ときどき、誰かと話をしていたり、ボ~っと考え事をしていて、

『袖すりあうも他生の縁』とか

『遠くの親戚より近くの他人』を思い出す時がある。

 

昨日、もうすぐ国に帰ってしまう友人Dさんと”お茶しよう~”と会った。

約二年前、初対面の時には彼女が私にとって、こんな感じの静かだけど

大事な存在…友人になるとは想像できなかったけど、なぜか???初めは

驚いた彼女の少し押しの強い感じが、それが単に押しが強いのではなく

(話をしている様子は強そうに見える)ポジティブで、周囲のこともよく

見ていて、相手から学ぼうとする姿勢もある、と解って来てからだろうか、

彼女の良さ(反対意見もちゃんと言う、訂正する時は潔く認める等)が

感じられるようになり、二人でお茶をして話をする機会が増えるたびに、

何の共通項もないように見えた人(共通項があるとしたらお互い、”一人娘”が

いるということくらい。彼女は日本に住んでいたこともあり日本好き・

でも抹茶は苦手)が別れが悲しい友人になった。

 

近況あれこれ、互いの人生の転換期あれこれ、彼女がここ4年で感じてきた

ことあれこれ・・・若いころに比べ「家族や結婚というモノがとても大事だ

と感じるようになった」(彼女の両親は離婚し、彼女自身、家族には恵まれたと

言えないと思っていたが、心境の変化が起きてきた)云々・・・そんな話を

聴きながら、最近の私のことも少し話した。

~彼女の英語力と、その”しゃべり”の速さのため、私の話をするタイミングは

案外、難しい。でも、私が話始めると、彼女はじっくり耳を傾ける~

『国内でも、国外(今のような)でも、家族(両親や、夫や)に助けられると

いうことが多々ある。その存在が有難いと思う。今回、母が退院する時に、

日本に帰りたいと思っていたけれど、それほど容易ではなく帰国しなかった。

帰らないことを決めたのは自分だから、それは仕方ないと”妥協”しているが、

仕方ないな、と思いつつ、妹に頼ることになった~等々・・・。』

 

悶々とずっとここ数週間、思ってきたこと。

”帰国して実家で母に会い、妹と三人で話をする”、そう願ってきた。

今回、母の加齢のこともあり、冬に向けて母も心細さが募ったせいもあり、

いよいよ一人暮らしはあきらめ実家を離れて妹の所(関東)に行くことに

なった。新潟の冬と違い、関東の冬は晴れの日が多いから、多少肩身が

狭くても独りよりはいいと・・・。とはいえ、移転は、借りていた介護用

ベッド等あれこれの手続きもすべて解約や変更・・・大変だ。

それによって、実家に母がもどることは、もしかしたら、今後、もうないの

ではないか?あの実家で、母の姿を(私が)見ることはないのではないか?

等々、あれこれ考えると、やはりこれが最後の機会になるのでは?あの家で

母ともう一度、寝起きしたい…母の思っていること(二階の部屋のことや

棚に飾ってあるものアレコレ、母が私を待って”話したい”といっていたこと)

を聴きたいし、私も家の内外の話をしたい・そう思ったが帰国しなかった。

 

できなかったというのと、しなかった・・・というのは、少しニュアンスが

違う。前にも書いたように、どうしても、どうしても、帰国しなくては!

したい!と思うのなら、すればいいのだ。

それを諦めたということは(不可能とは言わないまでも難しいと)本気では

なかった…と受け取られても仕方ないこと・・・。

自分で選んだ、決めたとはいえ、すっきりしなかった。

 

自分を何とか元気にしようと思っていてもため息ばかりが出て、”母の願い”

を叶えられなかった、私自身もそうしたいと思っていたのにできなかった

(自分のせいだと解っていても)悲しさも相まって、自分で決めたのだからと

思っていても、モヤモヤした気分だった。

 

それが、、、Dさんに話したら・・・口に出したら・・・行きたかったが

(夫にも帰国したいと相談したが、検討の末、辞めたわけだ。その時、私の

心の内・帰国したい理由の詳細は言えなかった。誰にも言えなかった。

娘に話せば愚痴のように受け取られ、聞くのを嫌がるだろう。夫に言えば経済

的にも生活面でも負担をかけるし(日本に身内が誰もいないのなら話は別だが、

妹がいるわけで)、それぞれの親に対する思いの丈は違うので私の気持ちを

100%共有してほしいというのは無理な話だ)、結局、”死にそうだ”という

ような状況ではないこともあり、あきらめた。行くという選択ができなかった。

Dさんに話ながら、”妥協した”のだと、口に出したら、話し終えてなんとなく

違った気分になった。英語で、”compromise”と話したら、すとん!と。

考えてみたら、確かに自分自身、”自分で”決めたのだから、しかたない”とは

思っていたが、”妥協した”自分が切なかったのだ。

それを口に出したら、、、胸の痞えが降りた気がしたのだった。

 

Compromise = 妥協する、折り合いをつける、譲歩する、等。

 

言いたかったけど、言えな(癒えな)かったこと・・・。

誰かに話したいけど、話せなかったこと・・・。

それを聴いてもらえただけで、、、口にし話ただけで、、、。

状況は何も変わっていないけど、それでも、気持ちが少し楽になった。

 

他の友人では話せなかったかもしれないが、昨日、彼女にこの話ができて、

~初めから話そうと思っていたわけではなく、話の流れで~ 幸運だった。

 

出会いも、話を聴いたり、したりすることも、タイミング・・・運なのだろうか。

 

昨日の別れ際、「あなたにサムライを感じる~」なんて言われて、ちょっと

戸惑ったが(笑:私はサムライ時代は好きじゃないし、武士の何たるか等も

私好みの哲学ではないので~)、彼女からは私は(他の国の人に比べて)

そういう風に感じられるようだ。

~外国の人から見て、武士らしいとは何なのか?よく解らないけど~、

「そうね、輪廻転生をあなたが信じるかどうかわからないけど、日本人と

して生まれてきたことがこれまでにもあるとしたら、私の場合は、武士の時代

ではなく、1000年前くらいの気がする、その頃の方が私の考え方に合って

ると思うから~(苦笑)」と答えた。

するとDさんは、「輪廻転生とは言わずとも、”魂の記憶”というのはあると

思う」と言った。

きっと私たちは、縁があったのだ・・・と。

出会えてうれしい。一生涯の友人にここで出会った…

それには理由もあるだろうが、とにかく出会えた。

良かった。

 

袖すりあうも他生の縁・・・

そして、こうやって全くの他人だけれど(友人だけど)、話を聴いてもらう

だけでも、気が晴れる・・・そんなこともある。

遠くの親戚より近くの他人・・・

 

もちろん、遠くの親戚…妹がいることによって、私は今、助けられている。

母のこと、家のことあれこれ、有難いと思う。

また、妹も私も、郷里の親戚(母方の実家・親類や父方の従兄弟や)にも

助けられている。

 

でも、実際、毎日の私の生活の中で、私を支えているのは、遠くの親戚

傍に居る家族(今の場合は夫だけど)だけではなく、友人やご近所さんに

よって助けられていることも多々ある。

災害が起きた場合は、それこそ、”遠くの親戚より近くの他人”の助けが、

まず大事だ。”お互い様”という・・・それだ。

 

遠くから親戚が(遠くであっても、というべきか?)助けに来てくれる

こともあれば、遠くの親戚を頼って移動することもあるだろう。

でも、即効性でいえば、何か事故や事件が起きた時、災害が起きた時、

困った時にすぐ傍で助けてくれるのは、他人であっても”近くの人”だ。

 

引っ越しの多い生活や海外暮らしをしていると、その他人との関わりの

大事さを時折感じる。

親戚のわずらわしさ、柵、且つ、繋がることの有難さなどとは別に、

”周囲の近い他人”との繋がりのことを・・・。

 

Dさんと別れ際、互いに解っている・・・再会は容易ではないと。

それでも、でも、会いたい、いつかきっと会えるよ。。。

そういって、別れた。

きっと、縁があればまた会える・・・そう、お互いが呼び合うはず・・・。

 

出会えてよかった・こんな風に話せる友人に巡り合えてよかった・・・

そんなご縁に、感謝。

 

 

~ 了 ~ 

 

読んでくださってありがとうございました~

 

不思議ですよね、夫や娘に言えなくても、彼女(友人)には話せること。

取捨選択をしてきた互いの人生の節目を語る中で、同じとは言わなくても、

抱えている悩みを話せる・・・近くの他人、友人は有難いものです。

もちろん、誰に話すかは、慎重である方がいいと思います。

誰でも友人だからと自分の胸の内を話すのは危険だと、私は体験上、

知っているので、より慎重になりますが~(苦笑)。