【Sometimes you will never know the balue of a moment, 

 until it becomes a memory.    by  Dr. Seuss】 

 

=「ときに、その一瞬(その時)がどれほど大事なものであるか、

 思い出になってしまうまで気づかないことがある。(ドクター・スース)」

 

そう、解ってる。

大事なんだよ、その一瞬、その「時」、会えるうちに会う、その時間が。

 

【One of the hardet lessons in life is letting go. Whather it’s guilt, 

 anger, love, loss or betrayal. Change is never easy. We fight to hold 

 on and we fight to let go. 】 ~ Sun Gazing. 

 

=「(この世で)一番難しいことの一つは、”手放す”ということだ。 

それが、後悔であれ、怒りであれ、愛、(誰かや何かを)失ったこと、

うらぎり、なんであったとしても。変化(変わること・変えること)は

決して容易ではない(簡単なことなんかではない)。私たちは、

それまで持っていたもの(精神の内に抱えていたもの)を守るために・持ち

続けるために戦い(苦悩し)、そして、それらを手放すためにも、また苦悩

する・耐えるのだ。」 

=「手放す」ということは、例えば、何かで恨んでいた人への恨みを手放し、

相手を許すということだから、それまでは恨む対象があって堪えてきたのに、

恨む相手を失くすことという変化で、それを受け入れることは容易ではない。

愛する人が亡くなった場合、その相手を忘れることはなくても、亡くなった

ことにこだわり続けることを辞め=手放し=、次のステップに進むという変化を

起こすことは、悲しみに暮れている間は特に難しい。でも、そこから自分を解放

~抱えていた心痛・悲しみを手放し~する方へ自分を変化させるのは容易では

ないが、そうやって前に進む・・・。

 

 母が望んでいたこと・・・それを叶えてやりたい、、、と思いながら、

経済的なこと、日程のこと、果たして、これは母が望んでいた、とはいえ、

これにこだわっているのは、「私」なのではないか?

「母がそういっていた」ことは確かだとしても、もしかしたら、今、母は

もう、そのこだわりを捨てている(諦めている)かもしれない。

私が、その母の気持ちに(かつて希望していたことに)こだわるのは、

私の自分勝手な思い込みの希望・私の願望・・かもしれない。

その母の望んでいたことを叶えてやれなくて、後悔する・・かもしれないし、

望みを(これから先、あまり時間はないだろうけれど)かなえる機会が

もしかしたら巡ってくるかもしれない。

機会が・・・なかったとしたら・・・私は、今の、この時の決断を

後悔するだろうな、と思う。

とはいえ、後悔しないためにと私のわがままかもしれないことを押し通す

のは気が引けて、言い出せない。

 

もし、全てがうまくいくとしたら、どうするか???

 

今、思い浮かんでいる、そのかつての母の希望は、またいつか叶える機会が

あるだろうと信じて、今回は、私の”考え”(わがまま)は、手放そう。

タイミングが良くないうえ、経済的に苦しい。

私のこのこだわりは、今は、手放そう。

忘れるのではなく、、、次の機会を待とう。

叶えられるなら、叶えてやりたい。

それは、私の望むことでもあるから・・・。

 

そして、万が一、母のその望みをかなえてやれないまま、母がこの世から

去ったとしたら、、、その時は、後悔するかもしれないけれど、

でも、それこそ、いつも私が思っていること…物事には理由がある・・・

物事が、そうなるべきならうまく進むモノ。

こだわりよりも、気持ちが楽に傾く方に考えよう。

 

タイミングが合わないなら、それは無理やり押し通すには”無理”があるのだ。

 

もし、全てがうまくいくとしたら今の自分の(この)決定を変えるか?

もし、全てがうまくいくとしたら、どちらを選ぶか・・・どうしたいのか?

 

そう考えると、自ずと答えは見えてくる。

 

そうやって、私は決断してきた。

 

その一瞬が、その時がどれほど大事か、後になってからでないと

解らない・・・。

 

確かにその通り。

過去の自分の決断を、今、振り返って、多少苦しい気持ちにもなるが、

あの時は、その決断(そっちを選ぶ)なしでは、前に進めなかった。

だから、後悔はしていない。

私の、私の気持ちに素直に従いたい、私自身元気にならなくては!と

決めたことたちだから、20年前の自分、25年前の自分に、

「あなたは間違っていた」とは言わない。

~細かい部分では、後悔はあるけれど、でも、それはその後悔を

含めて、今の自分がいるという「学びだった」ともいえる。

 

だから、おかあさん、ごめんね。

今は、帰れない。

 

感謝してもしきれないし、

いっぱいいっぱい伝えたいことはある。

お母さんの、そのこだわりもよく解るし、かなえてあげたい。

=妹は、私よりも、ドライなので、少し考えが違う(苦笑)。

 

でも、また機会があると信じて、今回は、私は遠くから見守ってるよ。

 

 

お母さんは、私のことを「あんたは、楽天的でいいねえ」と言ったけど、

楽天的にでもならないと、やってられないんだよ。

お母さんや妹が、あれこれ不安だ、心配だという度に、一緒になって

めげるわけにはいかないから・・・大丈夫だよ、なんとかなるよと、

私は、そっちの方に引っ張る役目なのだと思ってきたから・・・。

 

私だって泣きたい。

 

でも、今ここにいる自分を選んだのは、私だし、

ここまで私を支えてくれた(外国に送り出してくれた)のはお母さんだし、

だから、私は私の今の生活・人生を”有難い”と思っているから、

本音ではあれこれあるけれど、妹の立場も(私があれこれ遠くから口出し

してばかりだと悪いなって思う。実際、傍にいないのに。でも、頼られた

ら、もちろん支えるよ)あるしね。

~そう、私一人で何でもできるわけじゃないのがこの世の常。

何でも一人で決断できるに越したことはないけれど、今の私にはそれは

できない。家族や夫の仕事や、そういう関係を見ながら折り合いをつけて~ 

愚痴ばかりも言っていられないから・・・ね。

 

だから、、、大丈夫だよ、なんとかなるよ、と、そっちに目を向け、

「いざとなれば私が(病院へでも介護施設へでも)文句言ってあげるよ」と

励ますくらいしか、私にはできないから・・・。

 

そう、私は遠くに居て、実際には何の手助けもできないけど、電話で文句を

いうことくらいはできるよ。

お父さんに似て、そういうところははっきり言える性格だから・・・ね。

 

今回の選択も、これからのことを考えてることも、きっとあの世のお父さんは

知っているし、解ってくれると思う…思いたい。

 

だから、すべてうまくいくとしたら、?・・・ 

 

今回は、ごめんね、帰らないけど、来年、帰国できたら会いに行くからね。

 

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去年の夏、わずかな時間だったけれど、母に会いに帰郷し、

一緒にご飯を食べて、写真を撮って・・・そういう機会があってよかった。

 

海外で暮らすという決断は、時に、「全て捨ててきたのだから」と

自らに再通告するようなものだ。

いざという時に国内にいるほどにはすぐに駆け付けられない。

よく、同じ国内でも、どこか遠くの不便な所や離島に住んでいるのと、外国に

いるのと大して変わらないよと言ったけれど、”生活”の場が外国であることは、

やはり国内で暮らしているのとは大きな違いがある・・・気持ちの上でも。

 

故郷を離れ、親と別れを告げ、移民していった人たち、

彼らは、もう親に会えることはないと覚悟して行ったんだ。

その昔、飛行機ではなく船で外国へ仕事に行った人たちも、簡単には

帰国できないのを覚悟で・・・。

それは、日本人が外国へ行った場合も、外国から日本に来た人たちも同じ

ことだ。

~たとえば、NHKの朝ドラ「まっさん」に描かれたエリーのような人。

 

今は航空機の時代だけれど、”生活”がある場合、そう簡単には往復できない。

お金持ち~億万長者じゃない限り・・・(苦笑)。

 

わかってはいるけれど、ため息は出る。

ため息の理由は、、、誰にも言えない。

だから、、、ここ(⇧)に書いておく・・・。

 

~ 了 ~ 

 

ほぼ私事の、ひとりごとです。

読んでくださった方、ありがとうございました。

「いつまでも あると思うな 親と金」

これは、母が常々口にしていた言葉です。

お金を大事にしなさい(貯金しなさい)ということを言いたい時に

”仮に余裕があると思っても、大事にしておきなさい”ということで

したが、親のこともそう・・・(生活は自立していても)親がそこに

いるというだけで、なんとなく心強いものです・・・。

だから、そこにある・・・いつまでもいてくれる・・・そう思ってしまう、

帰国するたびに母が老いていくのを見ていても、分からないふり・・・

いつまでもいる、そう思いたかった・思い込んでいたいのだと思います。

 

それでも、いつか、分かれはやってきます・・・。

会えるときに会っておく、、、それにつきます。

私の娘も、、、いつか、これに気づいてくれるでしょうか。

 

~お終い~