朝食の支度をする時間になっても、まだ外は夜明け前で暗い。
庭の向こうのお隣さんの二階の窓に灯りが見えると、なんだかホッとする。
ああ、今日も、仕事に行くんだなとか、子供が学校へ行く準備かな、とか・・・
内情はわからないけれど、朝、起きたんだな、って。
過去録)
2014.10/26
【 "Certain things catch your Eye, but pursue only those that
capture your Heart. ----- Ancient Indian proverb "
(=何かがあなたの目を惹くだろう(彼方は何かに目を止めるだろう)
しかし、心を射止めたものだけを追いなさい(目に留まったものより、
心に残ったもの・心奪われたものを求めなさい)。
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心に引っかかるもの。。。印象に残るもの、気になり続けるもの、
良くも悪くも、そういうことなのでしょう。 】
過去録)
2015.10/26 (日記)
【 親っていうのは、傍に居なくても、(この世の)どこかにいる、
故郷にいるっていうだけで、安心感というか根っこのように安定した気分を
くれるもの。この世から、その姿が消えてしまうと(それまでだって、
一緒に暮らしていたわけじゃなくても)無性に寂しいというか、やるせないと
いうか、何か大切なものがなくなってしまった(もちろん、そういえるが)
喪失感に襲われる、、、その嵐は、案外、頻繁に起こるのだ。】
~~ 私の友人Mさんが、
「私は両親が健在ですが、ここに居てもあちらの世界に居ても同じように
感じる・・・気がするのだけど、それは亡くなっていないから?なのかな・・・」
と感想をくれました。
~~ 私の彼女への応答は、
「多分、そうかもしれません。外国に居ても、日本で生きてるって思うのと、
っこくしてもいない(父)んだ、帰宅してもそこにはもう「お帰り」って
言ってくれる人がいない、電話で声を聴くこともないんだって思うと、ぜんぜん
違います。精神的背骨が消えたみたいな・・・(苦笑)。この歳になっても~ね。
だから、幼いころ、若いうちに、親を亡くすっていうのは、かなり大変(文字通り、
大変)なことだと思うんです。」
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⇧上記の日記は、8年前。
ああ、もう、8年も前のことなのか・・・。
父が亡くなり、その2年後、母が軽い脳梗塞で入院した。
そして、その母が一応、また一人で冬を過ごす決意をしたのが2015年の秋。
そういうタイミングもあって、おそらく私はこんなこと(⇧)を考えたのだ。
8年もたてば、母の気持ちも変わるだろうし、気力も衰えるだろう・・・
歳と共に変わるのは、生きているがゆえ・・・。
夏の終わりころから、実家のこと、郷里のこと、母の退院後のことなど、あれこれ
考えてはきたけれど、自分にできたことは、電話の向こうの話を聴くことだけ。
仕方がないと解って、あきらめ、、、いや、割り切っみたつもりだったけれど、
どうにもこうにも心に何やらひっかかってしまって・・・10月に入ってから
益々、気持ちは凹むばかり。
世の中も、人生も、いや身近なことだって、自分の思い通りにいかないんだ、
取捨選択及び妥協(歩み寄り)の連続なんだと・・・自分に言い聞かせても
ため息は、溜まっていくばかり・・・。
韓ドラに癒されようと・・・テレビの前に座る。
没頭している時だけは、憂いを忘れられるから・・・。
子供がゲームに夢中になるのって、こういうことかな、等と考えたりしながら・・・。
ブログ更新もせず、メールの返事等も遅れ、目に見えるポプラや白樺は、黄緑から
黄色、そして黄金色にその葉の色を変えていくというのに、、、、。
ついに10月も終わり・黄金色から、それは枯れ葉の色にと目に映るようになった。
電話の向こうで、日に日に弱っていくとは言わないけれど、
明らかに昨年や夏前よりも、晩年を感じる・・・母の声。
寒く暗い越後の冬、日本海の波の荒い季節、一人で過ごしたくないという
母の気持ちも分かるし、妹と共に住むことで双方が安心していられる。
それは幸いなこと・・・そこに落ちつけて有難いことだ。
・・・たとえ、もう故郷に戻ることがないとしても・・・。
これでよかったのだと、思う自分もいる。
でも、凹む底には、蒸発しきれていない何かが残っている。
いや、自分の願いは、~ストレスの元だとは思うけれど、それはさておき~
手放そうと…決めたんじゃないか…。
心に残る憂い・・・ ならば、それは何なのか?
会えずに、母が逝ったら・・・私はどれほど後悔するのか?
会いたいと思っている人、思ってくれている人に・・・その限界はないのだと
解ってはいても、なすすべはない・・・いつか、逝くのだ。
韓ドラの、♫ドドソソララソ♫以来、あの【愛の喜び(は)】が頭から
離れない。
人の心に、問いはあっても、答えはない。
それは、一つではなく、無数の答えがあるから。
夕方,辺りが暗くなり出す時、窓辺にあるスタンドの灯りをつける。
~道を歩く私たちにとって、それらの灯りが案外、大事なというか、有難い
ものだと歩行者・当事者となって実感する、この国の晩秋から冬~。。。
裏庭の向こうの、隣家の窓にも電球の灯りが見える。
朝と同じで、ああ、明かりがついた…とそれだけで安心する。
勝手なものだ。
~そう、自分勝手な解釈:私にとっては、有難い温かい灯り。
それでもいいじゃないかと…思う。
結局、人の心の内は、他人には分からないのだ。
もう少し長生きしてほしいし、私が日本に帰るまで元気でいてほしいけれど、
あれから8年、頑張って生きて来てくれた母に、感謝。
母が私に帰ってきてほしいという・・・
私が母に元気でいてほしいという、、、
母の存在は、隣の家の灯りのようなものかもしれない。
灯りがつけばホッとするし、消えたままだと、どうしたんだろう?と思う。
母が日本にいてくれればうれしいし、電話で声が聞ければ安心する。
でも、、、、何が起きているのか、向こうのことは分からない…見えない。
心奪われるもの・・・ピアノを弾いてみようか、歌ってみようか・・・。
やりたいこと、、、ホントは、まだ、あるじゃないか・・・。
ただ、何処から手をつけたらいいのかわからないと言い訳しているだけで。
電子ピアノの脇に小さなハープがある(木箱に入っている)。
娘が幼児期に買った持ち運びできる小型のアイリッシュ・ハープ。
これをまず修理しなくては…欧州に来ると判った時、即座にそれを想ったの
だから。
いつか売らなくてはならない実家にあるピアノ。
音楽を身近に感じられるようになったのは父のおかげ。
自由に何でもできるようになっているのは母のおかげ。
自問自答も思い出も、キリがない、、。
いや、気持ちはずっと霧の中。、、、愁いとため息と、、、。
パソコンを叩く私の背後から、ピアノが聞こえる・・・
Youtube 有難いかな、、、角野隼人氏演奏のショパンが流れる。
リンゴの葉も気温の低い日が続き、一気に黄色みが増えた
サクランボの葉も、色づいてきた。
もう、秋も終わりだ。
~ 了 ~
読んでくださってありがとうございます。
食欲でも芸術でもなく、、、しいて言うなら、韓ドラの秋?
いや、”憂いの秋”・・・。
さわさわ揺れるポプラの葉が、背景が曇り空であっても、きれいだなと、
でも、物悲しく感じる今日この頃です。