取捨選択  

 

人生は、選択の連続…とは、よく聞く言葉。

そして、時に、

人生は、あきらめの連続、、、とも言われ・・・。

 

実家のトイレの壁に貼ってある紙・・・三枚だったか。

どこかの、いつかのカレンダーの、月日の部分を取って、

絵柄だけ切り取ったのか? 随分前からある・・・。

 

その一つに、

”いろいろ妥協して生きてきたけれど、後悔するのも自分”みたいな

言葉が書かれていたのを思い出す・・・。

 

これを読むたびに、不思議だった。

「いろいろ妥協すると後悔しますよ。あなたは、後悔しないようにし

なさい」というための言葉なのかな?と思ってみてきたけれど、違う

ような気がしていた。

この言葉の主語は「自分」で、その文章の後半「後悔するのも自分」と

続くのだ。

 

この言葉の作者は、人に何かを諭そうとしているわけではなく、ただ淡々と、

いろいろ妥協してきたけれど、それを選んだ自分の、その時の選択を認め

甘んじて受け入れる。

でも、お決まりのように「それでいいんだよ」と状況を受け入れていると

いうよりも、なんだか諦めている言葉。

前向きというより、ため息交じりのように感じられた。

自分を振り返り、自省した時の言葉には違いないけれど、他人を諭すためと

いうより、あえて諦めて仕方ないと自分に言い聞かせるだけのような・・・。

 

諦めも、受け入れと同じようなモノ、、、とも思える。

諦めも、選択の一つだと思えは、それでもいい。

 

朝、目が覚めた時に、ふと思った。

人生は選択の連続、、、

それは、あきらめの連続、、、でもあるかなと。

 

今朝も、起きた時、地面が濡れていた。

夜間の雨は上がったようだけれど、天気予報に小雨のマーク。

曇り空を観ながら、今日は、雨・曇りのち晴れになるか?

雨、ときどき晴れ(曇り空)になるか???

今はわからないなあ、、、でも、一日終わるまで、今日一日どうするか、

待つわけにもいかない。

決めなくちゃ・・・ね。

 

 

~ 了 ~ 

 

読んでくださってありがとうございました~。

 

選択の気持ちの裏側:

母に会いに行くという選択をするとき、

ここを留守にして、何かを諦めることになる。

でも、行かずに、後で「あの時、行っておけばよかった」と思うことが

あるかもしれない・・・だったら、行けばいい。

~今行かなくても、会えなくなることはないかもしれないけど、でも・・・。

費用もかかる(私には自分で稼ぐ収入源がないので)から、それも

悩みの一つ・・・。

でも、それこそ、私だっていつまで生きていられるかわからない、、、。

だったら、この年齢になったら、先のことより「今のこと」=親のこと。

将来のどこかへの旅行を一つ諦めたと思って、数日間、日本へ帰るという

選択をしようかな・・・。