後藤新平は医者であり、官僚であり、政治家であった。満鉄初代総裁、逓信大臣、鉄道院総裁、内務大臣、外務大臣、東京市長、NHKの前身東京放送局の初代総裁、少年団日本連盟の総長、拓大学長を務めている。
そして、後藤は「金を残して死ぬ者は下、仕事を残して死ぬ者は中、人を残して死ぬ者は上」という言葉を残している。後藤は正力松太郎に読売新聞経営購入のために10万円を貸した。正力は後藤の死後、麻布にある土地を担保に入れて用立ててくれたことをはじめて知ったのである。正力は倍の20万円を後藤の郷里の岩手県水沢市に寄附している。