[Without The Rain   

 There Would Be No Rainbow.] 

~ 雨が降らなければ、虹は出ない。~ 

 

当たり前のことなんだけど、この言葉が書かれたノートが

あって(ニュージーランドで)、つい…買ってしまった。

ウェリントンは、風の街と言われる。

風が吹き、雲が流れるので、一日の中でも天気がよく変わったりする。

しかも、(実際の確率では、それほど多くないのだけど)雨天、曇りが

多いと思われている。

でも、青空が出ると最高に素敵で「風光明媚」と評されるのがよく解る。

そして、よく虹が出る。

二重の虹や大きく湾をまたぐようにかかる虹も。

そりゃ、世界中で虹は出るけれど、あの風の街のその虹が時々、懐かしい・・・。

 

 

 

虹の彼方には、何があるんだろう~なんて歌詞がありそうな、

なさそうな、、、。

虹とか、流れ星☆彡とか、昔から人々は、届かない想いを

届かない空の向こうの、、、何かに託してきたんだろうな。

 

中国ドラマ『才媛の春~明蘭』にドはまりしていると、いくら英語字幕を

追っているとはいえ、ず=っと画面の前にいるわけなのであっというまに

一週間が(何もせずに)過ぎてしまう。

見たことがあるから結末は分かっているのに、何度見ても泣ける場面は泣ける。

夢中になりすぎるのはマズイ・・と思って、ここ数日、また日本語字幕のある

韓国ドラマに戻った。

今、観ているのは、まだかな~とシーズン2の放送(配信)を待っている

『missing』(ミッシング ~彼らがいた)

 

序盤に登場するハヌルという(死んでしまって幽霊の状態の)男の子が、

息子を探しているお母さんにやっと会えて(ハヌルからはお母さんは見える

けれど、お母さんはハヌルは見えない)「ママ~」と駆け寄っていくシーン、

(たしか第二話)は、もう、わかってはいたけど、やっぱり泣けた・・・。

泣けると同時に、よかったね!って感じる。

お母さんの方は、息子が行方不明の状態から、死亡となり遺体が見つかり、

大ショックで心痛の極みになるだろうけれど(このドラマのテーマの一つ

と思われる)行方知れずのままで、どこにいるのか、生きているのかさえ

分からない状態よりは、苦しいけれど、一つ、前に進める、そう考えて

「お母さん、ハヌルを大事に弔ってあげてください」、、、そう思う。

 

今回、改めて、もし、本当にこんな幽霊(成仏手前)の住むところが

あったらいいなあと思ったのは、ジャンミという女性の部分。

生前、親からも虐げられ、社会に出てからも暴力を振るわれて、殺された

女性が、「生きていた間は人間なんて最低!みんなくず野郎だ!と思って

いたけど、ここ(成仏手前の死人が住む村)に来て、みんないい人で安心

して生活できるし、楽しい~成仏せずに、ずっとここにいたい~」という。

ジャンミが、成仏する前に、「ここに永遠にとどまることはできないし、

今いる私たち(幽霊)もいなくなったら~あなたのことが心配云々」と言わ

れた時に、この村を離れたくない理由「みんなが、私をそうやって気遣って

くれるから、、、」とつぶやく・・・。

彼女のように、辛い思いをしながら、人に裏切られたりして苦しんで

きた人たちにとって(しかも、不本意な死に方で)、まっすぐあの世へ

この世の・人間の世界に恨みや嫌悪感を持ったまま行くよりは、少しでも

心安らぐ人間関係を体験してからの方が、次の転生(※)にプラスに働く

と思う・・・。

 

ジャンミは、その村で自転車に乗りたい~という希望を叶えてもらい、

自分で育てた花を村人に配っていきながら、あの世への移行を迎える。

彼女が成仏しても、育てた花は残り、自転車は残る・・・。

その村に留まっている人々の記憶に残りつつ、、、。

 

ジャンミもハヌルも、この村に来た時(死んだばかりの時)よりも、

少しだけ嬉しい気分であの世に向かえた・・・それが何というか、

ホッとするというか、ああ、よかったな~、よかったねと頷いてしまう、

私が心惹かれる部分なのだろう。

※このドラマでは、この世で遺体が発見されると村から消えていく(成仏する)。

 

忘却のお茶を飲むとか、忘却のベールをくぐるとか、前世の記憶を消す

ための方法についてはいくつか説があるのだろうけれど、それとは別に、

心安く・・・あの世に向かえる方がいいと思うから・・・。

忘却のベールの向こうにいくのは、、、、その後だからね。

 

日本の、お盆とか、仏壇に線香とか、命日にお経をあげるなどを考えると、

幽霊であってもなくても、この世から旅立った人の魂は、単に三途の川を

渡ってあちら側へす~っと逝くだけじゃなく、想いがあればこの世にも

残っていられる、この世に戻ってきたりもできる、、、そういう考え方な

のだろう。

「ミッシング」のあの世とこの世の間の村の幽霊たちの存在はそういった

ものとは違うけれど、この世とあの世は紙一重だなと、改めて考えさせて

くれるドラマ…だと思う。

 

 

~ 了 ~

 

読んでくださってありがとうございました~。

この↓⇩は、ドラマを見ながら考えた、あの世の話・・・です。

 

※ドラマによっては、あの世に逝くことまでを描き、転生のことには

触れずにいるドラマも多いけれど、『ホテル・デルーナ』は、転生の

過程には深く触れてはいないけれど、一度幽霊になった人たちが、この

世の未練を断ち切り、トンネルを抜けていくとか、三途の川と思われる

大河にかかる長い橋を渡っていくシーン、また、ああ、あの時のあの人が

転生したんだな、ということが判るシーンはいくつか出てくるし、

『サンガプ屋台』のように、1,2例、冥途の次の転生にまで触れる

ドラマもある。

ミッシングに出ている俳優ソン・ゴニ氏は、サンガプ屋台にも出ている。

ちなみに『明蘭』では、成仏できなかった生母のことについて、

”お母さんが夢に出て来なくなったということは、もう次の生に生まれ

変わったのだと思う”~みたいな台詞があるし、斉衡(明蘭と一時期、

想いを通わせる公爵家の若様)が、自分の一番の従者だった不為が、自分の

母に打ち殺されてしまった時、別の召使に向かって

「不為はもう忘却の橋を渡り、孟婆湯を吞んだだろうか・・・」とつぶや

くシーンがある。

中国、韓国、日本で、それぞれ現代まで残っている「あの世」冥途への

行き方やその過程にあるものは、少しずつ違っていると思うけれど、

聴くと何んとなく、ああ、そういうことか=と分かるのは、共通した土台が

どこかに在るからだろうな(信じるかどうかではなく、同じものを読んだり

聴いたりした時に、西洋、クリスチャンの人たちに比べて理解しやすいという

意味)と思う。

 

ネットフリックスの華流ドラマ『彼岸の花嫁』に出てくる冥界への

有りようは、少し(韓国ドラマとは)異なっている。

このドラマには、残した家族、娘のことが心配で(あの世からこの世を

見ることのできる井戸があって)井戸を通して娘の様子を見たいがた

めに”あの世”へ逝かず、この世との途上に留まっている母親が登場する。

~ストーリー上、その母の助けもあって、娘はこの世へ戻れる~

あの世の時間とこの世の時間の進み具合や感じ方は異なるので、何とも

言えないけど、~トッケビも然り~ この世の数年、数十年を

あの世でやり過ごすのは・・・かなり忍耐のいることだろうな~と

思ってしまう。それでも、娘の成長を見守りたい~母心が彼女を

留めておいたわけだけど、あの世の番人に見つかるとマズイらしいので、

密かに…あの世とこの世の間に居座っていた母親。

 

そうそう、私がハマった、幽霊に癒された韓国ドラマ『主君の太陽』では

幽霊が出て来て、あの世の境へ逝く辺りまでは出てくる。

でも、あの世の様子の詳細はないけれど、このドラマの何に惹かれたかと

いうと、幽霊になった人たち(心残りのある状態)や犬・猫の魂が、

愛する人の傍にいて、見守っている~というコンセプトがあったからだと

思う。

それは、日本の場合、神様仏様~って祈るけじゃなく、よく「ご先祖様に

守られている」という言い方をするのと近いかな。

こっちは、あの世に逝ったはずの幽霊・霊魂が傍にいる・必要に応じて

傍で見守ってくれているという考え方だともいえる。

⇧の「彼岸の花嫁」のこの世が見える井戸から愛する人を見守るのと

は少し違うけど。。。

ご先祖様のおかげ、、、というのは、幽霊のおかげ、というよりは、

目に見えないけれど、霊魂やその分子レベルのエネルギーが、この世で

生きている私たちの”運”とか、出会いに作用して、時に助けてくれる~

そういうことだと私は勝手に解釈している。

 (合掌)ありがとうございます~ご先祖様。

 

~~ご先祖様だって、ある程度したら、別の国の人に生まれ変わったりして、

日本の子孫とは無関係の新たな「人生」を生きている可能性もあるけど~~

それは、また別のお話・・・。

 

~考え出すと止まらないので、この辺で辞めます。 

 西洋のクリスチャン的な死後の世界の考え方より、東洋の輪廻の

 考えを含んでいるあの世の方が、、、私は好きです。。。~