想えば、、、ここ数年、
私にとっての夏休みは、夏が終わって、9月、いや10月の
秋になってからのことが多かった。
7年前、娘と一緒に二泊三日の旅行をしたときは8月だったけど、
それは、娘の夏休みに合わせたらだ・・・。
8年前、同じように娘が南アへ来てくれて旅行したのは8月の終わり
から9月の初めだった。
日本にいると盆休みがあるので、なんとなくそれが”夏休み”にもなる
ことがあるが、やはり8月後半、娘が住んでいた京都へ”ホリディ”と
して行ったののも8月終わり・・・世間ではすでに新学期の用意の時期
だった。
それはそれでいいけれど・・・休みがないよりはいいけれど・・・。
昨日、一緒にランチをした友人(ギリシャ人)は、当初、1週間ローマへ
(パートナーはイタリア人)夏休みの予定だったのが、急にパートナーの
仕事が休めない事情ができ、ひとりでローマへ。
がっかりしつつも、一人でその4日(往復の日を除き)を過ごしたそうだが、
その時に、思わぬ出会いがあったそうだ。
一人の時間を持て余しつつ、有効に使おうとあれこれ検索していたところ、
同郷の、同業者(?同じ系統の職種)を見つけ、見に行ったそうだ(劇場関係)。
ギリシャもイタリアも、そういった舞台芸術には長い歴史がある。
そこからアレコレつながって、このローマ滞在で新しい人脈が見いだされ、
今後の夢も膨らんだのだそうだ。
もし、予定通り、パートナーと一緒にローマにいたならば、別の楽しみ方が
あっただろうけど、一方、一人で自分だけのことについて時間を費やしたりは
できないから、こんな出会いもなかったかもしれない・・・。
初めはがっかりした一人でのローマ滞在だったが、"災い転じて福”?
”ケガの功名”? ~ なんであれ、「結果、思ってたよりよかったよ~」と
笑って話してくれた。
夏休み・・・だから、夏の間にとらなくちゃ、って(頭のどこかでは
そう思ってるけど)、でも、夏の終わりでも秋でもいいのだ・・・。
予定と違ってしまっても、それもなにか別のところに繋がっていく。
パートナーと一緒に”ローマの休日”、過ごせたらよかったのに~と思う
気持ちもありつつも、彼らは、その後、8月中にお互いの郷里へ行って
きたそうで、それも夏の一つの思い出・・・。
”ローマの休日”のような夏休みではなかったとしても。。。
私の夏休みも・・・そうだよ、こだわる必要はない?んだよね。
夏休みって言っているのは北半球だからなのだ。
南アフリカだって、ニュージーランドだって、この時期は冬・・・。
冬休みなんだよね。
娘にとっては南アに”夏休み”に来てくれたけど、そこは冬の南ア。
私にとっての夏休み=なんていうけど、”冬休み”だったんだ。
想えば、いつも8月の終わりや9月以降になってからの”夏休み”。
夏じゃないけど、夏休み・・・。
天邪鬼の私には似合ってるのかな(苦笑)、、。
昨日は、夏が終わったというのに、真夏のような日差しと気温で、
青空の広がる気持ちの良い半そで日和だった。
空にはすでにウロコ雲が伸びていたけど、名残惜しい、まさに夏の日。
ガーデン・ファームの店でランチをした後、水辺を歩き、街へ戻った。
友人たちの夏の出来事を聴き、去り行く夏の光を浴びて・・・出会いの
不思議を想う。
3年前、いや2年前でさえ、昨日の私を私は想像できなかった。。。
想像だにしていなかった・・・というか。
昨日過ごした友人たちとの夏の日は、何処に行ったわけでもないけれど、
私の”夏休み”というわけじゃないけど、大事な夏の思い出になるだろう、
これからの私にとって・・・。
時期にも、場所にも、、、そして私たちの考え方にも、、、
次につながる種があり、芽を出す可能性がある。
そこに意義や意味を見出すかどうかは私たち次第
街へ向かって歩いていた時、そのギリシャ人の友人が言った・・・。
「どうか、あなたがどこか好いところへホリディに行けますようにと
祈っていたんだよ」と・・・。
私が、6月頃、この夏はずっと旅行の予定もなく、ここにいるよと
言っていたので、、、。
ありがとう~。
私たちの周りでは、案外、そんな小さな想いや祈りが届く・届いて行くの
かもしれない。
夏の”ホリディ”、旅行にはまだ行けていないけど、けっこう楽しい夏
(6~8月)だったよ。
サクランボを採ったり、森を歩いたり、デジタルデトックスを試みたり、
アイスクリーム屋を巡ったり、それにドイツから古い友人が訪ねて来て
くれたし・40年来の友人に20年ぶりに再会、この夏最大の出来事だね。
今年も、私の”夏休み”は、これから・・・だ。
~ 了 ~