動物にだって 魂がある。

 

カソリックだったっけ???動物は死んでも天国に行けない、

なぜなら、魂はないから…なんて言ったのは。。。

⇧これは、私の長年の豪州人の友人から聞いたことで、

彼女は(小学生~中学生の頃)馬に乗っていて・・・犬や猫を飼っていて、

そして、その動物たちが死を迎えた時に、教会の神父さんが、動物のため

には祈らない…魂がないんだから、、、葬らないというようなことを言ったの

だそうだ。

 

昔のキリスト教では、心があるのは、魂が在るのは(救われるのは)人間だけ。

 

で、私の友達はそれを聴いて以来、教会嫌いになって、滅多に行かなくなったと

行っていた(私が彼女と出会ったのは1984年)。

でも、イースターの時だけ、行ってたかな…東京で(すでに大人になっていたし

ね)。まあ、それはどっちでもいいのだけど、、、。

 

動物にだって魂が在る、心があるよ、ってクリスチャンの、子供たちが思うのも

尤もだし、魂がないなんていうのは、それこそ、いくら「教会」がたいそうな

組織で気持ちの拠り所になるとか、神父さんが偉くても、幻滅しちゃうよね。

 

実際問題、、、私は、動物にだって魂はあると思う。

あるっていいきりたいけど、研究者でもなんでもない私は、根拠や証拠を示せって

言われたらできないから、あくまで、「思う」という。

 

ただね、、、せつないよね、、、

犬とか猫とか、馬とか、鳥とか、いや池の鯉だって、こちらと関係が築かれていれ

ばこそ、その別れがつらい。

 

でも、同じ動物(生き物)でも、台所にやってくる蟻や庭のスミレやキンセンカを

食べちゃうナメクジは、、、さようなら~って思っても悲しくはない。

でも、でも、きっと・・・魂はあるんだろうな。

ごめんね、私のせいで命を絶つことになった小動物たち・・・。

 

蟻だって、ナメクジだって、ゴキブリだって、死んでほしいというわけじゃない。

ここから去ってくれれば、、、それだけでいいんだけど、

殺虫剤とか、水とか(ナメクジは、割りばしでつまんで私の視界から消えるところ

へ放り投げる!)で、さよならする蟻たちには、ごめんよ、と言いながら、

さよならする。

 

動物にだって、魂はある。心はあるし、気持ちがある。

娘が中学生の頃、飼っていたハムスターが、ある土曜日の朝、この世を去った。

本当に、ほんとうに、、、まるで、私たちの都合の良い時をちゃんと知って

いて、お別れの時間を作ってくれたかのように、、、耐えに耐えて・・・

その時まで生きてくれた。

お別れをいうことができて、最期を看取ることができて本望だったよ。

彼らは自ら死を選べない。

死期を悟って死に場所を選ぶ(探す)動物もいるけれど、どちらにしても、

身体が持つ限り、、、耐える。

我が家の、そのハムスター、、(私が高校生の頃に飼っていたハムスターも

そうだったけれど)、食べられなくなり、弱っていく・・・。

あの頃、食べられないということは、死に行くことなのだなと思った。

 

湿っぽくなってごめんなさい。

 

蟻やナメクジとの戦いはさておき・・・

 

今、娘の飼っている猫が、、、死期を迎えている。

寿命というわけではないのだけれど、病気のようだ。

治らない。

でも、まだ水を飲み、ほんの少しだけれど食べている。

 

会いたかった、、、抱きしめたかった。。。

でも、それは叶わない。

あちらに行ってからでもいいから、夢に出て会いに来て・・・。

 

 

~ 了 ~ 

 

 

読んでくださってありがとうございます。

私の、昔飼っていたハムスターも、娘のハムスターも、そして今、死期を

迎えている猫Bちゃんも、次の転生(人間になるといいねとは言い切れない

けれど・・人間も辛い・・私自身、もう生まれかわりたくない。選べるなら、

ニュージーランドの野鳥になりたい・・・あ、それでも試練はあるだろうけ

れど)、もっと良い飼い主に出会ったり、優しい親元に生まれますように・・・。

また、どこかで会おうね。

出会っても分からないかもしれないけれど、、、(分からないだろうけれど)、

あなたの次の生の、幸せを祈っています・・・(合掌)。