意識しないで音楽を聞いていたり演奏してると自分の意識だけが遠くにあるような時があるよね。
身だけがそこで演奏していて、聞いていて、意識は身よりも少しだけ遠くにある。
メトロノームの裏拍の方が大きく聞こえているような気分、ピアノの音よりも、ギターの音よりも弦が軋む音、弾かれる音、指の擦れる音、そっちの方が音は鳴る。
音が小さくても意識が増幅させて実際に聞こえる音よりも聞こえない音のほうがよく聞こえてくる。
そんな時ふと自分でもその状態になっていると分かる、でも分かっちゃったら音楽は崩れていく、急に意識が身に戻り無意識で出来ていた流れが意識することで壊れる。
でも壊れることで上の空だったとか意識しすぎていたとかその時によっていろんなことに気付きなおせる。
日々の生活もそうだ、同じような生活をおくっていると生きがいや希望みたいなものは特別意識することは少ない。
その生活から何かが欠けた時、そのありがたみを思い知る、音楽が壊れて初めて自分で奏でていたんだと気付く。
毎日同じようなことの繰り返しに見えてそうじゃない、規則性があるようで少しずつずれていく、日々もまたf分の1のゆらぎにはまっている。
心地のいい音、その性質について研究していく中で見つかったのがf分の1のゆらぎ、分かりやすいのが電車の音でよく寝れるわけだよ。
物理の波で学ぶ部分で機械で作る音にはゆらぎは作れない、電子ピアノの味の無さはゆらぎの無さ、逆に人はどんなに一定に音を出そうとしても指がそうさせない。
f分の1のゆらぎはまだ心地よさに影響するとは立証されていないと思うけど化学や物理や数学が世の中の現象を人間なりに理解する、理解できるツールになれたのは神の存在を感じちゃう。
キリスト教を信じる国で育ったから神とは言えなくてもこの世界を作った時の気持ちが見えてくる気がする。
この世界を作るときにこういうシステムにしようってあったみたいに、答えがある問題を解いているような、作った時の跡をたどっているような、そんなことを。
そして意識は身に戻る、12時間のフライト明けでもそれでも次の日はまた飛びたくなる楽しい好きなんだって分かる、ムカつくがきんちょって言っても教えるのが好きなんだって気付く、なんだ、意識してなかったけれど日々にやりたいことや生きがいって隠れてるんだ。
What do we live for?
