【富山市】ビルのはざまの聖地 | 勝手に☆とやまの定住コンシェルジュのBlog

【富山市】ビルのはざまの聖地

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【富山中教院】ビルとビルの間にある、すんごい小さなほこら。

●富山市民には親しみのある地名ですが…

「中教院前」という交差点、バス停があるので、富山市内それもまちなかの方はよくご存知の地名、中教院。

…でも、中教院というでっかいお寺があるわけじゃなかったんですよ…。

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【中教院モール】中央通りと交差する通り

市の中心商店街・中央通りの端っこに近く、中央通りと交差する中教院モール。この角にある「中教院モルティ」という建物には彼のオフィスがあります。(とやまインキュベータ・オフィス、これはまた今度ご紹介。)

歩いていても見過ごしてしまいそうなくらい、小さな小さな祠。

もともとは別の場所にあった中教院、移転してきたそうです。

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【古本さん】オントシ85歳。まさに富山の生き字引。

生き字引・古本さんによると、

この通りは、むかし、正興寺の鐘がガーンと鳴り、中教院の太鼓の音が聞こえ、とても賑やかだったという。

…古本さんの子どもの頃の記憶…。確かに最近も夜店、やってましたよね。チケットもらったのに行けなかったけど・°・(ノД`)・°・

●中教院の歴史

これは、明治時代のはじめに設置された、天皇を中心とした神道思想(大教)を広めるために、全国に置かれた大・中・小教院の名残なんですね。

東京・芝、増上寺が大教院だったそうで…。新橋と浜松町の間にあるんだよね…よく通ってたなぁ。
この下に全国に中、小教院をもうけ、宣教したそう。

でも、明治政府の思惑はあまりうまくいかず、明治15年には神宮教が経営する神宮教会所となったそう。ですから、現在の中教院は、伊勢神宮の支店のような役割で、名前だけはそのまま残っているということです。

→詳しくはこちらを是非ご参照ください。本当に詳しく紹介されています。頭が下がります。私があまり説明すると間違ったことを言ってしまいそうなので、ここまで。

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【中教院の説明】図解されている中心に描かれているのは、立山!?…

中教院の前にある説明板をつかって、お話ししてくれた古本さん。

あれ?これ、立山?

…山岳信仰もまざってるんでしょうか。…ああ。頭がぐるぐるしてきました…。

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【お水】中教院の目の前にある。

今は、すっかり、ひっそりとしてしまったけど…。

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【富山中教院】ほんとにコンパクトな…。



中に入ると、いろんな歴史と記憶が詰まっている感じですね…。

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結局、歴史のことに詳しくもない私には、一回でご紹介できるような場所ではないということです。あまりに歴史深くて…。

昆布やさんのアキエちゃんのお姉ちゃんは、ここで結婚式を挙げたらしい…。地元の方たちにとっては、お祭りや人々の行きかう記憶の残る、大切な場所なんでしょうね。

また、ちゃんと調べてご紹介したいです。

まちなか観光案内所の石尾さん、ご協力ありがとうございました。

【富山中教院】
(所在地は、中教院横町(富山県富山市中央通り2-4-21)の隣)