先週の金曜日 19時すぎかな

パパの職場の人が突然 訪ねてきたらしい

 

わたしは 家にいなかったから おちびさんが対応した

 

手を合わせに来てくれたんだが

 

だったら 連絡してくれる?

 

親のいない 家にあがって 手を合わせる?

ありがたいけど いやいや 毎日 きれいにしてるわけじゃないし

花だって きれいなのが 飾っているわけでもない

思い出していただけるのは ありがたいが

 

その気持ちに 反比例して 

私たち家族は ものすごく つらい時間を迎えている

 

 

おちびさんは「おれ いつから 無気力になんたんだろう」

「パパのこと 言い訳にしたくないけど 何にもやる気が起きない」

と言いだした

 

おにいも「パパが 死んで 楽しいこと何一つない・・・」

    「昼飯だって 独りで 食べて パパが死んだことも

     隠しているみたいで 誰にも言えなかった」

そう言って泣いた

 

子供たちは 意外と強いと勝手に過信していた

はっとして

わたしだけが 辛いと思い込んでいて ごめん

金曜日は 夜 3人で 泣いた 

 

 

1年前おにいは 憧れの大学に入り、パパと一緒に選んだスーツを着て

パパがカスタマイズしてくれた パソコンを持って・・・入学した

5月に入り 少し慣れた頃に パパが倒れた 尿も便ももれた もう

何の会話もできない パパを びっくりしただろう

 

 

パパは倒れてから 20日以上入院したが一度もおにいは

面会もできず パパは旅立った

大学1年生だ 会葬礼状を持っていかないと 大学では

忌引きとして 処理してくれないと 会葬礼状と死亡診断書を

持って 大学へ行った 友だちになったばかりの仲間にも

休んだ理由を言えずに 1年経つ・・・

結局 休んだことも聞かれなかったから 話せずに終わり

友だちともギクシャクしたような 変な感覚が抜けず 

サークルに入る 時期も 逃し 

 

今思えば 私は おにいの大学スタートの 時期

パパのことで 頭がいっぱいで 泣いてばかりで

子供たちのこと 食事以外の 心のケアなんか 全然

できていなかった 親として申し訳ない

 

1周忌だけど 特別なにもしない

仕事は休む 納骨もまだしない 

なんだかんだと 言ってくる親族もいないので

やらないことを選択できる

 

お経をあげてもらうとか お墓に・・・とか

正直 まだ 本当の意味で パパの死に向き合えて

いないのだと 思っている

 

一緒に 家族をやってる感覚でいるからか

単に 私が むきあえていないからなのか

 

どうしても 1周忌 納骨・・・・ できない

 

明日で 1年  泣かない日はなかった

 

どうして あの人は 生きているのに 

パパは死んだんだ・・・ そんなことばかり考えた

 

どうして 私は パパがいないのに 生きているんだろう・・・

 

生きている意味をものすごく考えたけど 答えはなかった

生きている ただそれだけ それだけでいいんだと思う

 

つらいけど  次から次へと 涙があふれて とまらなかった

あの頃に 比べれば 

パパがいなくなって 不安で怖くて仕方がなかった

あの頃に 比べれば

 

 

きっと こうやって 何年も 時を重ねるんだろうなぁ

 

今は 人と話すのが 煩わしくて仕方がない

実の親とも 話していない 

そう 思うと 私は なんのために 生まれたんだ

卑屈のかたまりだ 

 

それでも 時がながれて 1年 残された家族を

がんばったんじゃないかな