過去録から)
2022年5月31日
日記から「予定や出来事を他者に伝えるのは容易い。
ただ、その理由や動機が理解されているかどうかは難しい。」(私)
偉そうに書いてるけど(↑)、これは私自身が、相当、周囲に対して
イライラというか、ああ、分かってほしいけど難しいなって思ったことが
あって、書いたこと。
例えば、「食事会の献立はカレーだよ」とみんなに伝える。
それは簡単、難しくない。
でも、カレーのために誰が材料を買いに行き、作るのか?レトルトなのか?
なぜカレーなのか?そういうことを考える人っているのかな?考えてくれる
ことってあるのかな?・って、まあ、そういう類の日常で生じた疑問だ。
~~~ ↑↑こんなことを書いた数年前、こんなこと⇩⇩を思ってた・・・。
2017年5月31日
『誰かと話がしたいなあ・・・ 私と話の合う人、いないかなあ・・・。
映画の話とか、死んだ後の話とか。
”Toast / トースト、幸せになるためのレシピ”っていう映画をテレビで
見た。不思議な感じがした・・・。人生、どうなるか分からないものだね。
ねえ、この映画、どう思った? …誰かとこういう話をしたいんだよね・』
誰かと挨拶を交わしたり、普通に会話をしたり、友達と呼べるかどうか微妙だと
しても、ある程度日常の付き合いのある人と共通の話題の話をしたり、周囲との
関わり・誰かと話をする(討論とか、質疑応答ではなく、会話っていう・)ことは
あるとしても、自分の興味のあることを(そして相手も同じで)誰かと話したい・
考えや情報を共有して、相手の考えを聴いたり自分の想いを聴いてもらったり、
そういうことのできる相手~友達が身近にいるかどうか、、、そういうこと。
2017年(在日本)にこんなことを書いたってことは、その頃は周囲には、
そういう相手はいなかったんだよね。そう、遠距離の友達ならいるけど、連絡を
取りあって、じゃあ、明日会おうとか、一時間以内の場所で待ち合わせようとか、
そういうことが可能な相手がいない・・・いなかった。
NHKの朝イチで、大人になってからの友達作りがどうのこうのっていう特集を
見たけれど、友達作り、友達付き合いができるか?というのではなく、私の場合
(上の日記)自分の興味と共通のものを持っている相手を見つけ出す~出会うこ
とが案外大変なのだ。
例えば、一昔前、自分はホモセクシュアルだと自覚した人が、その話を誰にもで
きずにいた…そんな感じだろうか。
こういうことは、今も、”カミングアウト”なんていう言葉だけは広がったけど、
なかなかカミングアウトできないんだろうな、、、と思う。
私自身、、そうだから、なんとなく判る。
私の場合、いわば、気さくな知り合いで、今後も関わりが持てそうな、お付き
合いができそうな人(日常生活圏内の人というか)に「あなたは神を信じま
すか?葬儀の希望は?樹木葬?」なんて聞けない・・・そういう話をするタイ
ミングが判らないってことだ。
(あなたは神を信じますか?ってのは、一時期、流行った勧誘の常套句。私は
いわゆる一般的な神を信じないので、これ⇧は、ジョークだと思ってください)
過去録)2014年5月25日 ~ SNSから。
『Friends make the world a better place!”Happiness is meeting
an old friend after a long time and feeling that nothing has changed”.』
at 92.5WBEE @www.TruthFollower.com
=「友達の存在は世界をより素晴らしい場所にして(思わせて)くれる。
”幸せ(な時)って、長い間会っていなかった昔の友達に再会して、
まるで(あの頃と)何も変わっていないように過ごすこと”」
確かに・・・私の(↑)興味の合う友人と出会うには、時間がかかるけど
~それこそ、運を天に任せれば~ 南アフリカでもニュージーランドでも
ヨルダンでだって、私の”そういう系統”の話のできる友人に出会ってきた。
南アでの出会いは、意外なほど多かったな・・・。
その後、ヨルダンにいた頃、南アを訪ねた際に書店でジョエルの本と出合った。
このおかげで、日本でもジョエルの本から、繋がり、友達に巡り遭えた。
ここ、北の国では、二年経っても、まだだけど・・・。
カミングアウトは難しい。
でも、こんな年になっても、自分の興味を分かち合える友達が欲しいな、
傍にいたらいいのになって思うんだから・・・(オンラインじゃなくて、
顔を見て隣でコーヒー飲みながら話せる相手ということ・・・)
若い子たちには、切なる願いだろうな・・・笑って、泣いて、一緒に映画を
見て、何でもおしゃべりできる、自分のことを話せる誰かと出会うこと・・・。
いずれにしても、年をとってもね、他者とのつながりを持つ、望み通りの
関係を保つってことは、容易ではないってことだね。
できるだけ、仲良く故意には相手を傷つけないように、うまく付き合おうと
そういう心がけ、心構えだけは(数十年経って)少しはできていると思いた
いけれど、それでも、、、ね。
その上、自分と興味の合うプライベートな友達は、なかなか・・・。
~当地でNetflix の韓国ドラマを見て、幽霊とかあの世とか、それらドラマの
話はできても、実際に、”あなたは死後の世界を信じる?”なんていう方向に
話を持っていくことは、こんな私にもできない~苦笑~。
5月25日の過去録なのに、今更なんでこんなことを書いているか?・って
・・・先日、娘の飼っていた猫Bちゃんがあちら側へ逝ったことで、ちょっと
あちら側が気になって ~活字は小さすぎて読めないので本は避けたが~
Netflix で『死後の世界を探求する ”Surviving Death”』(6回)を見たせい
だと思う。初めて見た番組だったけれど、私にとっては、お馴染みの内容。
だんだんと、より多くの人、社会から受け入れられるといいなあと思う。
~父が亡くなった時、あちら側のことを考えることはいくらでもあったけ
れど、自分の気持ち(泣く暇もなく)と折り合いをつけることが優先で、
それに、すでに『人生は廻る輪のように』(エリザベス・キューブラー・
ロス著)を読んでいたこともあって、あの頃は、「死ぬ瞬間」(同著)の
方に興味を持っていた。あちら側というより、逝くであろう目の前の父や
見送る側(母を含む)のことを・・・。
そして、会ったこともない猫のBちゃんの死だったけれど、今回、この番
組を見ながら、また、あちら側関連のことを読もうと思った。
この北国にも、”積読”状態だった本(この関連の)を数冊持ってきてある。
2006年にジョエルに会い(AIDS、サバイバル祝20年パーティ)に行った時、
そのパーティ会場だった家の主人である米国人(テレビプロデューサーだった
と思う)R氏が、日本から来た私に、
「もし興味があったら・・・。読んでみた感想を聞かせてほしい」と言って
貸してくれた本がある。
『Why You Cannot Die!/ The continuity of Life』
(なぜ、あなたは死ねないか / 生の継続性)--邦訳の本はないようです。
分厚くて・・・実は、まだ最初の数ページしか読んでいない。
カリフォルニア滞在は2泊の予定だったから「(こんな厚い本)読み終えて
返すことができないから」と躊躇ったら、返さなくてもいいし、いつ返しても
いいと言われた。
だから、借りて~あの時は、数か月内に郵送で返せばいいと思っていた~
日本に持ち帰ってきたけれど、もう、あれから17年だ・・・いくらなんでも
まずい。
R氏の家の住所さえ覚えていないし、連絡先(メールアドレスなど)も知らない。
でも、愛猫のBちゃんが、私をこの興味へ連れ戻してくれた…と考えて、
せっかくこの北の国にも持ってきたのだから、、、読もう…と思った。
インターネットの世の中だから、なんとかどうにかすれば、R氏の連絡先は
いつか判るかもしれないけど、とにかく読まなくては返せない。
そして、カミングアウトできなくて、そういう友達もいないけれど、自分の
興味は自分で広げる~ NHK朝の連ドラで「自分の機嫌は自分で取る」という
台詞があった・・・ほんと、その通りだよね。
自分の内部に目を向けるとは、まさに・・・そういうことだ。
初夏の陽気を見て、今こそ外に出るとき!と思うけど、”時間”を上手に使おう。
それに、そのうち、死生学友たちとの出会いが待っているかもしれない~、
その角を曲がったら・・・。
出会いは・・・自分で見つけるものでもあるけれど、そのタイミングは
まさに”神のみぞ知る”~(無神論&汎神論者の私でも、好きな表現です)
~ 了 ~
予期せず長文になりました。
読んでくださった方、ありがとうございました。
ところで、カミングアウトとはいうものの、相手や周囲との話の内容は
やはり気をつけるにこしたことはないと思う。
たとえば、外交の世界では、”政治と宗教の話はタブー”と言われる。
これは、とても大事な暗黙のルールだと思う。
外交ってほどじゃないけれど、過去に、外国人の集まりで、ドキッとした
ことが数回ある。そのうちの一回:エジプトの文化紹介の場で、解説して
くれていたエジプト人に向かって「古代エジプトの神のイシスは、イスラム
原理主義のISIS と同じスペルだけど、関連していると思うか?どう思うか?
と、聞いた人(国名は書かないけれど、日本人ではありません)がいた。
聞かれたエジプト人の彼女は、賢い人で直接的な答えは避けたが、あれは、
個人的にどんなに興味があっても、出すべき質問ではなかった)
よほど親しくならない限り、宗教や政治の話は、価値観の相違、利害関係が
絡むため誤解を生みやすいので、外交の世界でなくても、外国人同士の時は、
話題にしないのがエチケットだと思う。
悪意がなくても、相手に直接向けたつもりはなくても、聞いた相手がどう受け
取るか判らないし、それによって決別しかねない題材だからだ・・・。
親しい相手、と思っていても、避けるのが賢明だ。
親戚の中でだって、政治的思想や理想の違いで、分かれたりするんだから、、。
宗教とは言えないかもしれないけど、関連してもいる「死生学」=あの世の
ことは、なかなか”友達”と共有するのは難しいです。
あしからず・・・。