いつもより、硬いタイトル付けましたが、書きたいことは

そんなにおかたいこと・・・ではなく、この国では、

「働く人が、働きやすいようにする」ってのが大事にされるという

お話・・・。

 

日本では、お客様は神様です~ とか、顧客第一、なんていうけど、

(学校でも、先生の職場環境や休暇よりも、どれだけ授業日数や学習

時間が割り当てられているか、削られるか、他の学校と比べてどうか等等

そういうことの方が大事だとされている気がする。

そりゃ、生徒の置かれている環境はもちろん大事だけど、たとえば、

一クラスの人数を35人から22人にするだけで、先生の労働力・時間は

軽減されるし、生徒のスペースや先生から受けられる指導時間も増えると

思うけど、そういうことは、重要視されていない気がする、、、)

この国は違う。

ちなみにこの国、部活動みたいなのは、ない感じ・・・。例:スポーツは

地域の活動、チームに参加するのが主流。

教師が、部活動の指導や責任を担うってのは、この国では見当たらない。

教師だって、家庭を持っていて、学齢期の子供を迎えに行かなきゃいけない

とか、学童保育みたいなところへ迎えに行くとか、家族旅行するとか、

そういうことだって、”一市民・個人の当然の権利”とされているから、

さっさと帰る。幼稚園だって、子供がみんな親が迎えに来て帰れば、

幼稚園の先生たちだって、さっさと自分の家に帰る。

自分の子供を迎えに行く。

因みに、、、昨日は雪の後の晴れで、子供たちは、幼稚園からの帰り、

ソリに引かれている子が多かった。お父さん(らしき人)が引っ張ってるのも

けっこう見かけた。もちろんうちの(前の)二階のお姉ちゃんのように

ベビーシッターが迎えに行って、親が帰宅するまでお留守番ってのもある。

 

本題の前に長くなりました。。。

 

本題です。

お二階の人たちが新しくなったからだと思うんだけど、今朝、ゴミを捨てに

行った時のこと(うちの敷地内。この三軒分のゴミ箱。週一回、ゴミ収集車が

周って来て、空にしてくれる)。

ゴミ箱の取っ手ハンドル(押したり引いたりするためのハンドル)部分が向こ

う側に周っていて、ゴミ箱の蓋の方が、手前に来ていた。

バイオの茶色のゴミ箱も、緑の普通のゴミ箱も・・・。

これ、実は、逆にしなくちゃいけない。

 

私たちが引っ越してきた二年前、(私たちはこの国の新参者なので、

そういうものには、手を出さず、そこにあるままにしておいた)

ゴミ収集の車の人が、張り紙を残していったことがあった。

 

ハンドルを手前にって・・・。

 

なぜかというと、、、ハンドルが手前の方が、彼らには働きやすいから。

その方が、さっとゴミ箱を引っ張り出して(敷地から、ゲートを開けて

道の、一時停止しているゴミ収集車の裏に持って行って、ゴミ箱を空に

してくれる)いくこの一連の作業が、ハンドル手前の方が、素早くできる。

 

ハンドルが奥だと、いちいち、手を伸ばしてハンドルを持って、ひっくり返して

門から引っ張り出して、、、という作業になる。

終わったら、彼らは、(そりゃね)ハンドルは手前のまま、定位置に戻す。

 

だから、、、ゴミを捨てる人にとっては、蓋が手前の方が開けやすいけど、

働く人にとっては、やりづらいわけ。

それで、ハンドルは手前に、(ゴミを捨てる私たちより、ゴミ収集の仕事を

してくれる、働く彼らのやりやすいように)してください、っていう張り紙。

 

それ以来、私たちより後に入居した、上階のP氏も奥さんのNさんも、

ハンドルを手前、蓋が空くのは向こう側…というのを守ってきた。

 

でも、今朝・・・二つとも逆になっていた・・・。

さもありなん。

(この国、大きな建物のアパートは、ダストシュートみたいなシステムの

ものもあったり、地下室にゴミ収集場があったり、それによってちがうけど)

多分、新しい上階の彼らは、これまで住んでいた所では、ハンドルの位置を

気にせず、蓋を開けやすい状態で・・・(普通、そう思うよね)きたんだと

思う。

また顔を合わせたら、一応、この件、話してみるつもりだけれど、、、。

半地下の人たちは、多分、知っている。このハンドルが手前だということ。

 

労働者の働く環境の方が、一般市民の生活上のちょっとした便利さよりも

重要視される、っていうこと。

 

トラムやバスも、夏場は間引きされることが多い(前にも書いたかな?)

なぜかというと、運転手や車掌や、こういう交通機関で働く人たちだって

夏休み(長期)を取るので、=みな平等に与えられた権利だから= 

働く人が減る・・・ということで、走る本数、サービスが減る・・・。

 

まあ、夏休みで学生も学校に行かないし、職場だって夏休みの人が増えて

通勤の人も減るし、夏には、この街(首都)から人が減ると言われている。

~増えるのは観光客だけ~

こんな具合に、労働者・彼らが働きやすいように・・・ゴミ箱のハンドルも

休暇を取ることも(職員の休暇のために本数減らしたら、JRとかバス会社とか、

多分、日本だったら、ガンガン文句が出るだろうけど)労働者、つまり

市民誰もが働きやすいように~お互い様、そう、それが大事なんだよね。

この国は、自分の権利も、そして相手(他人)の権利や環境も守ることが前提。

権利を振りかざして主張するだけじゃなくて、お互い、どうやったらいいかって。

それが大事だし、それができないのなら、対策ばかり作っても不満や歪みが

別のところから出て馴染まないで終わってしまうと思う。

支援策もいいけど、同時に一般市民の生活への考え方も変わっていくように願う。

 

 

※休暇が取れないってのは、働きにくいってことになるわけです。

 

~ 了 ~ 

 

本題は以上です。

読んでくださってありがとうございました。

 

以下、蛇足です。

ただね、労働者の権利や休暇をどれだけ取りやすいかとか、そういう面を

改善することは大事だし、日本は今後さらに必要になると思うけど、

問題点も忘れちゃいけない。

例えば、本当に時短の働き方が必要な人、のための時短システムは大歓迎だけど、

これを悪用する人もいるってこと。乱用じゃなくて、悪用。

悪用する人が増えると、時短システムが問題視されかねず、そうすると

本当に時短が必要な人、子育てで子供を病院に連れていくとか、学校行事に

顔を出さなきゃいけないとか、そういうことをやりづらくなったら、本末転倒。

だから、権利を作るのはいいとしても、使用する側が、悪用しないように、

皆、良識と良心をもって、、、使ってほしい、そう思うのであります。

休めるから(ホントは必要ない時にも)休んで、しまいには、その分、他人

(周囲)に迷惑かけてても、自分は休む権利があるんだから休みます、その間

アンタがこっちの仕事、やっておいてくださいよ、ってな、そんな態度だと、

嫌になっちゃいますよね。そういうこともあるので、権利を作る人も、使う

人も、悪用ケースに気をつけてほしいってところ、忘れないでください。。。

 

子育て支援、少子化対策っていうけど、この福祉国家の表面だけマネしても

だめですよ。日本人の気質に合った、日本のメンタリティに沿った労働環境や

社会環境の整備(改良)をしてほしいものです。

なぜって?日本人だって悪用するからです。権利ばかり主張して、仕事とは

何ぞや?を自分で考えない世代は要注意です。休むなら、ちゃんと仕事して

休んでくださいっていうと「パワ・モラハラだ」と言い返す、

これは、ないでしょ・・・。

それに、こういう対策をしても、子供を持つことへの抵抗(離婚した時の世間

の目が~とか、塾や受験でお金がかかる(この国、塾はありませんし、子供を

みな大学へなんていう競争もありません)とか、ひとり親世帯への視線とか、

生活の優先順位が何なのか?人生の目標は何なのか?日本人の考え方がもう

少しオープンにならないと、子供は増えないと思います。

休暇を取る親は増えると思うけど・・・。

 

この国は、自分の権利も、そして相手(他人)の権利や環境も守ることが前提。

権利を振りかざして主張するだけじゃなくて、お互い、どうやったらいいかって。

それが大事だし、それができないのなら、対策ばかり作っても不満や歪みが

別のところから出て馴染まないで終わってしまうんじゃないかな。

子供を増やしたいなら、休暇策より、街の中のベビーカー使用率を上げるより、

育児・教育にお金がかからないこと、どんな家族形態でも世間は温かく支えること、

外国人でも日本人と同じように接すること、子供優先というのではなく、ちゃんと責任持って

子供を躾けること(子供に優しい社会=子供を叱らない、ではない)、〜これによって、

大人と子供の境界を守り、子供がいても大人の「楽しみ」大人の社会生活ができるように

すること〜 日本は子供ができると、いろんなことを諦めなくちゃいけないような感じが

あるが、それを考え方を変えて、子供中心というのをちょっと変える。。。

〜できるかなあ? 北欧の子育て支援は見習う点は多いけど、

表面だけ(政策だけ)真似しても、子どもは増えない、、、。

 

支援策もいいけど、同時に一般市民の生活への考え方も変わっていくように願う。

 

 

 (お終い)