ネガティブ・ポライトネスというのは、それほど親しくない人と、仲が悪くならないよう距離を置く話し方(ストラテジー)で、人がもつ「他者に邪魔されたくない、踏み込まれたくない」という自己決定の欲求を顧慮するものでした。

そして、滝浦はこれを、次のようにまとめているのでした。

定義上、このタイプのポライトネスは、相手の領域に踏み込むことや直接名指すことを避け、遠隔化的表現間接的表現によって、相手を遠くに置き、事柄に直接触れないようにする、表現の敬避性を特徴とする。“回避”または“敬避”のストラテジーと言い換えることができる。
(滝浦真人『ポライトネス入門』,研究社,2008年,p. 39)

これをもう少し難しく言うと、次のようになります。
「ネガティブ・ポライトネス」(negative politeness)は、主として、自分の縄張り(territory)や自己決定権を守ろうとする聞き手の基本的欲求に向けられ、それを(補償し)部分的に満足させようとする。それゆえ、ネガティブ・ポライトネスは本質的に忌避を基に(avoidance-based)しており、ネガティブ・ポライトネス・ストラテジーは、話し手が相手のそうした欲求を認識しかつ尊重して、相手の行動の自由を侵害しない(または、侵害を最小限にしようとする)ことを請け合うという形で表現される。
(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 91を参考にしたもの)

ブラウンとレヴィンソンは、これを以下に示す10のストラテジーに下位分類しています。

いずれもこのような接し方をされたH(聞き手)は、S(話し手)に自分の縄張りに踏み込まれずに、自己決定権を尊重してもらえたと感じるわけです。

1. 慣習に基づき間接的であれ
2. 質問せよ、ヘッジを用いよ
3. 悲観的であれ
4. 負担Rx を最小化せよ
5. 敬意を示せ
6. 謝罪せよ
7. S(話し手)とH(聞き手)を非人称化せよ
8. FTA(フェイス侵害行為)を一般的規則として述べよ
9. 名詞化せよ
10. 自分が借りを負うこと、相手に借りを負わせないことを、オン・レコードで表せ

ブラウンとレヴィンソンによると、これらもポジティブ・ポライトネスの下位ストラテジーと同様に相互関連していて、以下のように図示することが可能だということです。


(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 180)

 

今回は、これまでに取り上げなかったストラテジー4、8、10の3つについて、ブラウンとレヴィンソンや、滝浦、福田の挙げている例や、他の小説からの例と共に紹介していきます。

 

ストラテジー4をブラウンとレヴィンソンは次のように説明しています。

 

ストラテジー4 負担Rxを最小化せよ
FTA(フェイス侵害行為)を緩和する1つの方法は、相手にかける負担の深刻さRx自体はさほど大きなものではないと示し、DとP だけを重みのある要素として残しておくというものである。こうすることで、H(聞き手)に対して間接的に敬意を払うことにもなり得る。
(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 247)

 

これは、以前「発話の効力を弱める「ちょっと」と気配りの公理」で取り上げた「ちょっと」のことを言っています。

 

そこで挙げられていた例をもう一度見てみましょう。

 

「ところで、和泉さんて」
めぐみがそう切り出した。
俺はローテーブルにジュースを置いてから、めぐみに「ちょっと待っててくれ」と言い残し、『開かずの間』へと向かった。階段を上り、固く閉ざされた扉の前に立つ。


(伏見つかさ『エロマンガ先生―妹と開かずの間―』,電撃文庫,2013年,p. 103)
[アニメ版だと第2話 リア充委員長と不敵な妖精のAパート]

 

この例の説明で、

>ここで「ちょっと」を入れることによって、聞き手の負担はそれほど大きくないからそれに従ってほしいと、うまく説得するような言い方になります。
>愛想悪いとか、ぶっきらぼうだとか言われる人は、このような「ちょっと」をうまく使えるようになると、相手からの印象がよい方向に変わるかもしれません。

と書きましたが、リーチの言う「聞き手の負担」というのは、ブラウンとレヴィンソンの言う「相手にかける負担の深刻さRx」と同じことです。

 

次に、ストラテジー8を見てみましょう。

 

ストラテジー8 FTA(フェイス侵害行為)を一般的規則として述べよ
S(話し手)とH(聞き手)をFTA(フェイス侵害行為)の強要とは無関係にし、それによって、S(話し手)は侵害したいわけではなく、そうせざるを得ない状況にいるのだということを伝える方法の1つは、そのFTA(フェイス侵害行為)が一般的社会規則、規制、または義務の例であると述べることである。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 293)

 

これは、特定の人を名指さないようにするという点で、前回取り上げたストラテジー7の非人称表現と似ているのですが、決まりとして提示するというやり方によって同じ効果をあげています。

 

これは一般の小説で事務所などが出てくる場面を読むと、頻繁に出てくる表現です。具体的には以下のような例となります。

 

九時になるのを待ってダイアルを回してみると、すでに事務員は出勤していて、いつ来て下さっても結構ですという返事である。

「但し、オフィスのほうは五時退社ということになっています

(鮎川哲也『死びとの座』,光文社文庫,2002年,p. 21)

 

この場面ではっきりと「五時以降は来ないでください」と言ってしまうと、言われた相手は自分が名指しして何かを命じられたことになります。

 

これは「他者に邪魔されたくない」という聞き手の自己決定の欲求を侵害するので、ポライトではありません。

 

そこで、「五時退社ということになっています」と、オフィスの決まりでそうなっていることを伝える言い方にすることで、相手を名指すことを避けてポライトにしているわけです。

 

規則だということをもっと明言した、次のような例もあります。

 

「申し訳ございませんが、できかねます。事前にアポイントメントをとっていただきませんと、社内の者に取り次ぐことはできないという規則がございますので。どうぞお引き取りください」

(宮部みゆき『火車』,新潮文庫,1998年,p. 349)

 

最後に、ストラテジー10について見ていきましょう。

 

ストラテジー10 自分が借りを負うこと、相手に借りを負わせないことを、オン・レコードで表せ
S(話し手)がFTA(フェイス侵害行為)を補償する方法として、下に示すような表現を使って、自分がH(聞き手)に対して借りを負うことをはっきり述べる、あるいは、H(聞き手)の側に借りを負わせないと述べることが挙げられる。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 298)

 

自分がH(聞き手)に対して借りを負うことをはっきり述べるものに相当するのは、以下のような例です。

 

I'd be eternally grateful if you would ... (…ていただければ、一生恩に着ます)
I'll never able to repay you if ... (…ていただければ、いくら感謝してもしきれません)

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 298)

 

この表現は、自分がH(聞き手)に対して負っている借りがあまりにも大きいので、一生感謝し続けるのに値するとか、どれほど感謝の言葉を述べても足りないくらいだと明言することで、H(聞き手)への借りの大きさを強調するものです。

 

実は、『エロマンガ先生』のラノベ版にも、和泉マサムネの心の声として、この種の表現が使われています。

 

そのくらい、エルフの申し出に感謝しているのだ。
なにしろこれで、これからも妹と一緒に暮らしていくための、算段がついたのだから。
どんなに感謝しても足りないくらいだ

(伏見つかさ『エロマンガ先生2―妹と世界で一番面白い小説―』電撃文庫,2014年,p. 193)

 

これを相手に向かって声に出して言うと、上で述べたようなネガティブ・ポライトネスの表現になるのですね。

 

一方、H(聞き手)の側に借りを負わせないと述べる表現は次のようなものになります。

 

I could easily do it for you. (造作もないことです)
It wouldn't be any trouble; I have to go right by there anyway. (おやすい御用です、ちょうどそちらの方に行く用事がありますから)

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 298)

 

これは聞き手に依頼されたことが、話し手の自分にとっては負担Rxが小さいことであると述べることで、聞き手の感じる負担Rxを軽減し、全体のWxを小さくする言い方です。

 

具体的には、造作もないから負担にならないとか、ついでがあるから負担にならないといった言い方になっているのですね。

 

『エロマンガ先生』にも、飯田橋にある出版社へ和泉マサムネが山田エルフと一緒に行く場面で、この種の表現が出てきます。

 

飯田橋駅に早く着きすぎたので、山田エルフはあらかじめ見つけておいた、飯田橋のカナルカフェ(CANAL CAFE)に、和泉マサムネを連れて行きます。

https://tabelog.com/tokyo/A1309/A130905/13000402/

 

「そ、そうっ……ならいいわ!……え、えっと…… そうだっ、約束の時間よりも早く着きすぎたみたいだから、カフェに寄っていきましょう! ケーキおごってあげる! わたしの口に合うレベルのお店を調べっ……もといたまたまこの前見つけたの! あくまでたまたまっ!

(伏見つかさ『エロマンガ先生2―妹と世界で一番面白い小説―』電撃文庫,2014年,p. 196)

[アニメ版だと第6話 和泉マサムネと一千万部の宿敵のBパート、当該の台詞はなし]

 

ここで山田エルフは、調べたという本当のことを言いかけますが、たまたまと言い直すことで、山田エルフにかけてしまったと聞き手の和泉マサムネが感じる負担を、軽減しているのです。

 

以上でブラウンとレヴィンソンによるポライトネスの理論を概説し、ポジティブ・ポライトネスとネガティブ・ポライトネスのストラテジーを一通り紹介しました。

 

ブラウンとレヴィンソンによるポライトネスの理論は、リーチのポライトネス理論のもとになったものですが、両者の間には重なり合わない部分もずいぶんとあります。

 

ただ、これらの理論が述べていることをうまく応用することで、人間関係が円滑になり、社会で人がうまく活動していけるようになればよいと思います。

 

『エロマンガ先生』に出てきた台詞の裏にある意味や効果を言語学的に読み解くという試み、如何だったでしょうか。

 

今後は、『俺妹』や別の小説からの例を取り上げ、これまでまとめてきたことに関連づけた応用編的なものを書いてゆければと思っています。

 

今回の本編はこれで終わりです。読んで頂いた方々は有り難うございました。

 

またの機会に、読んで頂ける物を書ければと思っています。

前回から取り上げているネガティブ・ポライトネスというのは、まだそれほど仲のよくない人と、なれなれしくならないように距離を保とうとしてやる話し方(ストラテジー)で、人がもつ「他者に邪魔されたくない、踏み込まれたくない」という自己決定の欲求に配慮するものなのでした。

 

定義上、このタイプのポライトネスは、相手の領域に踏み込むことや直接名指すことを避け遠隔化表現間接的表現によって、相手を遠くに置き、事柄に直接触れないようにする、表現の敬避性を特徴とする。"回避"または"敬避"のストラテジーと言い換えることができる。
(滝浦真人『ポライトネス入門』,研究社,2008年,p. 39)

 

今回はまず、「へんな言い方によるキャラの特徴付け」の記事で以前取り上げた、和泉マサムネがたかさご書店の看板娘である高砂智恵に、エロマンガ先生にパンツを見せてやってくれと交渉している場面を再び見てみましょう。

智恵は、そんな俺の動揺には気づかず、もしくは気づいていないふりをしつつ、
「で? ボクは具体的に、なにをどうすりゃいいの?」
エロマンガ先生に、スカイプでぱんつを見せてやってくれ


「お安い御用だぜ! ってオイ、そ、そそそ、そんなんだめに決まってんでしょ! なにバカなコトゆってんのさっ!?
くわっ! とすごい形相であらぶる智恵。
「エロマンガ先生は、えろかわいいイラストを描くために、かわいい女の子を見たいらしい。だから当然、えろいポーズを見せてあげる必要がある
真剣な顔で言った。そしたら智恵は、冷めた目で俺を、じぃ……と、見つめ、「………………それ、キミが見たいだけじゃないの?」
「ち、ちげーよ!」

(伏見つかさ『エロマンガ先生2―妹と世界で一番面白い小説―』電撃文庫,2014年,p. 113)
 [アニメ版だと第5話 妹とラノベ企画を創ろうのBパート、エンディングの直前だが、当該の台詞はなし]

 

この場面で和泉マサムネはまず、「エロマンガ先生に、スカイプでぱんつを見せてやってくれ」と相手に対する配慮のない言い方をしています。

 

以前、「人間関係の距離を縮めるか維持するかの決定要因」という記事で、

 

Wx = D (S, H) + P (H, S) + Rx (S=Speakerで話し手, H=Hearerで聞き手)
Wx (weightiness): ある行為xの相手に対するフェイス・リスク
 

D (distance): 話し手(speaker)と聞き手(hearer)の社会的距離
P (power): 聞き手(hearer)の話し手(speaker)に対する
Rx (ranking of imposition): 特定の文化内における行為xの負荷度
 

という、相手の面子(めんつ、つまりフェイス(face)を傷つけるリスクの算定方法を取り上げました。

 

ここでは「エロマンガ先生に、スカイプでぱんつを見せる」ことを和泉マサムネが高砂智恵に依頼しています。

 

和泉マサムネと高砂智恵は幼なじみなので、DとPは小さいです。そのため、和泉マサムネはそんなに配慮しなくても高砂智恵は言うことを聞いてくれるだろうと思って、「補償行為をせずあからさまに」とよばれる言い方をしてしまったのです。

 

ところが、「スカイプでぱんつを見せる」というのは、かなり大変な、つまり負荷度の大きい行為だったので、高砂智恵にとってはRxが感じられ、「なにバカなコトゆってんのさっ!?」という拒絶の反応をしたわけです。

 

そこでもう一度和泉マサムネはお願いするのですが、このときには、「…してくれ」という直接的な依頼形ではなく、「だから当然、えろいポーズを見せてあげる必要がある」という言い方をしています。

 

このような言い方は、実はブラウンとレヴィンソンが挙げているネガティブ・ポライトネスのストラテジーのうち、以下のものに相当します。

 

ストラテジー7 S(話し手)とH(聞き手)を非人称化せよ
S(話し手)にとって自分がH(聞き手)を侵害したいとは思っていないことを示す方法の1つは、そのFTA(フェイス侵害行為)を行うのがS(話し手)以外の人物であるかのように、あるいは、少なくとも、S(話し手)以外の人物である可能性があるかのように、または、S(話し手)のみによって行われるのではないかのように、そして、相手がH(聞き手)以外の人物であるかのように、あるいは、H(聞き手)のみが相手なのではないかのように聞こえるように、言い方を工夫することである。その結果、代名詞「私」と「あなた」の使用を避けるための様々な方法が生じる。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 268)

 

ブラウンとレヴィンソンがpp. 270-274で英語の具体例だとしているのは、以下のようなものです。

It is necessary that ... (…する必要がある)
It would be desirable that ... (…するのが望ましいだろう)
It is expected that ... (…することが期待される)

これらはいずれもitを主語とする非人称表現と呼ばれるもので「…してくれないか」を間接的に表す決まった言い方です。

 

非人称表現というのは、人称代名詞であるI(私)、you(あなた)、he(彼)などを含まず、仮主語や状況を表す主語のit(これを、特定の人や物を指さないitなので非人称のitと言います)を中心とする表現のことです。

 

上の「えろいポーズを見せてあげる必要がある」を、もし「(お前が)エロいポーズを見せてあげてくれ」のように言うと、高砂智恵という特定の人物を名指しして、このような行為をしろと命じていることになります。

 

一方、「…する必要がある」というだけだと、誰がそれをすべきか、誰に命じているのかが表現されず、そのような行為を誰かがしなければならないと示すだけの表現になります。

 

そのため、「直接名指すことを避け」「事柄に直接触れないようにする」ことになるので、ネガティブ・ポライトネスだということになります。

 

同様の表現として、次の小説からの「望ましい」という表現の例を見てみましょう。

 

しばし口を噤んでから、義父は言った。
「失踪した女の子は四歳だったな」
「はい」
「四歳と言えば、恵理子と一歳違いだ。そうだろう」
「はい」
佐伯は言葉少なだった。
「もし恵理子がいなくなれば、私は悲しい。君も悲しいはずだ。同じように、女の子にも親が
いて祖父母がいる。今頃はいたたまれない気持ちだろう」
「……」
「早い解決が望ましい。それはわかっているな」
「承知しております」
義父は深く頷いた。
「それならばいい。捜査方針にまで口を挟むつもりはない。私は君たちを信頼している」

(貫井徳郎『慟哭』,創元推理文庫,1999年,p. 244)

 

これは四歳の女の子が失踪した事件について、義父が刑事である佐伯に、早期解決を求めている場面です。

 

ここで義父が佐伯に言いたいのは、「お前たちが(しっかり捜査して)早く解決しろ」ということなのですが、「補償行為をせずあからさまに」このように言ってしまうと、佐伯たちを名指しで責めているように感じられます。

 

そこで、「…が望ましい」という自分や相手を表現に含めない言い方をしているわけです。

 

この例ではさらに、ネガティブ・ポライトネスの、別のストラテジーも用いられています。「早く解決することが望ましい」でなく「早い解決がのぞましい」となっている点です。これは以下のようなストラテジーに相当します。

 

ストラテジー9 名詞化せよ

我々は、英語におけるネガティブ・ポライトネス(あるいは、少なくとも、改まり(formality))の度合いは、名詞的である度合いと連動することに気づいた。[…]直観的には、ある表現が名詞的であればあるほど、行為者(actor) は、行為すること、感じること、何かであること、から距離を置くことになる。[…]FTA(フェイス侵害行為)に関して言えば、ある表現の実際の行為(doing) の部分が取り除かれる度合いに比例して、危険度は弱まるように思われる。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,pp. 294, 296)

 

これは冒頭で見たネガティブ・ポライトネスのストラテジーに関する全体的特徴のうち、「事柄に直接触れないようにする」に当てはまります。

 

同様の日本語の例としては、次のようなものが挙げられます。

 

("とても嬉しい"の意味で) 「望外の喜びです」

(滝浦真人『ポライトネス入門』,研究社,2008年,p. 41)

 

日本語においても, いくつかの名詞化の方法があります。たとえば「出かける」を「外出」や「出発」にして, 「外出が望まれる」や「出発が急務だ」のように言うのも名詞化です。抽象化の段階は, おそらく, 「出かける」, 「出かけること(が)」「出かけるの(が)」,「(お) 出かけ」, 「外出」のように高まって行くと想定できます。最後の二つのうち「出かけ」は連用形から作る和語の動名詞であり,「外出」は漢語としての名詞です。

(福田一雄『対人関係の言語学―ポライトネスからの眺め―』,開拓社,2013年,p. 89)

 

要するに、このような名詞化表現を使うことで、より主観性を排除した公的性格が強くなり、他人行儀な感じがするので、相手との距離を保つのによい言い方だということになります。

 

続けて、これより少し前にある、神野めぐみが和泉マサムネに、相談があるので会ってほしいとお願いしている場面を見てみましょう。

 

『あのう……おにーさん。いまから会えます?』


「……いまからか?」
こいつにこんな台詞をささやかれると、逆ナンでもされてるような気になっちまうな。
『はい、いまからです。ご迷惑じゃなければ―新プランのご相談をしたいなーって』
「ああ……そういうコトか」
なら、断る理由はない。色々と行き詰まっていたところだったし。

(伏見つかさ『エロマンガ先生2―妹と世界で一番面白い小説―』電撃文庫,2014年,p. 113)
 [アニメ版だと第5話 妹とラノベ企画を創ろうのBパート、エンディングの直前だが、当該の台詞はなし]

 

これは、ブラウンとレヴィンソンの言っているネガティブ・ポライトネスのストラテジーのうち、次のものに相当します。

 

ストラテジー3 悲観的であれ
このストラテジーは、S(話し手)の発話行為が適切であるための諸条件が満たされていないのではないかという疑いをはっきりと表現することにより、H(聞き手)のネガティブ・フェイスに対して補償を与えるものである。
(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 241)

 

このような言い方を神野めぐみがわざわざしているということは、「心のどこかでひょっとすると迷惑なのではないかという疑いをもっているのだということを相手に伝えている」ことになります。

 

そのため、押しつけがましさが軽減され、ポライトな表現となります。

 

この種の言い方はある程度慣用化されています。これらもネガティブ・ポライトネスのストラテジー2で取り上げた、ヘッジと呼ばれる表現の一種だと考えられます。

 

例えば、誰かにタバコをねだる場合のことを考えてみましょう。仲のいい相手だと

「タバコくれ」と「補償行為をせずあからさまに」言ったり、

「タバコくれるよね」と「ポジティブ・ポライトネス」ストラテジー2  (H(聞き手)への興味、賛意、共感を)誇張せよ、に従って、「ね」を使う共感を誇張する言い方をしたりすると思います。

 

でもそれほど仲のよくない相手だと、

「タバコもってません?」「タバコありませんか?」のように否定形を使うことで、もっている状況を楽観的に期待しているのではなく、最初から悲観しているんですよと暗に示す形になります。これがネガティブ・ポライトネスのストラテジー3 悲観的であれ、なのです。

 

なお、質問するという形式そのものは、前回取り上げた、ネガティブ・ポライトネスのストラテジー2 質問せよ、ヘッジを用いよ、に相当します。

 

会社で上司に書類を見てほしい時などに、

「もしお手すきでしたら見て頂きたい書類があるんですけど、今日はやっぱり無理[ダメ]ですかね

のような言い方をするのも、同じ理由です。

 

これもネガティブ・ポライトネスのストラテジー2と3の合わせ技です。

 

この種の言い方が、日常生活で依頼をする場合に有効であることは、次のような一般書で言及されていることからも明らかです。

 

最初に、「これはもしかすると無理かもしれませんが」「お叱りを受けるかもしれませんが」と、これからする話がとても深刻であると前置きしてから切り出すと、「なんだ、そんなことか。いいよ、それぐらい」と、案外あっさりと要求が通ることが多いようです。

(白石謙二『人の印象は声が9割―相手に好かれる声のポイント25―』)

 

皆さんも結構無意識に、こういう言い方してますよね。

 

どうでしょうか? ネガティブ・ポライトネスのストラテジーが相手から距離を置いた言い方、つまり遠隔化表現間接的表現であることが、だいぶお分かり頂けたでしょうか。

 

次回は、ネガティブ・ポライトネスのストラテジーについてのまとめをしたいと思います。

前回から取り上げているネガティブ・ポライトネスというのは、まだそれほど仲のよくない人と、なれなれしくならないように距離を保とうとしてやる話し方(ストラテジー)で、人がもつ「他者に邪魔されたくない、踏み込まれたくない」という自己決定の欲求に配慮するものなのでした。

 

定義上、このタイプのポライトネスは、相手の領域に踏み込むことや直接名指すことを避け遠隔化表現間接的表現によって、相手を遠くに置き、事柄に直接触れないようにする、表現の敬避性を特徴とする。"回避"または"敬避"のストラテジーと言い換えることができる。
(滝浦真人『ポライトネス入門』,研究社,2008年,p. 39)

 

今回は20歳の男性新人作家である獅童国光が、『ラノベ天下一武闘会』の打ち上げで和泉家を訪れ、和泉マサムネと話している場面を取り上げます。

 

獅童国光(シドーくん)は、まだそれほど仲のよくない和泉マサムネと、なれなれしくならないように距離を保とうとして、ネガティブ・ポライトネスのストラテジーを駆使した自己紹介を行っています。


初めに、獅童国光(シドーくん)が和泉マサムネに最初の挨拶をする場面から見てみましょう。

 

玄関扉を開けると、そこにいたのは、
「こんにちは」
ふんわりと微笑む、見知らぬ青年だった。
年は、俺よりちょっと上……大学生くらい、だろうか。
さらりとした長めの茶髪。なのに、どちらかといえば真面目そうな印象。カットソーの上から、淡い色彩のカーディガンを羽織っている。
「ええと……あなたは……」
「獅童国光と申します。こちらは、和泉マサムネ先生のお宅でしょうか


「あ、はい、俺です。俺が、和泉マサムネで―」
「ああ、やっぱり! どうも、はじめまして、和泉先生」


「いやっ、こちらこそっ」
うわっ、まともそうな人が来た!
失礼にも、俺の、彼への第一印象がそれだった。
(伏見つかさ『エロマンガ先生3―妹と妖精の島―』,電撃文庫,2014年,p. 48)

[アニメ版だと第8話 夢見る紗霧と夏花火のBパート]

 

今回はまず、敬語について取り上げますが、「敬語」は『明鏡国語辞典』(第二版)で次のように定義されています。

 

けいご【敬語】
((名))自分(=話し手や書き手)が、相手(=聞き手や読み手)、相手側の人物または話題の中の人物を高めていう語。

 

これは、相手を自分と同じ高さではなく、それよりも上の、いわば雲の上のような存在として扱うことになりますから、結果的に相手との距離を置く表現(遠隔化表現)の一種だと考えられます。

 

このような敬語は、広い意味で敬意を示しているので、ブラウンとレヴィンソンが挙げているネガティブ・ポライトネスのストラテジーのうち、以下のものに相当します。

 

ストラテジー5 敬意を示せ
敬意(deference)[訳注:話し手が相手や話題になっている人物に対して、その社会的地位の高さに配慮して示す社会的態度]の表明には、正反対の方向性を持つ2つの方法がある。1つはS(話し手)が自分自身を低めて謙遜することであり、もう1つはS(話し手)がH(聞き手)を高める(相手の、ある特定の種類のポジティブ・フェイスを立てること、すなわち、H(聞き手)が持っている上位者として扱われたいという欲求を満たす)ことである。いずれの場合も、それによって伝わるのは、H(聞き手)がS(話し手)より社会的に上位にあるということである

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 250)

 

敬語に相当する1つ目の表現は、「獅童国光と申します」の「申す」という動詞です。

 

これは、『明鏡国語辞典』(第二版)の以下の定義からも分かるように、敬語の一種です。

 

もうす【申す】((動五))((他))
①「言う」の丁重語。相手(=聞き手・読み手)に対する改まった気持ちを表す。
「私は鈴木と申します」「私はうそは申しません」「〔息子の担任に向かって〕私から息子にきつく申しておきます」「〔父の友人に向かって〕昨日、父は私にこう申しておりました」「この辺りは古町と申します」「昔から『うそも方便』と申しますが…」「申すまでもなく…」

 

したがって、「獅童国光と申します」という表現は、「獅童国光といいます」という表現よりも、丁重で相手に敬意を示しているものなのです。

 

次に着目する表現は、「ああ、やっぱり! どうもはじめまして、和泉先生」の「はじめまして」という表現です。

 

実はこれは、初対面の際の挨拶としてあまりにも慣用化されているためあまり意識していないかもしれませんが、実は敬意を込めた丁寧な言い方なのです。

 

『精選版日本国語大辞典』による「はじめまして」の定義を見てみましょう。

 

はじめまして
((連語))初対面の人に対していう挨拶(あいさつ)のことば。
[…]
[補注]
初対面の挨拶の「はじめてお目にかかります」が省略されてできた「はじめて」では、敬意がこめにくいため、丁寧の「ます」を添えて「はじめまして」が成立したと考えられる。

 

これはもともと「はじめてお目にかかります」から「お目にかかります」を省略した表現だったのですが、「はじめて」ではぶっきらぼうなので、丁寧の「ます」が添えられた形なのです。

 

したがってこれも、ストラテジー5 敬意を示せの一例だと考えることができます。

 

次に、「こちらは、和泉マサムネ先生のお宅でしょうか」という部分に注目します。

 

獅童国光(シドーくん)は、和泉家の場所をきちんと確かめて来訪しているはずですので、「こちらは、和泉マサムネ先生のお宅ですね」とはっきりとした言い方で、和泉マサムネに対して確認をしてもよいはずです。

 

でも、「…ですね」という言い方は、何か来訪してきた刑事の尋問のような、ややぶしつけな印象を与えてしまうかもしれません。

 

そこで、このような場合、人はしばしば疑問文を使用し、なおかつわざと明確でない言い方をして、自分の自信のなさを表明します。

 

それによって、聞き手に対して、自分が正しいことを受け入れるよう強要するニュアンスを減らしているのです。

 

このわざと明確でない、自信のなさを表す言い方を、専門的にはヘッジ(hedge)と言いますが、『ジーニアス英和辞典』(第5版)で次のように説明されています。

 

hedge [名]

(言質をとられないための)はぐらかし発言, ぼかし語句;((言))ヘッヂ, 垣根表現《◆話し手が自分の発言内容が正確かどうか請け負うことができないことを表す語句で, I wonder, sort of など》


英語だと『ジーニアス英和辞典』(第5版)の言うようなI wonder(…かしら), sort of(…みたいな)、日本語だと「…かな」「…でしょうか(ね)」「もしかしたら…かも」「(おそらく)…でしょう」「…ということですよね?」のような表現が、その例となります。

 

ヘッジはI wonder(…かしら)のような間接疑問文を導く形や、..., isn't it?(…ということですよね)のような付加疑問文といった、疑問文の形からなるものもあります。

 

このようなヘッジを使うネガティブ・ポライトネスのストラテジーについて、ブラウンとレヴィンソンは次のように説明しています。

 

ストラテジー2 質問せよ、ヘッジを用いよ
これは、想定しない、H(聞き手)に強要しない、という欲求から発している。我々は、先に慣習的間接性について議論した際、様々な質問形式についても考察したので、ここではヘッジに目を向けよう。専門的には、「ヘッジ」(hedge) とは、述部や名詞句が表すそのものらしさ(membership) の度合いを修正するような、小辞、語、慣用句のことである。つまり、その属性が部分的なものであったり、ある観点だけで真実であったり、(一般にヘッジとして理解されている「ぼかし表現」を超えるものではあるが)期待されていると思われるものよりさらに真実であったり完璧であったりすることを述べるものである。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 199)

 

こうした表現を用いることで、話し手が正しいことを受け入れるよう、聞き手に強要する度合いが弱まって、相手の距離を保ったポライトな言い方になるのです。

 

ちなみに、こうしたヘッジ表現の典型として挙げられているのは、次のような例です。

 

もしお許しいただければ,一晩ほど泊めていただきたくて参りました。
よろしければ食事においで下さい。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 242)

 

この種の表現は、英語でも日本語でもある程度慣用化しており、他に次のような例が挙げられます。

 

I'll take this, if you don't mind. 差しつかえなければこれをいただきます。
 

次に、ラノベ版のみに見られる、この続きの台詞について考えてみましょう。

 

「ま、とりあえず―上がってください。まだ誰も来てないですけど」
「はい、お邪魔します
促すと、きっちり玄関で靴をそろえてから、上がってくる。
エルフと同じく、育ちのよさそうな人である。

(伏見つかさ『エロマンガ先生3―妹と妖精の島―』,電撃文庫,2014年,p. 49)

[アニメ版だと第8話 夢見る紗霧と夏花火のBパートだが当該の台詞はなし]

 

ここでは、和泉家に上がる際に獅童国光(シドーくん)は「はい、お邪魔します」と言っています。

 

実はこれもネガティブ・ポライトネスのストラテジーに相当する慣用句なのです。

 

「じゃま」を『新明解国語辞典』(第七版)で調べると、次のような興味深いことが書いてあります。

 

じゃま【邪魔】
-な-する(他サ)<なにヲ邪魔する>
〔もと仏教で、修行が はかどらないように誘惑したり、気持が くじけるようにいたずらをする悪魔の意〕
関係の無いものが何かの事情でそこに存在することによって、物事の進行(実現)が妨げられた状態になること(様子)。
[…]
[運用]
(1)「お邪魔する」などの形で、相手の仕事・休息の時間の邪魔をするという意味で、訪問の意にも用いられることがある。例、「今からお邪魔して(に上がって)よろしゅうございますか」(2)「お邪魔します」などの形で、訪問した家や部屋に入るときの、「お邪魔しました」などの形で、訪問先を辞去するときの、挨拶(アイサツ)の言葉としても用いられる。

 

これは実は、字義通りには、相手の仕事・休息の時間の邪魔をして申し訳ないと謝罪する表現であり、それによって間接的に訪問の意味を表すのです。

 

これはブラウンとレヴィンソンの挙げている以下のネガティブ・ポライトネスのストラテジーに相当します。

 

ストラテジー6 謝罪せよ
FTAを行うことに対して謝罪をすることによってS(話し手)はH(聞き手)のネガティブ・フェイスを侵害することを望んでいないことを伝え、それによって、その侵害を部分的に埋め合わせることができる。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 263)

 

これは前回も出てきましたね。

 

つまるところ、謝罪するということは、「本当はそんなことをしてあなたのもつ『他者に邪魔されたくない、踏み込まれたくない』という自己決定の欲求(ネガティブ・フェイス)を侵害したくはないんだよ」と、あらかじめ断っていることになるからです。

 

他人の家を訪問するときに、「おじゃまします」と日本語で言うのも、「すみません」と感謝するのと同じで、考えてみたら、ちょっと不思議ですよね。なにせ招かれて訊ねているのに謝っているんですから。

 

最後に、獅童国光(シドーくん)が自分のことを「シドー」って呼ぶよう、和泉マサムネに言っている場面を見てみましょう。

 

「どうぞ、適当に座ってください」
「はい、和泉くん」
結局、そう落ち着いたらしい。ソファに腰を下ろした彼は、ちょっと照れくさそうに「こほん」と咳払いをし、
「僕のこと、仲のいい友達は、シドーって呼びます。和泉くんこそ、普通に喋ってくれると嬉しいです
俺は、ぱちくり、と瞬きして、笑顔で返す。
「わかった。じゃあ、シドーくん、改めて、よろしく」
これだよこれ。これが健全な初対面の有り方ってもんだろう。

(伏見つかさ『エロマンガ先生3―妹と妖精の島―』,電撃文庫,2014年,p. 50)

[アニメ版だと第8話 夢見る紗霧と夏花火のBパートだが当該の台詞はなし]

 

ここで獅童国光(シドーくん)が「和泉くんこそ、普通に喋ってくれ」と言って命令したら、少し偉そうです。

 

なので彼は、そうしてもらえると自分は嬉しく感じると単に自分の気持ちを述べることで、間接的にそうしてくれるようお願いしているのです。

 

これは、前回やった、ストラテジー1 慣習に基づき間接的であれ、の一種に相当します。

 

英語にも以下のような同様の形が存在ます。

 

If you have the time to help, we'd really appreciate it.
手伝っていただける時間があると本当にありがたいのですが
『ロングマン英和辞典』

 

I would appreciate it very much if you would reply as soon as possible.
できるだけ早くご返事をいただければ幸甚に存じます《◆it は if 節の内容を受ける. この it の省略は不可》

『ジーニアス英和辞典』(第5版)

 

こうやって見ると、『エロマンガ先生』に登場するラノベ作家のうち、獅童国光(シドーくん)の言動が、ネガティブ・ポライトネスのストラテジーに配慮した、非常に大人らしいものであることがわかります。

 

おそらく他の3人のように中学生や高校生のラノベ作家とは、明らかに異なるキャラ付けをするために、作者はこのような言い回しを獅童国光(シドーくん)に使わせているのだと考えられます。

 

つまり獅童国光(シドーくん)の物言いはずば抜けてオトナなんですよ。

 

この点が非常によくできていると私は感じるのですが、みなさんはいかがでしょうか。

 

このような言い回しは、相手になれなれしいと思われないために重要です。

 

この記事がそうした言葉の使い方に関する知見を提供できていれば、執筆した私も幸甚に存じますwww