朝起きて、窓を開けることと同じくらい習慣になっているのは、

ラジオを聴くこと。クラシック系のチャンネル(局、プログラム)。

 

南半球に居た時もヨルダンに居た時も、台所にラジオを置いて、

ほぼ毎日、ラジオを聞いていた、、、国によって、クラシックの局で

はないこともあったが、朝ごはんの支度をしたり、皿洗いする時など~

天気予報も聞けたのでね。

 

日本では、それがラジオではなくテレビ(早朝、「名曲アルバム」を

見て、そしてチャンネルを変える~ 自分の好みの朝の番組の局に)だ

ったが、希望としては、朝はラジオから流れるクラシック。。。

 

今この国で毎朝聞いているラジオのプログラムには天気予報は挟まれな

い(普通のニュースはちょこっとある、でも言葉がわからないので、

私にとってはBGM)けれど、別にいい。ラジオは台所に置いてあるわけ

でく、繋がったリビングルームの片隅に、古いラジカセ+CDが聴ける

大家さんのオーディオのようなもの(ポータブルではない)があり、

それでラジオを聴いている。

 

さて、、、

 

今朝は、なつかしいモーツァルトのピアノ・ソナタがかかった。

ふと、、ああ、あの曲だと。 

誰もが聞いたことのある曲だろう。

 

あれが弾けるようになった時は嬉しかったな。

ピアノを習いたいと親にせがんで、習い始めたのは小学一年の夏休み。

初期は家にあったオルガンで練習はじめた。

そのうち、先生が親に鍵盤数が足りなくなるからと、ピアノを薦めてくれた。

 

うちに大きなスタンド(=アップライト)ピアノのけっこう大きい方がやって

来た時は、まだ置く場所が鳴く、和室の傍にあるろろうかのようなスペースに

置いた。いわゆる縁側のような場所だった・・・。

その縁側から延長して父が洋間を建て増ししてくれ、そこにピアノを置いた。

今も、そのピアノはあるけれど、ここ何年も弾いていないな。。。

以前は、里帰りするたびに弾いていたけれど、、、ごめんなさいね。

父が亡くなった時、それでも父に聞こえるかと弾いて観たりした。

 

そう、ピアノを習い始めて、ソナタを弾けるようになった頃、嬉しかった。

練習曲ばかりではなくて、ソナチネ、ソナタ、(練習曲には違いないけれど

使う教本も厚くなって上達した気分だった)が弾けるようになった!と。

 

ピアノの処分に困った、という話も聞くし、テレビのコマーシャルで流れる

「古いピアノ引き取ります!」も、日本にいた時はいつも気になっていた。

 

母がいよいよ退院したら自宅に戻らない、となると、たまに実家に様子を見に

行くにしても、ピアンのことも真剣に考えなくてはならない。

 

別れがたいけれど、、、いつか、人とだけでなく、ピアノにだって、愛着の

あるモノとだって別れがやってくる。

それは仕方ないよね。自分から手放さなくても、自分が…去るかもしれない。

 

私がピアノを弾くことが趣味だというので、結婚後、転勤前に狭いアパートに

電子ピアノを買った。これなら引っ越しても持ち歩けるから・・・。

カワイピアノの、木鍵を使ったフルサイズの電子ピアノ。

年と共に弾かなくなったけれど、確かに・・・このピアノのおかげで

声楽を習ったり、誰かピアノを弾きたいという人にその機会をシェアしたり、

娘とクリスマスキャロルを練習したり、、、いろんなことができた。

それもこれも、私の、ピアノを習いたいという気持ちを受け止めてくれた

親がいたから・・・。

ありがとう、お父さん、お母さん。。。

 

実家のピアノは動かずにそこに留守番しているけれど、電子ピアノは

南の島からこの北の国まで、ずっと旅をしているよ。

ほんとにありがとう。

 

実家のピアノに会いに行ったら、、、今度は、ちゃんと弾いて帰って来よう。

その前に持ってきた電子ピアノももっと弾かなくちゃ…と思う今日この頃。

 

~ 了 ~ 

 

 

読んでくださってありがとうございました~。

あ、昨日の買い出し、冷凍納豆は売り切れていました・・・。

ラーメンと豆腐と、冷凍の竹輪を買ってきました~。