社友会会報に投稿 




私たち夫婦は今年、結婚50周年を迎えるにあたり、これを記念して1977年から1990年の間を過ごしたオレゴン州ポートランドに旅行することを決めました。ポートランドでは昔住んでいた隣人に会ったり、仕事の関係者で懇意にしていた人に会ったり、さらには私たちが愛したオレゴンコースト、シアトルなどを訪ねる計画を立てました。旅行の日程を決める3月頃にナイキ社のフィリップ・ナイトの秘書と連絡を取り、6月にポートランドを訪問する予定を伝えました。長年会っていなかったフィルに再会したいと伝えると、迅速に返事があり、フィルも喜んで会いたいとのお返事がありました。私たちはダラスで息子に合流し、3人でポートランドに入りました。約束の6月20日にナイキキャンパスを訪れました。私たちがフィルに会ったのは約30年ぶりで、当時専務であった草道元社長と共に、ナイキジャパンの株式譲渡交渉の最初の会議でした。フィル専用の会議室に案内され、久しぶりにフィルと対面しました。彼は私たちを驚きと喜びの表情で迎えてくれました。30年ぶりの再会とあって、話題は尽きることなく、約1時間をフィルと昔話に費やしました。特に、話題はNIKEの発展に貢献したジェフ・ジョンソンや故人のロブ・ストラッサー、皇先輩などに及び、フィルの父親とのゴルフの思い出、私が税関と直接向き合ったASP(*1)の問題からナイキの株式公開まで幅広い話題がありました。*1 ASPAmerican Selling Priceの略で、化学製品の一部、ゴム底布靴、毛編手袋、あさり缶詰の4品目について、輸入品の実際のFOB価格によらず、米国産品の米国内での販売価額をベースに関税評価を行う制度で現在廃止されています。面談後、フィルの秘書が手配してくれたツアーでは、ナイキの歴史に触れる貴重な体験が待っていました。キャンパス内を案内してくれたガイドは、ナイキの象徴的な建物や展示物について詳しく説明してくれました。息子も大いに喜び、かつての名作スニーカーや最新のコレクションを見て回りました。私自身も、思い出の詰まったアイテムを見ることで昔を思い出しました。ナイキのキャンパスは本当に印象的でした。移転当時の70エーカーの敷地は現在300エーカーに広がり、約30棟の建物が立ち並び、中にはオレゴン州最大の建物もありました。私たちのツアーガイドは、ゴルフカートのような乗り物でキャンパス内を案内してくれました。見学したのはキャンパスの一部でしたが、その壮観さには圧倒されました。キャフェテリアは数カ所ありましたが、具体的な数は聞いていませんでした。それぞれが広々とした空間で、企業の食堂とは異なる、まるで大学キャンパスのような雰囲気でした。ガイドの説明によると、キャンパス全体がフィルの意向でデザインされ、創造的な空間として整備されているとのことでした。日商岩井ガーデンも案内してくれました。ナイキが現在地に移転した際に、日商岩井が寄贈した石灯籠を見ることができました。その石灯籠は私が駐在していた当時に手配したものであり、その感慨深さは言葉では表現できませんでした。さらに、ガイドだけでなく、2〜3人のナイキ社員と話す機会がありました。彼らとの会話を通じて、ナイキの歴史と価値観を再確認することができました。特に、私が日商岩井でポートランドに駐在していたことを話すと、彼らから感謝の言葉を頂きました。おそらく、フィルが書かれた『シュードッグ』を通じて日商岩井を知ったのでしょう。その交流は、過去と現在がどのようにつながっているかを実感する貴重な時間でした。ツアーの後、私たちはNIKEのカンパニーストアでショッピングを楽しみました。フィルは私たちの訪問を大変喜んでくれて、再会はこのような素晴らしい環境でさらに特別なものとなりました。彼のビジョンとリーダーシップがいかに大きな影響を与えているかを改めて感じることができました。この再会を通じて、私たちは過去と現在が結びつく瞬間を共有し、新たなエネルギーを得ることができました。NIKEが創り出した絆と価値を再確認することができた、貴重な旅でした。 

今回は、ダラスからポートランドまでのフライトの予約と、ポートランドでのレンタカーの手配を長男に任せました。彼は私がポートランドに駐在していた時にも同行しており、現在はダラスに駐在してからすでに5年以上が経過しています。アメリカでの生活は15年以上になり、さらに南アフリカで6年、イギリスで5年過ごしてきたため、彼の人生の半分以上は海外での生活となっています。

フィル・ナイトに会うための準備として、6月まで時間があるのでフライトの予約に加えてホテルの手配も行いました。3人での滞在なので、Two Queen Size Bedの部屋があるホテルを探したところ、Benson Hotelがリーズナブルな価格で予約できました



Benson Hotelは、私が駐在していた頃、最も格式の高いホテルでした。各界の著名人が宿泊しており、福田首相が訪米した際に滞在されたこともあります。その際、私は臨時領事官としてこのホテルでお手伝いをしたことが、今でも記憶に残っています。また、フジテレビの「オレゴンから愛」の打ち上げ会もこのホテルで行われ、エキストラ出演した子ども達とともに参加しました。そこで古谷一行さんや伊藤蘭さんなどにも会うことができました。

Portlandではレンタカーを利用する予定なので、国際免許証も取得しました。


https://bensonhotel.com/

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ポートランドに行くからには、こちらも古い友人であるコロンビア・スポーツウェアのティム・ボイル社長に会おうと試みました。本人から直接返事があり、残念ながら海外出張中のため会えないとのことでした。おそらく、これから先彼に会うことはないでしょう。とても残念です。
そこで、6月17日の週にフィル・ナイトの予定を尋ねたところ、曜日は特定できないものの、その週であれば問題ないとの返事がありました。そこで、ダラスに住む長男と一緒に旅行の日程を調整することにしました。ナイトに会えると確信してから、ワイフにアメリカ行きの話をしました。ワイフはこの知らせを非常に喜んでくれました。1990年にアメリカから帰国して以来、彼女は折に触れて「またポートランドに行きたい」と言っていました。

6月15日に羽田からダラスに入り、長男と合流し、17日にポートランドに向かうことにしました。私は羽田-ダラス間の往復チケットとポートランドのホテルを予約し、長男はダラス-ポートランド間の往復チケットおよびポートランドでのレンタカーを手配することになりました。日本とダラス間のフライトは長時間になるため、プレミアムエコノミーを予約しました。この航空運賃だけで96万円、ポートランドの宿泊費が18万円、さらにダラス-ポートランド間の航空運賃、レンタカー、食事代などを含めると、総額で約200万円の出費を覚悟しました。

今年で結婚50周年を迎えるにあたり、何か記念になることをしたいと考えていました。


私は、1977年から1990年までの13年間、日商岩井の駐在員として家族とともにオレゴン州ポートランドに赴任していました。


  今年で私は80歳になりますが、アメリカへの旅を決めたのは、妻が1990年に帰国して以来、一度もアメリカ本土を訪れたことがなかったこと、そして長男が現在ダラスに駐在していることが大きな理由です。動けるうちに、これが最後になるかもしれないという思いから、最後の海外旅行をしようと決意しました。


旅程は、まず長男が住んでいるダラスへ飛び、そこからポートランドへ移動して、かつて住んでいたポートランドの思い出の場所を訪れるというものでした。ポートランドでは、どうしてもナイキのフィル・ナイト氏に会いたいと思い、最後に会ったのは1993年でしたが、会えるかどうか不安でした。しかし、秘書と連絡を取ったところ、すぐに「ぜひお会いしたい」という返事がありました。

Mr Knight が村上さんと会ったのは1970年、本には村上さんは非常に乗り気だった

いうように本には書かれている。手応えを感じたようです。

Mr.Knightは日商岩井は興味を示したと。


私は

この勘違いが双方にとりプラスに働くことになります。


この時点で村上さんは会社の中でシュ-ズをどこの部門で扱っているか知識はなかったはずです。


村上さん本人に確認出来ませんが彼は学生時代に陸上競技をやっており個人的に非常に興味を示したと聞いています。個人的な興味が会社の興味とoverwrapしたようです。


この出会がなければ今のNIKEはなかったかもしれません。



いずれにせよ村上さんが東京物資につなぎました。村上さん、当時東京物資でシューズの担当だった人、事情を知っている人は殆どなくなっておりどのように対応したか分かりませんが特別な関心を示さなかったと推察します。私は近くの席にいましたが何ら聞こえてきませんでした。

当時の東京の物資は国内向けのボーリングシューズを細々とやっており、ボーリングシューズ

メーカー数社とは付き合いはありました。

 

一方、過去にChemical Shoes の輸出で大失敗を しておりその失敗をした担当者も在籍していました。

 

三菱商事は当時から世界一の靴ディーラーでしたがPortlandで一番大きい日本商社は日商岩井でしたしかも同じCommonwealth building、1階が東京銀行、9階が日商岩井。東京銀行の人が三菱商事が世界一の靴ディーラーであることを承知していたら三菱商事につないだと推測できます。

 

村上さんでなかったら東京に話をつながなかったと思います。自分が陸上競技やっていたということで非常に興味を示されたと聞いています。一個人の興味が日商岩井を支える取引になるとはだれも予想しなかったと思います。

Shoe Dogには日商岩井で最初に出て来るのは村上さんだが村上さんは機械部門の駐在員で物資からの駐在員ではありません。タイトルはMachinery DeptのManagerでした。

物資部門がなかった為、木材、食料、鉄鋼以外の担当は村上さんの担当でした。


本の中で村上さんの次に登場するのは1966年入社の皇孝之さん1965年入社の伊藤忠幸さんですが皇さんが物資部門の駐在員としてPortlandに駐在したのは1970年でした。

この時点でNike社との取引はなく皇さんが駐在した理由はLutz TireとのTire取引が大きくなった為です。


皇さんは東大卒後、日商株式会社に入社物資に配属され職場は物資部門で葉タバコの輸入会社、米星タバコ、に出向。1970年Portland赴任の2ヶ月前に出向を解かれと同時にPortland駐在の辞令を受けました。


Mr KnightのShoe DogにMr.村上が書かれていますがこの村上氏が日商岩井を結び付けたKey Personです。彼がいなかったら今のNIKEはなかったと言っても過言ではありません。