桜が咲く頃には きっと少しだけ

気持ちが前向きになるはず

なんて思って 2月3月を過ごしていたけど

いざ 桜が咲いたら 涙が出てきた

 

夫と突然死別したという 

深い別れの痛みがなければ私もきっと

職員室で アハハハー と明るく春爛漫って感じで

笑ったりおしゃべりしたりできたんだろうな

 

昼間だけど そんな空間にいるときは

私だけ

重い荷物を背負いながら、暗い夜道を歩いている

そんな感覚だ

とにかくそういう明るい声を聞くと集中できなくなり

腕の付け根とかがこわばってきて 思考力もなくなる

 

あー 4月は嫌いだ

今 全力で充実している人たちと対峙しなければ

ならないのだから

そうかといって 全員が全員 何もないわけではないだろうけど

みんなそれぞれ言わないだけで何かしらある それは

十分わかってはいる

 

パパとの突然の別れは 私にたくさんの喪失感を

もたらした それが 埋められない 当たり前か・・・

 

無条件の肯定者という安全基地の喪失

未来の予定という時間の喪失

普通の私でいられる感覚の喪失

ほどほどという力の抜き方の喪失

 

からっぽになった心を今は、教師としての責任感だけで

埋めようとしているから 

同じ年齢くらいの人たちが 続々と退職をしていく

理由は

「自分の人生を生きる」とか

「自分軸で生きていきたい」とか

「やりたいことを 今 やりたい」とか

そう 自分を生きる芯がある理由ばかり 

私には やりたいことなんてない 

今は 行きたい所もない 平日働いて土日休んで

辞めたいと言いながら そんな毎日を淡々と過ごして

いるだけ

 

それでも 自分の心の今の位置を 俯瞰して

感じることができるようになっただけ 

いいのだろうか