過去録から)
2013年8月12日の日記から。
『ウッドペッカーの鳴き声を聞いた。
きらきら木漏れ日の中、足元の枯れ葉は、秋の色だとルイゼッテは言った。私に何が
できるだろう。彼女からは、多くのものをもらったのに・・・。』
散歩できたが、その後、車椅子で介護者に軒先に連れて出てもらうようなっていた。
ーーーーー 南アフリカで再び住むことになり、以前、知り合った友人を再訪した日。
南アに再び着いて、一番に訪ねたのは、彼女が居る. 高齢者施設というか、
〜彼女は、数年前にもともとドイツからの移民たちが積み立てて造られた、自立式
個別タイプの高齢者施設の一つに入居したが、私が訪ねた時は、すでに病棟のような
部屋み移っていた。
私が彼女に出会ったのは1995年、彼女の住んでいた家/屋敷は、閑静な住宅街にある
大きな木に囲まれた古い邸宅で、ユニオンビルと同じ設計者のが設計した家屋だった。
高齢者になり、ご主人が薬局の仕事を退いてから二人で郊外のタウンハウスのような、
高齢者向け地域(リタイヤメント・ビレッジ)に引越したが、ご主人が亡くなった後、
上記のドイツ人(昔のドイツからの移民)向けの、自分達が積み立ててきた施設に
移ったーーー
私は彼女の子供達よりも少し若い世代だが、1995年からの南ア滞在時にある集まりで
知り合って以来、ドイツ語を教わったり、手芸や料理手ほどきを受けたり、あれこれ
お世話になった。
南アを出てからも、手紙のやりとり(郵便)をし、何度か訪ねた。
幸いにもというべきだろうか、私が2度目の南ア滞在中、2016年4月に亡くなった。
彼女の親戚(私の別の知人)から連絡があり、彼女の“お別れの会“に参加することが
できた。
そこに彼女がいた、彼女に親切にしてもらったおかげで、私の南アの日々は充実し、
楽しいと感じられるようになったことは確かだ。。。
ありがとう、ルイゼッテ。
〜 了 〜
読んでくださり、ありがとうございました😊。
良い、お盆休みを。。。