13 支援者に求められるもの
トラウマをかかえた青少年の支援はじつは容易なことではない。支援者が疲弊して、メンタルの問題をかかえたり、施設を退職したりするケースは決して珍しいことではない。「ひと、もの、かね」の社会的な資源を一段と投入することが求められる。
それと同時に、支援者には次のような視点と臨床上の姿勢が必要ではないかと考える。
「池の小石」
トラウマ治療は途方もない時間とエネルギーを支援者に求める。1歩進んだかと思えば2歩後退することもある。ちょうど池に小石を投げても波間に消えていくようなものだ。だが、見えない池の底には小石は必ず堆積していると信じて、今日も明日も小石を投げていく。支援者や支援の場が交代することもあるだろう。交代しても投げ続ければやがて池の底に堆積していた石の山がある日水面に浮かび上がる日もある。投げ続けることが大事だ。
「時熟」
支援者は対象の青少年が時間と共に成熟することを待ってやる。時間をかけて伴走する。一般に現代の社会は、こうした困難をかかえた青少年に対して待ってやることができなくなっているのではないだろうか。その意味では、支援という介入だけではなく、青少年の内面の成熟を待つ、待ち続けるという態度も必要であると考える。
「硬質のゴム」
トラウマを抱えた青少年は、その混乱した生育環境で生き延びるために「解離」など様々なすべをもってサバイバルしてきた。F・パトナム(2001年) はそうした青少年に対しては「石頭」になって、「一貫性」と「継続性」を保ち続けるように推奨している。それと同時に、その発達の位相に従って柔軟に対応することも必要だ。したがって、「鋼鉄の壁」でもなく、「わらの壁」でもなく、柔軟ではあるが硬い「硬質のゴム」となって対処することが重要だと考える。



