年老いたなあと感じて、

本当にもうすぐお迎えが来るんじゃないかと・・・こちらに戻ってから日々、その

ことばかり考えている。

 

過去録)2016.2/18 

『Take life day by day and be gratful for the little things. 

 Don't get stressed over what you can't control.』  by Sun-gazing.com 

 

=「日々、一日一日ごとに過ごしなさい。そして、小さなことでも、

感謝して過ごすように・・・。自分がコントロール(どうにも)できない

ことについてストレスを溜めないように・・(こだわり過ぎない・気にし

過ぎないように)」

 

小さなことでも、日常に喜びを見出すことはできるし、確かに感謝もたくさんある。

自分でどうにもできない(人の気持ちや人の寿命、どこかの災害にすぐには手を

貸せないけれど、祈ることならできる等)ことは、こだわりすぎずに、考え過ぎずに

過ごす…、其れしかないよね、と分かっている。

母の寿命や、これから母がどうなっていくか(今は、ゆっくりゆっくりなら杖を

つかって歩けるけれど、どんどん身体が弱っているのは否めない)なんて、

私にはどうにもできない・・・。

 

どれだけ考えていたところで、仕方のないことなのだ・・・

むしろ、今日も一日、互いに無事だった。

母と電話で声が聴けた、、、

母が散歩に出ることができた、、、

友達とコーヒータイム楽しかった!、あの韓ドラは面白いなど、

心が少しでも上向くことをポジティブなことを考え、伝えあう方がいいのだ。

 

解ってはいる。

でも、夜中にふと目が覚めると、、、。

母のことを考えると、母とのこと、母が言っていたこと、してくれたこと、

一緒に過ごした幼いころのこと、、、父を看取った時のこと、、、などなど、

眠れない。。。

 

母は、最近、少し横になると、すぐに、そのつもりはなくても眠ってしまうという。

身体を横にして休めるだけのつもりが・・・眠いから昼寝をしたいわけでもないのに、

眠ってしまうのだと。

 

そのまま、安らかに逝くのは、良い逝き方なのかもしれないが、

(私の父は病床で、苦しんだから)

「眠るつもりがなくても眠ってしまう」と聞くと、そのままもう起きないのでは?と

不安になる。

同居している妹にしてみれは、もっと心配かもしれないが・・・。

 

母が老いているということ、

どう転んだって若返ることはないのだから、お迎えの時期が近付いているということ、

その日がくることを受け入れなくてはいけないし、

その日がきたら、受け入れなくてはいけない。

それは、「お母さん、ここにいて」と心のどこかで叫ぶ私の気持ちを手放すこと。

 

母を見捨てるとか、そういうことではない。

母の寿命は、私にはどうにもできなのだと、受け入れ、母を縛るいろんなこの世の

(私や家族や)私の気持ちを手放す、、、母を、そして私の母を求める気持ちも、

楽に自由にする~手放すという意味だ。

 

母が気を楽にして旅立てるように、、、スピリチュアルな何かがあるとしたら、、、

そのレベルで、、手放すことなのだ。

 

お母さん、、、と電話で呼びかけることのできる、今日一日、また一日、

それができるということに感謝して、過ごしたい。

ありがとう…お母さん。

 

 

~ 了 ~ 

 

 

読んでくださってありがとうございます、

朝方、一時間くらい眠れず、また寝不足のまま起きてしまいました。

これから、朝ごはんの用意、急いで!します。